『花の慶次』はよく少年漫画誌用にアレンジされ、原作とは全く違うという人がいるが、実はそうでもない。意外に原作に忠実なのだ。後半は原作にはないストーリーだが、特に前半は原作のストーリーを十分に楽しむことができる。隆慶一郎が生前に書いた漫画用の原作(原案?)がどこまでのものだったかにもよるのだが…。『花の慶次』の場合は、原哲夫が隆慶一郎に敬意を表しているというのもあるが、その上で原哲夫お得意の「お笑い」の要素が存分に盛り込まれている。北斗の拳も本来お笑いではないだが、そこは原哲夫マジック。読めば読むほどお笑いなのである(笑)
少年誌での連載だが、あまり子供を意識した内容ではないと感じさせた。「お笑い」の要素が子供をも惹きつけたのだろうか。(当時若かった人の感想を是非聞きたいです。)
前田利家と慶次郎の微妙な関係も面白いが、慶次郎が戦国の裏で諸大名と関係をもち、暗躍していたというのが面白い。実際最後は上杉家に仕えた形をとっていたので、十分に考えられることだが、慶次郎、真田幸村、伊達政宗、後藤又兵衛、上杉家の直江兼続、前田家の奥村永福(助右衛門)、そして秀吉が一同に会して山間の温泉に浸かり、天下について語り合っていたシーンには度肝を抜かされた。(奥村助右衛門も慶次郎と同い年の割に若すぎる(笑)→【豪華温泉場面 】)
ちなみに政宗と幸村は慶次郎より25歳下、兼続と又兵衛は20歳下、6歳上でしかない秀吉は「ご老体」とか「ジジイのくせにスゲー体してるな」といわれている(笑)
慶次郎は忍術剣術ともに超人的であることも主人公として魅力的であるが、当代切っての教養人というのも面白い。利家や千利休に茶を入れて「んー、うまい」とうなづかせたとおもったら、自ら写本した伊勢物語が鉄砲の流れ弾で穴が空くと泣いて悔しがる。いかにも慶次郎らしい。写本とは読んで字のごとく本を写すことで、この時代増刷といったらこの方法しかなかった。かなり熱心に筆をとらなければならないので泣くのもわからなくはないが、この本のおかげで弾が貫通しなかったのだから周りの者は唖然とするしかない。
慶次郎は傾奇者であると同時に涼やかな漢でもあった。家康に気に入れられた理由の一つに涼やかで無邪気な笑顔がある。「戦場で傷だらけになったきたねえツラだ」と言ったと思ったら「だがそれがいい」と切り返し、周りを感心させるところは言葉のマジックだ。用法例:アミバ様を見て「狂気に歪んだツラだ だがそれがいい」
光栄の『信長の野望』シリーズに慶次郎が登場したのも『一夢庵風流記』と『花の慶次』の人気のおかげというのはいうまでもない。んー、どうも語り尽くせないので今回はひとまずこれまでとする。
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