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このころ通研から富士山を見るのにもっともいい場所は、1号館屋上でした。近く取り壊される予定だった音研カマボコ屋根や無響実験室を、画面に入れてスケッチしました。【1996年1月号】 |
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緑に囲まれた音研棟には、野鳥がよく来ていましたから、自然観察のときも珍しい野鳥が来ているかもしれないと、足音を忍ばせて「いこいの小径」を進みました。雪の残るある晴れた日、モズが一羽、目の前に止まりました。【1996年3月号】 |
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通研構内に咲くスミレは、コスミレ、タチツボスミレ、アカネスミレ、それにただのスミレと少なくとも4種類はあり、音研裏のいこいの小径沿いに棲み分けていました。【1996年5月号】 |
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入社前の見学でこの無響室の立派さに驚いたのは、32年も前のこと、間もなく壊されるというので、暑い日差しの中、人気のないこの場所に来てみました。 片流れの屋根は電池小屋、電源線からの雑音混入を避けるために大量の電池を必要とした時代も、はるかな昔となりました。 【1996年6月号】 |
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お昼休みになんとなく池に足が向いてしまうのは、カルガモの雛がいたから。 もうこんなに大きくなって飛び立つ日も近いでしょう。【1996年7月号】 |
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夏も盛り、緑がうっそうとした音研西、ここに生えている木はカイドウ、スモモ、マテバシイ、ヒマラヤスギ、サワラ、クヌギ‥‥。 【1996年8月号】 |
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いよいよ、新棟工事開始、先ず、めぼしい樹木の移植作業が始まりました。 移植を待つ樹木たちは、幹を布で巻かれ、、根をむしろで包まれ、縄を掛けられていました。【1996年10月号】 |
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屋上から見て、胸つぶれる思いで描いた光景です。 ブドウやキウイの棚はもちろん、かまぼこ形の研究棟もほぼ姿を消し、これから給水塔にかかろうとするところです。【1996年11月号】 |
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この絵は11月5日に再び1号館の屋上に上って描いたものです。無響室のくさび形をした黄色いグラスウールの音波吸収材とそれをカバーしていた細い銅線のメッシュ、それらがパワーショベルで剥ぎ落とされたあとに、コンクリート壁がむき出しになって見えます。【掲載せず】 |
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1号館前の2本のシラカシの大樹は訪れる人々が思わず見上げる、シンボル的存在でした。ナチュラリストサークル制作の「自然ガイドブック」の表紙にも使われています。根回しや布巻きも行われていたので、当然構内に移植されるものと思っていました。ところが、工事用の囲いで隠されてしばらく後に覗いてみたら、なんと切り倒されてこの無惨な姿。1号館屋上から描きましたが、描き終える頃にはなぜか膝にふるえがきてしまいました。 【1996年12月号】 |