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水車小屋に来た、いいねえさん        

仙川のね、万平という工場のそばに、昔ね、水車があったの。そこへね、米をついたり、粉をひいたりしに行くんだけど。夜食の弁当持って、夜、行くんだね。そうすると、狐がね、それぇ食べたくって、いいねえさんに化けてね、やってくるんだって。それでね、弁当きれい一に、食われちゃったって、そんなことあったってね。子どものころ聞いたよ。
〔仙川町 明治30年生 女〕

いいねえさんと古井戸の中へ 

学校の運動場が、狐に化かされた人の屋敷があったとこなんですよ。峯吉さんていうんですけどね、和泉(狛江)の荒井さんと懇意にしていて、秋の収穣のお手伝いに行ったんだね。それで、その帰りに、和泉の庚申ばけ(それは怖いところで、ものすごかったー)の辺にくると、いいねえさんが、「いっしょに行くべえ」って言うんだってね。それで、いっしょに帰ってきて、気がついたら井戸に入ってた。昔の自分の屋敷跡の古井戸だったんだね。いいねえさんが、「そこへ入ろう」と言うので入ったというのだけど、仏さまに井戸に呼び込まれたんじゃないかって、みんなが言ったんですよ。
村中で、見っけ歩いて、三週間目に見っかったんだね。「峯どん、いるかい」と言ったら、井戸で、「おーい」と返事したって。それで、もっこを下げてね、もっこ〔注〕に乗せて引き揚げた。エモリ(イモリ)など食ってたというはんしだったね。井戸バッタも食ったのだろうって。その人は、そのころはもう、いい若い衆だった。鼻唄が好きで、道歩くとき、よく鼻唄をうたっていた。この話は、わたしの子どもの時分、十歳くらいのころの話ですよ。
〔国領町 明治45年生 男〕
〔注〕縄を網状にしたものの四隅に綱をつけ、土や石などを運ぶもの。

 

嫁どりは狐の穴の中

狐につままれちゃってね、どこどこの嫁どりだから、おらぁがと見い行こうって、狐が連れてっちゃうんだって。それで、きれいな座穀でね、嫁どりやってるんでね、それからね、一所懸命見てたんだって。そいで、夜が明けて(昔の嫁どりは夜だからね)わかったんだけどね、狐の穴ん中を、のぞっ込んで見てたんだって。入間の人の話ですよ。       
〔入間町 明治30年生 男〕43 

 

狐の化けた、いい女

よく、いい女が道に出てね、お女郎さんみたいに、頭をすっかり結って、長い着物きて、ふらふら出てね、お墓か何かを屋敷に見せたって。狐が、いい女に化けてね。こういう話は、昔の年寄りが、お茶飲み話にね、「あったとよぉ」なんてぐれえな調子でね、よく話したね。
〔深大寺北町明治29年生 男〕

 

火の玉が燃えあがる

わたしの祖父の話なんだけど、祖母の実家が三鷹の中仙川なんで、そこで建前があって、その帰りのことらしいんです。まあ、お手伝いに行って、ご馳走になって、蛇窪(じやくぼ)っていうとこ、道が狭くなってススキが両側から生い茂っていたようなところを、帰りに料理をいただいたりなんかして、昔のことだから天秤棒で担いで帰ってきた、なんてことで。そうすると、脇の山のふちを、コソコソコソコソ、何か音がするらしいんですよね。うちの信太郎じいさんてのは、鉄砲持って猟師もやってたことあったもんですからね、「こいつ、狐がいたずらしてるな」っていうこと、感づいたもんですから、平気で歩いてきたんです。それで、何にもまあ、狐がいたずらもできなくって、今、そこに、うちの竹やぶがありますね、そこんとこまで来たら、昔の家ですから、そこの向こうに便所があって、その便所のところで、ものすごい火の玉がパーツと燃えあがって。そいで、びっくりして、その荷物捨てていくかと狐が思ったらしいんだけどね、「この野郎、いたずらしやがった」っていうことで、何でもなく家ん中へ入ってきちゃったって。狐がご馳走とろうとしたけど、こっちが初めから気がついたもんですからね、化かされなかったわけね。
〔西つつじヶ丘 大正5年生 男〕
(『調布市史 民俗編』より)

