南斗の改革
創始初期は南斗も一子相伝だった。しかし時代が下るに連れ、長兄よりも末弟が優秀というケースが出現する。苦肉の策として末弟にも分派の形で伝承を認める。ここから南斗は枝分かれを始め、同時に血筋より実力優先の道を歩み出す。
分化を繰り返すうち、宗家の血筋でない者が頭角を現してくる。それも何人も何度でも。
最初のうちは創始者の血を引いていない人間を伝承者争いから退けてきた宗家だったが、時代と共に宗家の意味より暗殺拳の意義を問う声が高まっていく。
同じ実力なら血筋を重視して伝承者を決める方法もある。だが歴然とした力の差がある場合でも血縁者を優遇するのかという不満が大きくなり、見過ごされる問題ではなくなってきた。
現実の相撲の世界でも外国人横綱が誕生するまでには紆余曲折があり、是非をめぐっての論争があった。
「日本の国技なのに横綱が外国人なのはおかしい」
「日本人と同じように努力し結果を出した外国人力士が、国籍を理由に横綱になれない方が変だ」
「外国人は横綱になってはいけないというのなら、初めから入門させるべきではない」
同じような議論が南斗聖拳の世界でも展開された。
そして画期的な結論が下され、創始者の血縁でない南斗聖拳の伝承者が誕生する。南斗はより強い暗殺拳を後世に伝えるため、宗家以外に伝承を許すという大革命を成し遂げる。
宗家の血がより拡散してしまう事になるが、新しい血を入れる事を選んだ陽拳の南斗らしい決断である。
有名無実となった宗家の血だが、その素質は受け継がれていく。宗家の血を引いた人間は生まれついての才覚と努力で南斗聖拳を伝承していく。南斗孤鷲拳だけでなく複数の流派をも習得しているシンがいい例だ。
その南斗の頂点に立つ南斗の将は慈母星。不自然な名である。慈星でなく慈母星なのは女性が継承するからだ。なぜ女性なのか。
南斗の将の誕生
ユリアが南斗宗家の大事なお姫様ならば、宗家ゆかりの者がユリアを守るのが普通ではないだろうか。
しかしユリアを警護しているのは南斗とは無縁の五車星。そしてユリアの兄リュウガもジュウザも南斗聖拳を学んでいない。シンを除いてユリアの周囲には南斗聖拳と無関係な拳士ばかりいる。
では南斗の将とは何か。
南斗宗家が作り上げた虚無の存在、伝承の代用品である。
その昔、宗家の血を引いていないという理由で伝承者になれなかった人間に与えられた称号なのだ。
うがった推測だが、宗家を脅かすほどの資質を持っていたために、今後その氏族は南斗聖拳を使ってはならぬとされた。その代わり南斗の将として(形式的に)君臨できる、と。
妻子を人質にでも取られていれば、この条件を飲まぬわけにはいかぬだろう。
血がそれほど大事なのかという鬱積した怒りと恨みと諦めが、時代の波に飲まれ伝承者争いに敗れた男を初代南斗の将の位に就かせた。
形の上だけにしろ南斗六聖拳の上に立つ事ができる。
時勢に敗れた男の精一杯の抗議であったろう。
南斗の将は南斗宗家に最も近い地位に置かれたため、傍目には南斗聖拳の総本山のように見えながら実は宗家の監視の下にある。
南斗聖拳を使う事ができない南斗の将。女が将の地位につくようになるのも自然な事であった。
やがて時は流れ、血筋に関係なく伝承者が選ばれる時代が来る。しかしその時すでに南斗の将は女が継承するだけの形のない存在に過ぎず、一族の男達は南斗聖拳を学ばなくなっていた。
宗家の逆説
ケンシロウとユリアの婚約の事実が、ユリアは宗家ではない事を証明している。
直系の北斗宗家と直系の南斗宗家の男女が結ばれるはずがない。生まれた子供にどちらを習得させるかという大問題が起こってくる。
ユリアが宗家であればケンシロウとの交際も禁じられている。南斗宗家の女が産まなくてはならないのは南斗聖拳の伝承者であり、北斗神拳の伝承者ではないからだ。
南斗の将一族は南斗宗家への積年の恨みを晴らすため、北斗宗家に接近した。
ユリアの一族にとって北斗宗家と結ばれる事は悲願であったろう。祖先は南斗聖拳の伝承者となる事ができなかったが、男児が生まれれば北斗神拳の伝承者である。一子相伝、自動的。これで南斗宗家へ意趣返しができる。
しかしユリアはシン(南斗宗家)に連れ去られてしまう。
シンは自分の意思で動いているのだが、結果的に南斗の将一族の野望成就を阻止している。ユリア一族から見ればまたしても南斗宗家の横槍!と憤懣やるかたなく、二人目のユリアもまた、北斗神拳の使い手を一人に減らすまで南斗に利用されるのである。
そしてユリアは一族からも宗家からも見捨てられ、病気なのにケンシロウの放浪癖に付き合わされる事になる。ユリアの一族は離散したと考えてよい。ユリアを最後に南斗の将は歴史から消えた。
リハクも職を失ってしまい、リンとバット率いる北斗の軍に天下りするのである。
■感想
ユリアが南斗の正統な血筋というのはたしかに矛盾する点が多いですね。表裏とは交わらぬものですから。ユリアの最後の扱いや墓があの程度の規模だったことを考えると、既に宗家そのものが疎んじられていたか、宗家でなかったかのいずれかになるでしょうね。ラオウとの戦いに勝利した時点で、リハクやハーン兄弟のような南斗の残党が、豊かな「最後の将の街」で祀りあげてなければおかしいですから。それが手をこまねいて、帝都の専横を許し、レジスタンスへと身を投じていったことを考えると、疑わざるを得ません。それとも先の感想のように、南斗最後の将は双子で、ラオウが用意したのが影武者だったのかもしれません。なにせユリアが病気だったというのも、ラオウの情報に過ぎませんから。
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