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第2ブリーフィングルーム: 歴史小説!!(くだらんけど・・・読んで!!)


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タイトル: 2285 . ♪ 歴史小説!!(くだらんけど・・・読んで!!)
投稿者: 午前零時の悪霊
投稿日: 5/29(18:45)

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こんにちは!午前零時の悪霊です。
全然「バーチャロン」とは無関係ですが・・・。
今回、歴史(鎌倉時代)についてのことをちょっと小説にしてみました。
お暇な方、歴史に興味のある方お読みください。
それでは、スタート!!(読まれて感想をお持ちになったら遠慮なく書いてください)


『大岡裁き』のモデルは北条泰時!?

大岡越前守忠相といえば誰もが知っている江戸時代の奉行である。
しかし、この『誰でも知っている』ということに、日本教育の問題点がある。
こういう疑問を抱いたことはないだろうが、つまり『大岡忠相はなぜ越前守なのか?』
越前守とは、律令体制下における越前国司の最上級官である。
当然、それは中央集権体制下における官僚ポストであり、任期があり交代を前提にした。
もっとも、任期の点は、平安末期に知行国主という制度が出現し、実質的に越前守なら
越前国という国を『領地』として『貰う』形ができたが、それにしても、越前の『国主』
であることは間違いない。
しかし、大岡忠助は旗本であって越前とは何の関係もない。
江戸時代の越前は大野藩、勝山藩、鯖江藩、福井藩といった小藩に分かれていて、
『越前守』などという『役職』が成立する余地がない。
では、国名とその地にいる大名とはまったく一致しないのかといえば、そうでもない。
例えば伊達家は代々『陸奥守』を名乗るし、島津家は『薩摩守』である。
一方で、相模守は老中クラスの大名でなければ名乗れず、武蔵守は一切名乗ってはならないという『ルール』もある。これは相模国には武家政権の古都とも言えるべき鎌倉があるからであり、武蔵国は将軍の領地だからだろう。しかし、それにしても『越前の国の国守だから
越前守』という分かりやすいルールに比べて、なんと言う分かりにくさだろう。
簡単に言えば、江戸時代の武家の『−守』という『律令上の役職名』は、実態を伴わない
名誉職に過ぎないわけだが、それにしてもいつからこんなことになったのか?
こういう習慣は戦国時代末期から江戸時代初期にかけて定着したのだが、その大元は、実は
承久の乱の直後、北条泰時の時代にある。幕府は武力で朝廷を圧倒した。
だから、朝廷のルールや習慣に根元から踏みにじっていいはずである。しかし、彼は
それをしなかった。悪魔でかたちの上では朝廷を尊重したからこそ、こういう主観が江戸時代まで残ったのだ。では、泰時はなぜ『律令体制』を『踏みにじりなかった』のか?
この答えはすでに述べた。それをもう一度思い出して頂く前に、いったい泰時のやったこと
は『革命なのか否か』という問題について考えよう。(続く)

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