ペルソニア/奴隷

基本情報歴史


 

基本情報


 植民地の農場や鉱山では現在も奴隷が使役され、過酷な労働を追わされています。ペルソニア大陸では奴隷を手に入れやすいため、エルモア地方の奴隷よりも粗末に扱われるのが普通です。


○売買

 西海に面した西部地域は奴隷供給地として特に有名で、奥地では奴隷狩りが頻繁に行われています。奴隷商人たちは独自に傭兵隊などを雇い、いまだ国家の支配下に置かれていない土地に侵攻し、その地域で暮らす部族を武力で平定します。そして、取り上げた土地は農地として開拓者に売り、捕らえた人々は貿易港などで開かれる奴隷市場に送るのです。
 市場での取り引きは、通常は競売形式で行われます。この時、特に強く反抗の意思を示す者は、見せしめのために他の奴隷の前で罰を与えたりします。また、部族や家族間の結びつきが固い場合は、意図的に仲間と引き離して売り捌きます。


▼ランク
 捕らえられた奴隷は、丈夫な働き手であるかどうかを基準にランク付けが行われます。まず、性別、年齢、体重で区分され、さらに歯が丈夫かどうかといったことをチェックします。また、買い付け側は背中などを見て、鞭の痕のある反抗的な者であればそれを避けたり、安く買い叩こうとします。


▼奴隷運搬
 奴隷たちが押し込められる運搬船の中は、非常に不衛生な環境でした。そのため、航海途中に1〜2割程度の奴隷が病気にかかったり死亡したりします。


▼スレイブマスター
 ペルソニアでの奴隷市場を支配している奴隷売買組織です。独自の傭兵隊を抱えており、未開地の部族を武力で制圧して奴隷を仕入れます。特にどの国家に肩入れしているわけではなく、あくまでも公正な取り引きを行なっています。


○支配と束縛

▼移動
 奴隷をしっかりと繋ぎ止めておくためには、たとえ逃げ出したとしても、その土地で生きられないような状況を整えておく必要があります。つまり、逃亡を果たしても彼らがよそ者として扱われ、自由に生きることが出来なければよいわけです。
 買い取った奴隷を本国へと連れてゆくことが最も効果的ですが、ラガン帝国の場合は植民都市内で奴隷の移動を行い、出身地から遠く離れた植民地で彼らを働かせました。なお、このシステムは混血民の誕生のみならず、奴隷の中での文化の混合を生み、ペルソニア語の標準化にも影響をもたらしたようです。


▼奴隷内階級
 古くからラガン帝国で行われていたシステムです。これは奴隷の間で階級差をつけるというもので、より上位にいる被支配民は不満を抱きにくくなるため、植民地運営を効率的に行うために実行されていました。また、これは奴隷同士の間に軋轢を生み、結託して反乱を起こすのを防ぐ効果もあったようです。


○赤人

▼鑑賞奴隷
 赤人はその容貌の美しさから、鑑賞奴隷として買われることもあります。鑑賞奴隷は通常の労働奴隷に比べると、最低でも5倍以上の値がつく高価な奴隷で、これを持つことはステータスの1つとして認識されています。特にラガン帝国の貴族の間では、より美しく教養のある鑑賞奴隷を持つことが流行し、教育した鑑賞奴隷を貴族や皇帝に献上し、便宜を取りはからって貰うといったことも行われていました。


▼系統
 バウンシャ系赤人の中には黒人や黄人の血が混じっていると考えられており、エルモア地方に住む華奢なレプラッド系赤人より全体的に体格がよく、肌や髪の色もやや濃いのが特徴です。また、平均的に見てバウンシャ人の方が鼻が低く、美しい容姿であることに違いはありませんが、鑑賞奴隷としてより好まれるのはレプラッド人の方となります。


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歴史


○ラガン帝国

 ラガン帝国の植民地となった国家の人々は奴隷階級とされ、帝国軍の兵士や植民地の開拓農民として働くことになりました。しかし、最初の頃の奴隷制度は人種差別を伴うものではなく、一定期間の労役を果たした後に解放され、無産市民として帝国民の一員となることが出来たのです。
 これが永続的な所有奴隷へと変化したのは、赤人の鑑賞奴隷を持つことが貴族の間で流行してからで、気に入った鑑賞奴隷を手放すのを惜しがった皇帝の意見によって、帝国法として定められたといいます。
 なお、全ての被征服民が奴隷となったわけではなく、帝国の同盟者となり祖国と戦った者などは手厚く迎えられ、植民地政府の高官としての地位を与えられたりしました。しかし、結局のところそういった者たちも、聖歴700年代に新たな征服者の支配下に置かれると、奴隷となったり辺境へと逃亡する羽目になるのです。