家の近くの畑でおお深い

今、小島町に電通大学ができているけど、あれを越した方なんだけどね、狐塚っていって塚があった。そこに、狐が入って、棲まってたらしいんで。これは、又佐(またずみ/深大寺元町)の人の話なんだけどね。で、冬、「雪が降るから、きょうは狐捕ってきて、狐卵でもして食うべえや」ってわけで、そうして、二人で行ったんだって。うちの者は、「あんな、ばかなことしなけりやいいのに」って、そう言ってたんだって。そうしたところが、いつまでたっても、帰ってこないんだって。「こりゃあ、やつら、化かされちまったんだんべ、え」って、言ってたんだって。
狐っていうのは、一っ所じゃねえんだってね、穴あ掘っとくのは。狐え捕りに行った二人はね、こも〔注〕を持ってってね、ふたぁしたんだってよ、穴にね。そうしたところ、すっかり化かされちゃってねえ。こっち側ふたぁしたって、もう、先へ出ちゃってるんだって。それで、化かされちゃってね、てめえの家の方へ連れられて来ちゃってね、家のまわりに来たらしいんだね。それでもって、畑え行ったり来たり、行ったり来たりして、畑えごしもごしゃにしちゃったんだって。
「おお深い、おお深い」ってもう、けつぅまくって歩くんだって。そんでもっていたら、兄さんがね、ほうきでもって道掃きをしてたんだって。そうしたらね、そんなことして、二人が行ったり来たりしてるんだって。「何いしてるんだ」って、そう言って兄さんにね、そのほうきで頭をぶん殴られたんだって。そうしたら、急に明るくなったって。それで、道をきいたんだって。「まことに申しわけねえけれど、又住のこういうとこへ行きてえんだけれども、どっちへ行ったらよかんべ」って、きいたんだって。そうしたら、その掃いていたほうきでね、「このばか野郎」って、そう言ってね、兄貴が、ほうきでもってぶん殴ったんだって。「それみろ、だめだ。そんなもの捕りい行くからだ」って。「このばかやつら」って、ぶん殴られたら、そうしたら、いっぺんに夜が明けたようになったって。
〔深大寺南町 明治39年生 男〕
(『調布の民俗覚書』より)             
〔注〕 荒く織ったむしろ


 
山の中をおお深い

おいら、子どもの時分、四、五人でクツワムシ捕りに行ったんだよ。昔ね、山野 (さんや/深大寺北町) の方にね、屑
(くず/落葉や桔梗など) を掃(ま)く山(雑木林)があったんだよ。屑掃きして、焚き物をつくるのに。そこへね、ガチャゲチャガチャガチャ、クツワムシが鳴いてるんでね、捕りい行った。提灯つけてね。そしたら、仲間だけが化かされたんだな、あれ。昔は、今みたいにズボンじゃねえから、着物だろう、その尻いまくって、「おお深い、おお深い」って、出てくるんでよぉ、おいらびっくりしちゃったよぉ。
タケちゃんていうんだ。「タケちゃん、ここ、川じゃねえよ」。「おお深い、深いよぉ、深いとこへ入っちまうよ」って言うから、「ここ、山だよ」。それでも、まぁだわかんない。それで、おれたち、おっかなくなっちゃった。おっかねえから、「おっかねえー」って、逃げちゃった。狐に化かされたんだよ、タケちゃんが。
〔深大寺元町 明治42年生 男〕

 

肥溜をおお深い

村祭りの帰りにね、肥溜(こえだめ)の中に入れられて、「おお深い、おお深い」って、歩っていたってよ。この布田の人だよ。狐に化かされてね。 そんな話、子どものころ、近所の年寄りがよくしたよ。
布田 明治45年生 男〕

