甲斐駒ヶ岳Aフランケ(新ルート開拓)
<甲斐駒ヶ岳Aフランケ(新ルート開拓)>
<ルート名/夜間飛行>
ARIアルパインクラブ/河角敏樹・龍峰登高会/西沢直志
<記録> 河角敏樹
1 ルート名 夜間飛行
2 期間 (試登、荷揚げ)1996年7月27日〜28日 (開拓)1996年8月10日〜14日
3 開拓者 西沢直志(龍峰登高会)/河角敏樹(ARIアルパインクラブ)
今回、ルート開拓を行った西沢氏とは、ひょんな事より知り合い、アメリカンエイドと言われる国内のルートを
7本ほど登ることができた。(谷川岳/不思議ロード、甲斐駒ヶ岳/極楽トンボ、丸山東壁/アペンディクス、京
都府立大など)そして、当然の成り行きと言うべきであろうが、自分たちのルートを作ってゆきたいと言う夢が広
がっていった。
どこにルートを作るか、これは大変に重要な事である。何しろ国内においては、どこも、既に開拓されつくした
感が強く。特に、穂高屏風岩などでは、新ルートの開拓ではどのルートもアミダクジの様に、登っては左へ右へト
ラバースし、弱点をつなげていくと言ったような、大変な苦労と熱意の上にルートが作られている。ましてや私ら
の様な金も、時間も少ない者達にとっては、さほど遠くないと言うのは重要な要素である。又、西沢氏は、過去2
年、私は昨年甲斐駒ヶ岳のAフランケを登っており、何かと様子も分かっており、大した迷いもなくAフランケに
ルートを作る事にした。
<荷揚げ、試登>
何度か行ったことがあるとは言っても、実際に今回の予定のラインをまじまじと観察した事はない。写真などに
よっては、クラックらしきものが走っているように見えるが、実際に見てみないことには始まらない。そこで7月
27日、28日の2日間で、荷揚げをかねて試登を行った。
荷揚げの方は当然の如く、1人40Kg近くもある荷物のために、なかなか足が進まず、朝5時に駒ヶ岳神社を出
発したのだが、Aフランケの基部にたどり着いたのは、夕方6時近くなってしまった。予定では、今日中に1Pの
フィックス工作を行うつもりではあったが、あきらめてビハークの用意をした。
明けて28日、朝食も程々に取り付き予定の大木の所へ向かう。<毒蜘蛛ルート>のさらに右へザイルを50m
一杯延ばした所となるのだが、踏み跡もなく悪い草付きの中のトラバースと言うことで、思った以上に時間がかか
ってしまった。どうにか大木の所にたどり着き、岩を観察してみると、試登したらしき後は左の方にあるものの予
定のラインは、いまだ手つかずの様である。
しっかりしたビレーポイントを作り、西沢氏が早速リードする。以前から日本のアメリカンエイドはたとえるな
らば道路工事だなどと言ってはいるのだが、未登のルートとなると更にひどい。リードしてる西沢氏も泥だらけで、
更にビレーしている私にも泥が雨、アラレと降り注いでくる。しかも、ルートそのものは目の前の大木の陰になっ
ているため、ビレーしている私からは、今一つよく見えないが、ザイルの延び具合から考えると、着実に登ってい
るようである。ようやく大木の陰から抜け出し、3〜4m登った所で1P目の終了となった。
今回は、試登なので、この後2P目の出だしの所のポイントを探り、本番についての期待を膨らませながら下山
した。
<開拓、成功そして下山>
試登より2週間が過ぎ、いよいよ8月10日出発の日が来た。それぞれのホールバックに食料、水、不足してい
た多少のギア、ザイルを詰め込み再びAフランケへと向かう。今回は、単独で極楽トンボへ行くと言う友人の有持
氏と3名で、アプローチも難なく登り3時には、2P目のフィックス作業に入る事ができた。
2P目の出だしの4ポイントほどは、前回の試登時にハーケンを残置したので、そこからの登攀となる。ビレー
点より右のリス、そしてリスの突き当たった所で更に右のもろい凹角へトラバースし、最後は右の屋根型ハングの
右の切れ目の様な所から上の草付きに出るのであるが、ハングの抜け口の草付きに移る所で、怪しいブッシュに手
をかけながら西沢氏が悲痛な声を出しながら越えていく、しかも時間は既に午後7時を回り、月明かりだけが頼り
と言った状態である。
何事も起こらねば良いがと願っていると、<ビレー解除>の声がかかり、初日の作業を終了とした。真っ暗の中
を懸垂下降する姿勢は、さながら<夜間飛行>といった様である。
11日、前日のピッチのクリーニングより作業を開始した。思った以上にルートは屈曲していて、やっかいなも
