父の水彩画が一枚、我が家の玄関にかけてあります。札幌の発寒川の風景で炎天下に
砂利採取作業をする人々が描かれています。
暮れの大掃除のとき、絵の入れ方がおかしいのと父が描いたにしては何となく変な絵 だと思って裏蓋を開けてみました。 すると驚いたことに出てきたのは大きな絵で、近景には色鮮やかな花、背景には高々 と青い夏空‥‥ いままでは折りたたまれて一部だけを見せられていたわけです。 絵の感じがまるで変わって明快で、勢いのある画風、これでこそ父の絵だと、思わず 感嘆の声をあげました。 すぐに大きな額に入れなおして玄関に飾ったのはもちろんですが、それにしてもなぜ こんな入れ方をしていたのでしょう。 額の裏蓋に「48年9月30日退職記念、同窓生有志より」と書かれていて、贈られ た額だとわかります。 父は若い頃によく「(北海)道展」に入選し、ときには受賞もしましたが、それらの絵は、 色彩も筆致も明快で勢いのあるもので、今思うと私は絵を判断するときに無意識のうち に父の絵を基準にしてきました。 小学校の教師だった父は、戦争中の栄養失調と過労で肺結核にかかり大手術して、体 力が衰えた晩年には色紙程度しか描きませんでした。 適当な絵がなく、この絵を折りたたんで入れたのなら父の無念が思いやられます。あ るいはもし意図的に地味な色彩の砂利採り作業の部分だけを見せたのなら、そこに老境 の思いが込められているのかもしれません。生きているうちに私が絵を始めていれば、 そこのところを聞けたのにと思うと残念です。 この絵の砂利採り姿を見ていると、父も近くの川や道路で石を運んで整える作業をよ くやっていたことを思い出します。ほとんど趣味といってもいいほどでした。 この絵は札幌の実家の玄関にかけられていた23年前から見てきたのに、今になって 変だと開けてみたのも不思議ですが、この日は、実は初めて絵を買うことになって、故 ・金野新一画伯のお宅にうかがい、作品を持ち帰った日だったのも奇縁でした。 |