10.天帝とは?
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太極星(北極星)の血を引く存在。天を司る最高神の事だが、天帝ルイがそれに値する存在だったかというと大いに疑問がある。北斗の歴史においても「およそ2000年前、天帝の盾として北斗宗家はすでに君臨していた。その後、天帝を喪失し、狂乱の戦国時代になった。」とある。狂乱の戦国時代とは三国時代が考えられるが、天帝篇を2010〜15年だとしても2000年前なら計算が合わない。「およそ」というところがミソだろうが、前漢を滅ぼし、新が興り、新を滅ぼし後漢が興った頃のほうがしっくり来る。まあ「およそということで四捨五入してしまったとしよう(笑)
ではここで言われている天帝とは誰のことか。またまたおよそ2000年前というのが曲者だが、まず誰もが思いつくのは漢帝国の皇帝だろう。なにせレイが「皇帝を…」と言っていることと、北斗神拳が「劉家」と語られることがあったことから、一般論とされがちだが、冷静に考えてみて欲しい。漢帝国初代皇帝劉邦は元々農民の家の出であり、太極星などという大層なものとは縁遠い。赤帝の子だといわれているが、無論あとでくっつけたものだ。つまり皇帝は出自など関係がない。それはのちの世の皇帝にも言えることで、皇帝と天帝とは全く別物であることを何よりも認識しておかねばならない。
蒼天の拳によると、三国時代に北斗は曹家、劉家、孫家に分かれたとあるから、劉家の件についてはその方向で考えたほうがいいかもしれない。三国時代を制したのは実質曹家だ。(正確には司馬家だが) だがその後の戦乱期には必ずといっていいほど劉氏を名乗る君主が現れていることから、劉家が北斗の宗家となっていったのかもしれない。(蒼天の拳によると劉家は別っぽいので、分派した後も北斗神拳の伝承者は別にいたとするのが正しいかもしれない)
では、一般論で考えてみよう。中国の皇帝のことを天子というのは有名なので聞いたことがある人もいるかと思う。これは古代中国の天を崇める天帝思想によるもので、天帝とは天上(宇宙)の創造主・最高神。そして、天子(皇帝)は天帝の子として、天帝を祭る権利と義務があったという。つまり天子は天(帝)の意思により地上支配の代行を任されているということを大義としていた。天を神とする思想は東アジアに多く見られるが、春秋戦国時代には諸侯や王が各々天帝を祭っていたというので、唯一神でなくなっていた時期もあった。唯一神でなければ矛盾してしまうのだが…。しかし、天帝が人間に降臨したという話は聞いたことがない。そんな畏れ多い事をする人間などいなかったのだ。だから、ルイを天帝そのものと考えるのには無理がある。ちなみに仏教方面で調べると帝釈天・インドラなど出てくるが、ややこしくなるので今回はその件については追及しない。
21世紀になろうという現実主義の時代では天帝を形としてわかるよう示さないといけなかったのかもしれない。畏れ多くもその大役を任されたのがルイだったのだろうか。21世紀の帝都が新しい世の正統王朝に名乗りを上げたことは間違いないが、実権を握っていたのは総督のジャコウだ。つまり、ジャコウは天帝思想を利用し、天帝の声を伝える立場として天子の座に就いたのだろう。言い換えれば皇帝ということなので、ファルコら元斗皇拳の戦士が従うのも当然である。その際、天帝は目に見える形で存在していたほうが、現実主義の時代には通用しやすかったわけだ。そこで天帝であるはずのないルイが利用されたと考えるのは邪推だろうか? 少なくともファルコやファルコの周辺の者が信じていたことから、代々密かに天帝と称した血を受け継いできたのかもしれない。こうなるとほとんど宗教だが、そう思っても差し支えはないだろう。天帝は一人でなくてはならないため、双子のリンを殺そうとするのは狂信的ではあるが、信じている者にとってはリアリティを与えることができるだろう。そんな中、ただ一人冷静だったのがジャコウだった。ルイの粗雑な扱いからみても「くっくっく、バカどもが。ルイが天帝なわけないだろ」ってね。
この一般的な天帝論で引っかかるのは『蒼天の拳』に登場する、満州民族で清朝最後の皇帝溥儀の認識だ。
「北斗の星よ、汝は皇帝の守護神として伝えられておる!ならば朕を守護するのが宿命ではないのか!」
「北斗の星は中原の王を守護する星と伝えられてきた」
中原とは中国、取り分け華北のことだ。つまり華北を支配した皇帝を守護するものと、清の時代には伝わっていたと考えられる。明も清も長期に渡る王朝だ。つまり天子(皇帝)はもう天帝の威光を必要とせず、北斗神拳も天帝ではなく皇帝を守護するという認識が一般的になったのだと考えられる。言い換えれば、実質的に天帝を守護するということは天子(皇帝)を守備することでもあるので名分化していたとも考えられる。毛沢東が天帝思想があった最後の人物とされているので、天帝思想は王朝が長く続くと忘れられ、乱世で都合よく復活するというパターンが続いていたのではないだろうか。その間に解釈が変わり、天帝=皇帝になってしまったのかもしれない。天帝思想では王朝が変わるごとに「自分は天帝の意思によって天子になる」という大義を打ち出せるわけだ。しかし蒼天の拳ではいささかおかしい。魏呉蜀、いわゆる三国時代にそれぞれの英雄を守護するために、北斗神拳は曹家、劉家、孫家に分かれたとされるが、中国史全体から見ればわずかの期間に過ぎず、その後も五胡十六国時代、南北朝時代、五代十国時代など幾つもの国に分かれた戦乱の時代が続いたにもかかわらず、どうして分派しなかったのだろうか。呉はともかく蜀などは辺境の地で、中原などという言葉とは縁遠い。しかし、少なくとも現在わかっているだけで中華民国の時代まで孫家拳が残ってしまった。北斗神拳黎明期だからこそ時代の流れに翻弄されてしまったということだろうか。漢民族国家でないといけないという解釈もないし、他には少し考えられないことだ。
蒼天の拳3巻で、皇帝溥儀の考えは思い込みで天帝を守護するということは皇帝を守護するものと認識が変わっていったことが証明された。「白馬寺で高僧が天帝のお告げを聞いた」という部分だ。これだけでも皇帝が天帝と混同されていないことがわかる。
結論は天帝思想による絶対神的存在または天帝思想を元とした新興宗教の神。
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