(G)南東部/地域 

自然・要所ナクラム遺跡


 

自然・要所


○地勢・気候

 ペルソニア南東部は熱帯性の気候で、1年の平均気温は30℃ほどになります。海から吹く風によって空気は湿っており、気温、雨量ともに安定しています。
 これより北のD-4地域は湿地が続いておりますが、G-1地域は比較的しっかりとした地盤で、ゼオホ川の下流域には土砂が堆積してできたパト平野が広がっています。この一帯の海岸は断崖絶壁となっているため、海での漁は行なわれておらず、人々は主に農耕と川漁で生活の糧を得ます。
 南のウィノー川流域は熱帯雨林が鬱蒼と茂る密林地帯で、現地の部族がわずかに暮らす以外は、大自然の景観がそのまま残されています。平野部に住む人々もここに足を踏み入れることは滅多になく、奥地の様子を知る者はおりません。
 西にそびえるグレボロ山地より向う側はさらに未知の領域となり、まったく情報がない地域となります。伝承によれば高い山々に囲まれた大地があるらしく、礁湖に似たその形状からウォール・ラグーンと呼ばれています。


○地図

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○要所

▼断崖海岸(G-1)
 D-6地域の南部からG地域全体の海岸は、その殆どが断崖絶壁となっています。波間からは荒波で削られた岩が頭を突き出しており、海岸沿いの航行を難しくしています。


▼パト平野(G-1)
 ゼオホ川の流域に広がる平野で、現地民の住む村落と耕作地があります。ここでは雑穀や根菜類が栽培されておりますが、その規模は非常にささやかなものです。


▼グレボロ山地(G-1/G-2)
 平均の標高が1000〜1500mを超える高地と、そこから飛び出した鋭いナイフのような高峰からなる山岳地帯です。最高峰は2800mほどですが、断崖絶壁や深い峡谷など非常に険しい地形が多く、様々な難所を越えてゆかなければ向う側に辿り着くことは出来ません。
 移民や侵略者たちの中では、まだこの山を抜けてウォール・ラグーンの内部へ到達できた者は1人もおりません。また、現地の人々の間では、山の向う側は神々が暮らす聖地だと信じられており、神に選ばれた者しかこれを越えることは出来ないと伝えられています。


▼巨人の墓場(G-1)
 グレボロ山地の北の斜面には、溶岩流の爪痕が幾つも残されています。その山腹の辺りには、現地の人々から巨人の墓場と呼ばれている場所があり、3mを超える巨人の骸が多数見つかっています。遺体の骨は殆どが溶岩石に埋もれておりますが、灼熱の地獄から抜け出そうとする上半身の一部や、助けを求めて高く伸ばされた腕が地面から生えており、苦悶する生々しい様子が現在でも見て取ることが出来ます。


▼ウィノー川(G-1)
 パト平野の南に広がる密林を流れる河川で、グレボロ山地に端を発します。この上流域でナクラム遺跡が発見されており、研究者や探険家の間では特に名を知られています。


▼雷雲火山(G-2)
 グレボロ山地の奥地には活火山があり、現在も小規模な噴火を続けています。山頂は常に不思議な黒雲に覆われており、その向う側の様子を伺い知ることは出来ません。


▼ウォール・ラグーン(G-3)
 山岳地帯に囲まれた未知の領域で、G-1〜G-2地域に住む人々には聖地として崇められている場所です。

・関連伝承


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ナクラム遺跡


○巨石文明

 この地域にはかつて高度な文明が栄えておりましたが、そのルーツは未踏地(X地域)のプシュケシュ王国(始原ペルソニア文明)だと考えられています。その根拠の1つとなるのが、ウィノー川の水源となるグレボロ山地にある、ラガン帝国の探検隊が発見した巨石文明の遺跡です。


▼移動
 遺跡の眠る地へ辿り着くためには船を用いる必要がありますが、渡航には大きな危険を伴います。それは東の波濤海の荒波と、この海を回遊する海竜や鯨による攻撃によるもので、これまで幾度もラガンやロンデニアの船舶が沈められてきました。古の昔からペルソニアの東沖には竜が住み着いており、聖竜と呼ばれて崇められていたようです。なお、波濤海というのはエルモア地方の人々の呼び方で、現地の人々には聖竜海と呼ばれています。
 また、どうにかこれらの脅威を回避しても、海沿いの岩礁地帯や断崖絶壁の海岸に阻まれ、そのままパト平野(G-1)に船を接岸することは不可能です。目的地まで南下するには、平野部より手前の地点(D-4)で船を下りて陸地を移動しなければなりませんが、手前には危険な生物が潜むD-4地域の漆黒泥地が存在するため、十分な装備を整えておく必要があります。


