<物知り講座>
名古屋のウイロウは、江戸時代に外郎(ういろう)家の番頭さんが外郎の商品名を許され、故郷
(名古屋大須)に帰って始めたと聞いたことがあります。
外郎藤右衛門の祖先は支那台州の人、陳氏延祐といひ元の順宗皇帝に仕え大医院となり
礼部員外郎(ういろう)といふ役であった。明が元を滅ぼすと二朝に仕えることを恥
じて1368年我が国に帰化して陳外郎と称した。
その子大年宗奇が後小松天皇の御代、足利義満の命に応じて明国に使いして家宝の「霊
宝丹」を伝えた。効能顕著であったことから、朝廷、将軍家をはじめ皆これを珍重した。
これにより時の帝より「透頂香」の名を賜った。透頂香は時と共に益々霊薬の名高
く陳外郎の薬と申すところから、この薬を外郎「ういろう」とも呼んだのである。
外郎家五代目外郎藤右衛門定治の時、北条早雲に招かれて小田原に来住して以来、破風に
十六の菊と五三の桐の家紋の付いた「八棟造」の家屋と共に小田原の名物として有名に
なった。また、歌舞伎十八番の「外郎」としても十返舎十九の弥次喜多膝栗毛によって
もあまねく知られるところである。ういろうは日本最古の歴史を持つ薬である。(日
本製薬界の初祖)