水たまりをおお深い、そばはミミズ

化かされた人の名前までは聞かなかったけど、子どものころ、おばあさんから、よく狐に化かされた話を、伽ばなし的に聞かされたものでしたね。狐に化かされて、一晩中ススキの中を歩きまわされた人がいたって。雨上がりの水たまりなんかのところを、「おお深い、おお深い」って、尻っぼしょりしながら、ぐるぐる歩きまわっていたってよ。
きれいな娘さんに狐が化けてきて、おそばをご馳走してやるということで、ついてったら、おそばじゃな〈てミミズだったって。何か、狐の好きなものを持ってた人が、狐がそれをほしいので化かされちゃってね、すりかえられたっていうか、取りか、えられちゃって、馬糞を包みの中に入れかえられたって。
〔東つつじヶ丘 明治45年生 男〕

風呂は肥溜、ぼた餅は馬の糞

わたしのおじいさんは、よくおもしろい話をしてくれました。おじいさんは酒飲みでね、トリさん店(上佐須)に一杯酒を飲みに行くでしょう、そうすると、狐に化かされてね、「いいお風呂だから入れ」って、いいおねえさんが出てきて、言われてね、肥溜に入ったことがあるんだって。そうしてね、目が覚めてね、どうしていいかわかんないで、野川とか、ませぐちの川とかに入って洗ってね、帰ってきたって。
おじいさんが、びしょぬれになって帰ってくるんですね。わたしら、七、八つのころ。「おじいさん、どうしたの」ってきくと、「おれは、今夜は狐につままれたい」って言う。「どうして」ってきいたら、「きれえな、いいねえさんが出てきて、風呂に入れって、言うから、入ってね、いい気持ちで、出てみたら、とんでもねえとこ歩いてて、臭くって臭くってね、そのときは、まだ気がつかないで、家の方角もわからない」って。
「本当にそんなことあったんかねぇ」って言うと、おじいさんは、「あった」って言うんですよ。そうしてね、何か、食えって言われて出されたものが、食うとくず葉で、食えなかったとかね、島田に結った、いいねえさんが、お盆の上にぼた餅をのせてきてくれたから、食べたら馬の糞だったって。
〔深大寺元町 明治43年生 女〕

風呂は肥溜、ご馳走は牛や馬の薫

多摩川の土手を、狐が行ったり来たりするんだよね。それでね、お酒飲んで帰ってきた人なんかがね、自分の
家い帰らないでね、違う方へ、狐の棲んでる方へ、連れてかれちゃったって。その人の明かりでもってね。
狐は、人間に化けてきて、ご馳走してやる、お揚い入れてやるってね。それで、肥溜に入れられちゃったんだっ
て。それが、いい気持ちなんだってね。ご馳走はね、牛や馬の糞、そういうの、ご馳走して〈れるんだって。お
そばが、メメズでね。
わたしは、川向こうの稲田堤の生まれでね、これは、子どものころ、よく聞いた話だよ。なにしろ、多摩川の
土手にはね、狐がいっぱいいたんだから。若い娘なんか、化かされちゃうから、夕方なんか出られなかった。大
正の初めに、こっちい嫁にきてからはね、ここじゃ、そんなことなかったけど。
〔国領町 明治29年生 女〕

大だまりの大蛇 二 大水のときに

多摩川の大だまりって、あそこには、大蛇がな、蛇のでかいのがいたらしいやなぁ。今は、すっかり開けちゃったけど、多摩川の駅の近くだよ。菖蒲園なんかある、あそこんとこに。大水があると、出てくるんだね。見たりすると、からだが狂っちまうんだな。あまりでかいから、びっくりして。そういうことは聞いている。若い衆のころだったかな。
〔下石原 明治27年生 男〕