▼ナクラム遺跡(G-1)
 グレボロ山地の西側に広がる密林には、ウィノー川という河川が流れています。この上流域で聖歴707年に発見されたのがナクラム遺跡で、これは空白期の頃に未踏地(X地域)で発展したものと考えられている、始原ペルソニアの系譜に連なる文明とされています。
 山地の斜面に建てられていた巨石神殿群には、聖獣信仰の神とされる神獣らしき姿の像が祀られておりました。また、地下に隠されていた玄室には2つの石棺があり、中には様々な装飾品で飾り付けられた、赤人系人種の男女のミイラが眠りについておりました。
 この遺体の最も変わっている点は、全身余すところなく金箔が厚く貼られ、その表面に奇妙な紋様が描かれていたことです。さらに彼らの顔の上には、宝飾品で飾られた黄金の仮面も被せられておりました。なお、この棺のあった手前の部屋には、数体の木棺に同じくミイラが横たえられていたのですが、彼らの体に金箔は施されておらず、つけられていた仮面も陶製の質素なものでした。
 これらの他に副葬品も多々発見されており、水晶を磨いてつくった王や妃のものと考えられる像、宝石を贅沢にあしらった装飾品、技工の粋を凝らした金銀の器などが、ラガン植民地に持ち帰られました。しかし、研究者の目を引いたのは、建築物や埋葬品に刻まれていた文字や紋様の方でした。これはペルソニアの人々が使う仮面文字によく似たもので、それまでに発見された他の地域の遺跡にも、これと類似する文字が残されていたからです。
 この文字は始原聖刻語と呼ばれるもので、これまで解読に成功した者は誰も存在しなかったのですが、今回の発見で研究は大きく進むものと期待されました。しかし、聖歴709年に冒涜の王が出現したことがきっかけで、ラガン帝国はペルソニア植民地を失うことになります。そして、その混乱の最中に調査資料は散逸し、出土品の多くも略奪にあってしまいました。一部の品は皇帝に献上するために本国へと送られていましたが、これも中央地方が結界にとらわれてしまった今では、どういった状態にあるのか誰もわかりません。残されたのはわずかな副葬品と、今も密林の奥地で眠るこの遺跡のみで、研究を行なうためにはこの地を訪れるか、失われてしまった資料を探し出さなければならない状態です。


▼第二調査隊(ロンデニア)
 聖歴784年のことですが、ピエール=ドゥナシス率いるロンデニアの調査隊が、この地を1度訪れています。彼らの目的は遺跡の再捜索と、巨石建造物を造り上げた人々の都市を発見することでした。残念ながら、密に生い茂る熱帯雨林やそこに住む野生動物に阻まれ、住居の方は遂に見つけだすことはかないませんでしたが、現地人の案内のおかげでナクラム遺跡には無事辿り着き、内部の再探索を行なうことが出来ました。これによって新たに入手できた宝物の一部は、本国のペルソニア博物館にも展示されています。
 
◇限定情報:霊石
 調査隊は玄室に向かう途中に、もう1つの通路が隠されていることを発見しました。そして、その奥にあった部屋で見つけたのが、人の頭ほどもある幾つかの霊石です。
 この霊石は宝石のようにカットされ、4体の黄金の女性像に抱え上げられるような形で置かれていました。美しく磨かれた霊石の周囲は、黄金の精巧な細工で飾られておりましたが、最も目を引いたのは石の表面に彫り込まれた始原聖刻文字です。また、特徴的なのはそれだけでなく、石の内部には白く細い糸のような筋が透けて見えており、角度によって様々な模様を描きながら光を反射していました。
 これらの石はその特徴から彫刻霊石と呼ばれており、おそらくは儀式に用いられたのではないかと考えられていますが、素性・目的ともに現在も謎のままとなっています。検知器での調査では単なる霊石であり、その破片と思われる石で霊子機関を動かしてみたところ、通常と同じように起動しました。しかし、内部に見える筋は時おり自ら白光を放っているようにも見受けられ、単なるヒビというわけではないようです。優れた技術をもってパズルのように霊石のパーツを組み立てたか、あるいは新しい種類の霊子物質ではないかと考える研究者もいますが、まったく根拠のない憶測に過ぎません。
 発見された彫刻霊石の半分はロンデニア本国に持ち帰られ、現在も研究が続けられています。しかし、その存在はごく一部の者しか知らず、表向きには全く明かされていない情報となります。


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自然・要所ナクラム遺跡