概説
最初の自動車は蒸気機関車よりも前に開発されていました。しかし、これはせいぜい時速十数kmしか出なかったことや、何より小型化が難しかったことから、実用のものとして社会に登場するには、蒸気機関車に大きく遅れを取ることになります。
○誕生
・実用車両
レールを使用しない陸上交通機関として実用のものとなったのは、高圧蒸気機関が開発されてからであり、自動車と呼べる小型乗用機械は聖暦715年に誕生したものが最初と言ってよいでしょう。
はじめは舵取りの機構を簡素にする目的で、前が一輪、後ろが二輪の三輪車として作製されました。しかし、これは方向転換をした時に倒れやすく、悪路で揺れが激しいために、誕生からあまり間をおかず四輪車の開発に着手することになります。なお、三輪、四輪にかかわらず、舵取りを行うためには前の車輪を自由に空転させなければならず、結果的に動力は後車軸へと伝達するようになっています。・機構開発
自動車の構造は馬車から学んだ部分が多く、鋼の車軸や鉄の輪をかぶせた車輪、それからフレームと車軸の間にバネを仕込むといった機構が取り入れられることになります。そして空気入りタイヤの登場にはまだ間がありますが、現在は車輪の外縁にゴムを被せたソリッドタイヤが使用されており、悪路による衝撃の吸収や重量の軽減にも役立ちました。・霊子機関
しかし、何より自動車の開発に大きな影響をもたらしたのは、やはり霊子機関の登場です。蒸気機関より遙かに小型で、重い石炭や水を積まなくてもよい霊子機関は、乗用機関に搭載する動力としてはまさに理想的でした。煤煙や爆発の危険もないことから、自動車は都市の内部を走ることもできるようになったのです。また、かつては軽量化の意味もあって屋根を取り付けなかったり、荷台にハンドルがついている程度のフォルムが多かったのですが、現在ではかなりデザインも洗練されはじめています。
○発展と改良
こういった陸上を走る交通機関というものは、速度の面では必ずしもエンジン性能が活かされるわけではありません。開発初期の自動車は、人間や馬の力を蒸気機関や霊子機関といったエンジンの駆動力に置き換えただけのもので、車体のバランスやギアの効率といったものには目を向けられてはいなかったのです。しかし、現在では様々な研究が試みられており、エンジン以外の部分にも様々な改良が施されるようになっています。
特に新しい分野に携わる研究者たちは、自動車は近い将来必ず普及するものと考え、各国で熱心に開発が進められています。賞金つきの自動車レースなども行われており、特にカスティルーンで開催されるものには、各国から研究者が集結して技術を競い合います。
○社会事情
しかし、こういった改良を施してもどうにもならない部分も存在します。それは交通事情の問題で、都市郊外では道路の整備状態、都市内では制限速度が深く関わってきます。
自動車やオートバイは、法律により都市の内部ではせいぜい時速20kmくらいでしか走ることはできませんし、往来を馬車や人が行き交うことから、町中で自動車を利用する者はまだ少ないのです。また、高圧の蒸気機関は爆発の危険を常にはらんでおりますし、何より煤煙を撒き散らして歩くことから人々に嫌われる存在です。一方、霊子機関は静かすぎるため、後ろに車が近づいていても気づかないことがあり、逆の意味で危険視されています。加えて大きい物体は馬が怯えることから、馬車中心のエルモア地方では、自動車は肩身の狭い思いをしているのです。
他にも、初期の頃には高価で故障も多いと言うことから普及が遅れ、現在に至ってもまだその地位は馬車を脅かすものではありません。もとより金持ちのスポーツ用として販売されていた自動車ですが、現在でも一部の金持ちしか所有していないというのが現状です。自転車が実用のものとして普及しつつあるのに対して、非常に対照的な存在となっています。しかし、軍事目的などの限定分野では活用されており、道路の舗装などの全体的な発展につれて普及する機械であることは間違いないでしょう。
○免許制度
自動車やオートバイを利用するために、特に免許は必要とされません。レースでもなければ高速で走行することはまずありませんし、運転機構もさほど複雑ではないため、まったく知識がない状態でいきなり町中を走るのでもなければ、そうそう事故を起こすものでもありません。また、ほとんどが金持ちや物好きの道楽として使われている状態で、先進国家でもまだ利用率も低いため、人々は免許制度の必要性を認めていないのです。
そのかわり、国家によっては辻馬車のように自治体に車両を登録しなければならなかったり、町中での制限速度が決められている場合があります。事故や犯罪への対策がまったくなされていないというわけではないのです。
