1.武蔵野研究開発センターって、どんなとこ


クヌギの実 もとは雑木林
 昔、武蔵野は馬の放牧などがあり、草原が広がっていたといわれています。
 江戸幕府ができ、江戸の人口が増加したり、大火があったりしたのが原因で、武蔵野に人が移り住み、農地が拡がっていきました。当時の農家は畑地の背後に雑木林を作りました。畑の肥料とする落ち葉や、薪にする木をとるためです。明治以降、武蔵野が徐々に開発されていきましたが、雑木林はまとまった土地として残っていました。
 昭和12年に当センターの地に中島飛行機武蔵工場ができる前、ここの西半分はそんな雑木林でした。工場は空襲により廃墟と化しました。

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