のではあったが、岩が脆いためにハーケンが抜けやすい事は、クリーニングするにはありがたい事である。続く3
P目、下より見上げた時は、緩傾斜のコーナーを直上しピナクルテラスへといった様ではあるが、下で見るのと実
際に登るのとは大違いで、脆い草付きより左へトラバース後、ブッシュのうるさいコーナーをドロを払いながら登
るといった具合で、しかも傾斜は思っていた以上に強い。リードの西沢氏は再び泥まみれになりながら登る。
途中2ポイントほど、ブッシュがうるさくクラックが見えないためにボルトを打つことになったのは残念ではあ
るが、ピナクルテラス下のカンテの乗越を微妙なフリーで越え、ピナクルテラスへ。テラスの広さは50cm×15
0cmくらいの広さで、やや外傾気味ではあるが今回のルートの中では唯一、一息のつける所であった。時間はまだ
午後2時と早いが、ザイルも延ばしきった感じではあるし、明日からのアタックに備えて下降する事にした。
12日、いよいよ基部に作ったベースを撤収し、全ての装備をホールバックに詰め込み、アタックに入る。昨日
の到達点である、ピナクルテラスまでは3Pのユマーリングであるが、最初の取り付き点までのユマーリングは、
荷物を背負ってのユマーリングで、朝一番の寝ぼけた体には大変しんどいものであった。結局、ピナクルへは10
時ごろたどり着き、これより次ぎのピッチへ入った。
テラスより直上は、すでに泉州会ルートが作られているので、ピナクルを右へトラバースし、右にある凹角へ入
り込む。ピナクルの岩角のことを考えると、凹角に入ってもプロテクションをなかなかとることができず緊張させ
られる。又、相変わらずクラックないにはドロが詰まっていて、リードしている私も、ビレーしている西沢も泥だ
らけである。
15mほどザイルを延ばし、レッジとなったのでビレーポイントを作る。次のピッチは、同じ凹角の中をやはり
泥まみれの登攀となった。フレンズ、ハーケンで直上した後、いきずまった所で、振り子で左の泉州会ルートのボ
ルトテラスへ出て終了。
ボルトテラスよりは、1P泉州会ルートを登る。ボルトラダーよりハーケンそして木の杭などが使われている。
昔は、フレンズなどがなかっったためにこの様な物が使われたのだろうか。先人の熱意には頭が下がる思いである。
このピッチの終了点よりピナクルテラスへ下降し、本日の行動は終了した。
13日、岩棚に座ってのビバークを終えて、体の節々の痛みを覚えながら3P目を目指す。前日の終了点の所ま
で快調にユマーリング、荷揚げとこなし、今日こそは抜けるぞとの思いで取り付く。コルデルートの大テラスまで
約40mといった所で、直上しているジェードルにフレンズ、ハーケンといったギアで登っていく。ブッシュは相
変わらずうるさいが、しっかりしたクラックがジェードルの出口まで続いている。
出口から3m位の嫌らしいフリーの後、コルデルートと合流しコルデの大テラスへと出た。オリジナルルートは
ここで終わりで、残りは、コルデルートの2Pのみとなったが、運悪く登り始めると雨が降ってきた。このピッチ
はW+とグレード的にはさほど難しいものではないが、非常に脆く何回か死亡事故も発生している所で、しかも雨
はいよいよ強くなり土砂降りといった感じである。濡れたザイルは、ルートの屈曲も伴って流れは非常に悪い。リ
ードしている西沢の<ザイル!>そしてビレーしている私の<出しているよ!>と言う悲痛なやりとりが何度とな
く行われ、<ビレー解除>のコールがかかった。しかし、ここで一安心というわけにはいかず、屈曲したルートで
の50kgからなる荷揚げが待っていた。
当然の事ではあるが、先ほどより雨は更に強くなり、フォローが荷を押し上げたあと、リードした西沢が押し上
げた分引っ張りあげる。メインザイルは岩角などに引っかかったりしているため、ユマーリングとはいっても生き
た心地はしなかった。そして最後のピッチは、樹林の中の所々のでたブッシュ帯の中を1P登り、Bバンドへ出て
終了となった。雨ですぶ濡れの体ではあるが、堅い握手を交わすが、いつの間にか時刻も5時を回っており、荷物
をまとめ大急ぎでAフランケの頭の岩小屋へと入った。
14日、40kgもの荷物にあえぎながら、黒戸尾根を下降した。なおルート名は、初日の日没までの行動と、1
2日夜のピナクルテラスでのビバークの印象より<夜間飛行>と命名した。
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