○奴隷貿易

 交易の対象として奴隷がエルモア地方に輸出されたのは、聖歴450年代になってからのことです。それ以前にも非征服民を奴隷として使役することは珍しくはありませんでしたが、これ以降はエルモア地方にも公的に奴隷制度が広まってゆくことになります。
 この時代、レグラム系黒人が支配するルクソン王国(B-5、B-6、B-7)と、エリスファリアとの交易が始まります。その際、王国側からエリスファリア商人に対して、奴隷の売り込みが行われました。この取引きは商品の代金の一部として、奴隷の所有権を譲り渡すという内容ものでした。
 といっても、当時のルクソン王国が奴隷狩りを行っていたわけでなく、人身売買を行うつもりもありませんでした。実は王国でいう奴隷というのは、主に負債を背負った者が一時的に移動の自由などを奪われ、借用分を完済するまで労働で代価を支払うという、制約の強い契約労働者のようなものだったのです。つまり、奴隷を買うということは借金の肩代わりをすることを意味しており、行政を通す正式な契約としてこの制度が施行されておりました。なお、こういった奴隷のことを契約奴隷と呼びます。
 しかし、エリスファリア商人の側は、これを現在の奴隷売買と同じように認識していたために、大きな悲劇が起こることになります。債務を返済したはずが解放されず、生涯自由を奪われる羽目になった黒人の中には、白人たちに武力で立ち向かって殺害された者も多くおりました。また、遠くエルモア地方に連れて行かれ、親兄弟にも2度と会えないまま異国の地で淋しく死を迎えたり、逃亡したものの地理も言葉も分からず、なす術なく野山でのたれ死んだ者もいたようです。
 この当時、奴隷は現在よりも粗末に扱われており、過労死も珍しくはなかったようです。というのは、奴隷の価格は現在よりも安く、健康を損なうまで強制的に働かせても十分に元が取れていたからです。もともとルクソン王国側が提示した奴隷の売値というのは、借金返済が前提の価格でしたから安くて当然なのですが、エリスファリア側としては破格の値段で終身奴隷を所有できることを喜び、大量の奴隷を本国に輸入しました。
 ルクソン王国がこの誤解に気づいた時には既に遅く、多くの国民が奴隷として連れてゆかれ、さらに新しい主人のもとに売り飛ばされてしまっていたのです。王国政府はこれに反発したのですが、エリスファリア商人たちは本国政府の支援のみならず、奴隷貿易で私腹を肥やしたいルクソン王国の一部貴族を味方につけ、その意見を退けます。これによって両国の関係はこじれ、最終的には王国の分裂をも招く大きな争いに発展しました。
 この間も反国王派の貴族たちは奴隷の売買を続け、その利益でエリスファリアから武器を購入して戦いを優勢に進めてゆきます。しかし、聖歴510年代になるとエリスファリア国内で問題が起こり、ペルソニア駐留軍が引き上げることになり、この隙をつかれてラガンの侵攻を許すことになりました。
 一連の騒動はこれで落着しましたが、これ以後、奴隷貿易が大きな利益を生むことに気づいた商人たちによって、ペルソニアの人々は人身売買の対象へと変わります。そして、各地で奴隷狩りが行われるようになり、被征服民としてのみならず、奴隷階級としての忍従の歴史が始まるのです。


○奴隷戦争

 サン・ゴート王国(C-1)は、隣国のメイオール王国と反ラガン同盟を結びながら、長く独立を守り続けてきました。彼らはカーカバートやロンデニアなどと交易を行いながら、国外からの技術を取り入れて、鉱山開発や武器の製造などにも力を入れてきました。また、侵略された国家などから逃げ出して来た人々も、人種を問わず移民として受け入れ、国力の増強をはかってきたのです。
 隣国のルクソン王国で奴隷問題が起こり、大勢の契約奴隷たちがこの国に逃亡してきた時も、彼らを受け入れて自国民としました。この変換を巡ってルクソン王国の貴族一派と争いとなりましたが、辛くもこれを退けています。


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