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自動車の歴史
○蒸気自動車
・700年前後
蒸気機関車を小型にしたようなものや、屋根のないトラックのような、荷台にハンドルと椅子を取り付けた程度のものが多かったようです。速度を上げようとすると非常に大型になり、ものによると小型のバスくらいの大きさになることもありました。現在では全くの骨董品であり、後進国でまれに見かけることがあるくらいでしょう。・730年前後
高圧蒸気機関を用いた中型の自動車で、フォルムも自動車と呼べるものに近づいています。ただし、車輪が非常に大きく、人間ほどの背丈もあるのが普通でした。以前は完全にオープンだった運転席は、この頃から馬車のように扉が閉まる形になってきましたが、窓がついていないのは当たり前で、軽量化のために屋根がついていないことも珍しくありませんでした。・750年〜現在
現在の蒸気自動車の形は、霊子自動車に近づけようとする方向へと進んでいます。しかし、小型化には限界があることから、独自のデザインで差をつけようとする企業も増えてきました。見晴らしをよくするために運転席を高くしてみたり、魚の形を真似した流線型のものなど、これまでにない奇抜なデザインも生まれています。
○霊子自動車
霊子機関を搭載した自動車は当初から小型で、革新的なデザインを採用することができました。もっとも、最初の霊子自動車は小型の三輪自動車タイプで、自転車の後ろにベンチ付きの荷台をつけた程度の代物でした。
しかし、現在では屋根や窓のついた密閉式のものなど、現在でいうクラシックカーに近い形の自動車が多くつくられています。しかし、道楽のための道具としては、軽馬車に霊子機関を積んだような形のものが最も人気があり、横に貴婦人を乗せて散歩するには最適という人も多いようです。
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オートバイ
初期に発表された蒸気エンジン付き自転車は、見せ物程度の代物に過ぎませんでした。蒸気機関は小型化するほど燃費が悪くなりますし、燃料と一緒に水も携行して走る蒸気機関は、どうしても不釣り合いな動力源でしかなかったのです。しかし、霊子機関の登場によって、オートバイはようやく実用の交通機関として利用できるようになりました。
現在のオートバイは自転車に霊子機関をつけた試験的なものとは異なり、きちんとした専用のフレームやタイヤでつくられています。種類もいくつかあり、安定性をあげようと後輪を二輪にした三輪バイクなどもあります。小回りが利き、霊子機関を積んでいて非常に静かな乗り物であることから、軍隊の伝令用に用いられたりもします。しかし、まだ一般には普及されてはおらず、見たことがない人も多い交通機関です。
○試作機械
・ミニバイク
一般に普及させるために開発中のもので、現在でいうスクーターに非常によく似た形をしています。スカートをはいた女性でも乗れるように、跨って乗る普通のバイクと違って、座席が椅子型になっています。安定性を考えて三輪になっていますし、操縦の機構も簡略化されています。・サイドカー
軍で考案されたものであり、1人が操縦を担当し、もう1人が砲撃を行うためにこれを利用します。・単輪バイク
1輪の大型車輪の中に操縦席がついている、非常に奇妙な形をしたバイクです。発明家が趣味で作製したものであり、機構が複雑で前方の視界も十分に確保できないことから、実用のものとはなっていません。・レールバイク
レールライド・オートバイとも呼ばれています。列車のレールに合うような補助輪をつけた自転車を使用する、レールライダーという人々の行動からヒントを得て作製したバイクで、非常時の連絡用などの目的で三国鉄道の鉄道管理局が試作しました。
本体にはレールに合う幅の鉄の車輪がついており、反対側のレールにうまくかみ合うように、サイドにも車輪が一輪せりだしています。列車に乗せる時のために、サイドの車輪は折り畳むことができます。なお、あまりスピードを出しすぎると安定性が悪くなるので、最高でも時速50kmほどしか出すことができません。・スノーバイク
凍湖の上を走行する目的で、ユークレイの発明家が試作しているものです。前輪はソリのようになっており、後ろの二輪は幅の広いスパイクつきの鉄輪がはめられています。しかし、まだまだ安定性が悪いので、車輪部分にはさらなる改良が必要となります。
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