< 報 告 >豊川山岳会/上田歳彦
<遭難事故日> 1997年5月5日(月)
先日の5/5の穂高涸沢、アズキ沢の雪崩事故の状況報告をします。
この雪崩により、この5月からK2遠征を予定しておられた隊長の徳島さんが亡くなられています。
(TVのニュースで放映された)
この時、豊川山岳会と渓稜会の4人Pで5/5の朝から涸沢から白出のコルへ向けて登り返しをしているとこ
ろでした。取っていたルートはザイテングラートの少し左、浅い沢の中央部からは少し右側でした。以下、発
見者の状況報告を抜粋してそのまま転記します。
1997/5/5
山荘まであと150mのところで雪崩発生。Sさんが最初に気付き後続の沢を歩いていた登山者にコールする。
私も必死に叫ぶ。近くにいた2人はコールに気付き急いで避難し、助かる。
雪崩(セッピブロックの小さなものが落ちたと思う)は当初小さなものだったが岩にブロックが当たった時点
から急に大きくなる。下部約200〜300mを登山していた2人が雪崩に巻き込まれるのを目撃。
巻き込まれた瞬間、体が雪の中に飲み込まれ、見えなくなる。約50〜100m落ちると体が浮かんできた。
そのまま浮かんでいれば助すかるがなぁ。と思っていたらまた飲み込まれた。
2〜3回これを繰り返したように思う。一人はザイテングラートの末端で小さな点としてみえた。体が出て
いるのか、手だけなのかわからない。3人目が飲み込まれたのはわからなかった。
直ぐに、無線で雪崩遭難を連絡。メインコールで幸いにも諏訪の方が出られ、警察に連絡してくれたらしい。
尚も、山荘からの下山者に声で連絡。すぐに山岳警備隊の方が駆けつけて現場に向かった。
−河合−
この後は目撃したパーティーは白出のコルに上がっているので詳細は不明です。
アズキ沢は新雪期や残雪の時期にも雪崩が出る場所のようです。私も数年前5月の末に朝、上高地を発って
涸沢から昼過ぎに白出のコルめがけて登っている時に同じアズキ沢から雪崩が2ー3回ありました。量やスピ
ードも大したことがなかったのでよけられました。
これも数年前の11月初め、アルパインガイドを含めた何名かが雪崩にあったのもアズキ沢だったと思いま
す。
涸沢は冬期は雪崩の巣ですが春も状況判断が必要ということだと思います。ザイテングラートを忠実に登っ
ていれば大丈夫だったのでしょうか?もしどなたか経験があればお聞かせ下さい。
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