多摩川のふちには、えらく大っきい蛇がいたってね。うちの、昔のおばあさんがね、そのころ、馬がいたんで、馬の餌にする草刈りに行ったら、こんな、三寸近い太い蛇がね、川っぶちに濾てたらしいんだね。そいで、ウーウーッて、うなってたからね、いびきいかいて寝てやがったからね、草の龍をおっぽって逃げてきたなんて、よくききましたね。
〔布田 明治45年生 男〕

 

狐のしっぽ

狐は、人を化かすとき、尾っぽを振るんだって言ったよ。狐の尾っぽで、人間が自由にされちまう。よく、そ
んなこというね。東にしっぽを振れば、人間は西い行くし、西い振れば、東に行っちゃう。化かすときにはね、
しっぽで化かすんだって。昔の年寄りは、よく言ってたね。
〔深大寺北町 明治29年生 男〕(『調布市史 民俗編』より)

大山帰りに、狐の仕返し

昔、大山(おおやま)へは、みんな歩いて行ったもんなんですよ。雨乞いや何やらでね。
そいで、大山の帰りにね、狐がね、いーい気持ちでね、原っぱへ行ったら寝てるからね、「こいつ、こんなとこで、いい気持ちで寝てやがるから、おどかしてやれ」ってんでね、なんか、棒か何かで、いやっていうほどおどかしたらしいんですよ。そうしたらもう、それこそ、すっ跳び上がって、逃げたんで。
それでね、「びっくりしやがって、逃げやがったな」なんて言いながらね、帰って来たらね、帰り道、だんだんだんだん世間が暗くなってね、そのうちに、真っ暗になっちゃったんですって。
そいでねぇ、「まあ、こんなに早く日が暮れるわけはねえし、どうしたんだろうな」ってんでね。そうしたら、そのね、暗やみの中をね、提灯(ちようちん)が、こう、来るんですってさぁ。そしたら、それが、弔いの行列なんだって。それでね、「やなとこへ、弔いが来ちゃったな」ったら、ちょうど、すぐそこに、お寺があるんだってさ。それから、じゃ、お寺へ逃げ込んだら、そのお寺へ来ちゃったんだって。それで、おっかないんでね、で、こんな大っきな木があったんで、それぇよじのぼっちゃったんですって。それで、見てたらねぇ、自分のよじのぼった下い、死んだ人間をね、埋けてね、埋めて帰っちゃったんだって。
それでね、下りることはできないしねぇ、そーんで、しようがなくってね、まあ最後には、もう疲れちゃったからね、いきなり飛び下りちゃったらしいんですよ。そうしたらね、なんのことはない、いーい天気なんですって。そんで、そこいら何もありゃしねえんだって。だから、すっかり、そのね、狐に敵(かたき)い取られちゃったんだろうって。
こういうおっかない思いをした人もあるんだって話をね、ばあさん(祖母)が、よく言ったよ。これは、どこの人かわからないけど、ほんとみたいな、うそみたいな話でね。こういう話に夢中になるころにね、聞いたの。
〔西つつじヶ丘 明治44年生 男〕
【補注】大山阿夫利(おおやまあふり)神社(神奈川県伊勢原市)は、豊作祈願や雨乞いで知られている。
江戸時代から大山参りが盛んに行われ、調布市域にも大山講があった。


狐の送り出し

狐が憑いちゃって、それを送り出すってこと、やったらしいですよ。狐がね、「わたしはここなら食っていられるからいるんで、食う物を付けて出してくれれば、この家い離れる」って言うんですって。これは、御師(おし)っていうか、神主っていうか、そんな人に問わせると、狐の憑いた本人が言うってんですね。それでね、「食う物付けて送ってやるから、だから、どこそこまで送ってやるから、もう来るな」って。
送り出しってね、狐が、油揚がほしいんだか、何がほしいんだか、そういう物をくれれば出て行くってね、それで、辻みたいなとこに、桟俵(さんだわら〔注〕)なんかに食う物のせて、持っていくんだね。そういうことは、よく話に聞いてますよ。
〔小島町 明治36年生 男〕
〔注〕 米俵の両端にあてる、わらで編んだ円いふた。



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