北ア鹿島槍・荒沢ダイレクトルンゼ事故報告

<報告者>京都左京労山/野村勝美

<山行日>     1997年3月22日
 去る3月22日、上記ルートにて墜落事故を起こし、翌日救助要請をするに至りま
した。以下、今回の事故の経緯と原因及び反省点につき報告致します。

<経過概説>
・計画

 Aの山行テーマである"アルパインアイス"の登高計画の一環。今回のルートの他には剣岳剣尾根R4〜
本峰の計画あり。二年前にも単独で入山したものの、JPまで来てビビって何もできずに下山。アプロー
チの東尾根は、それを含め過去二回経験あり。

 今回は、「面白そう」と興味を示したB君をパートナーとする。絶対経験はの不足は否定できないが、
その技量・体力共に問題ないので特に心配はせず。

 資料自体特にこれといったものがないので、計画書を準備し、あとは"アイスクライミング"に各自目を
通しただけで、特段ミーティングの場は持たず。

 留守本部はCさんに依頼。ルートの性格上、好天(低気温の曇天がベスト)が絶対条件なので、3月22
−23日若しくは30−31日とし条件の揃った場合に実行とする。少なくともアタック〜下山となる
23日は天候が良さそうであったため、21日夜、出発。一応ルート及び天候状況が良くない場合を想定し
、南稜を予備ルートとする。

 ルートの性質上、日数の設定について特に問題があったは考えないし、また入山のタイミングについても、
特に間違っていたようには思わない。

・事故発生までの行動

 この山域もご多聞に漏れず相当な寡雪。大谷原の橋まで道が出ていた。飛び石連休を利用して結構な数の
パーティーが入山した様子で、トレイルはJPまでバッチリ残っていた。ただ前夜、山の上では30CM程新
雪が積もったらしく、尾根上でも危険な個所がある−と言って下山するパーティーもあったが、実際にはこ
れという危険も感じず、わずか5時間で取付への下降口である、荒沢尾根と東尾根との合流点であるJPに
到着。

 途中、荒沢尾根を登った京都岳人Pに会い、前日ダイレクトルンゼを登ったパーティーがあったこと、ま
たルートの状態は良い−との情報を得る。

 稜線上に出てからは新たな降雪もなく、斜面の雪も安定している様子、また時間的余裕もあることなので、
荒沢に下降しルート取付に向かうことにする。

 まず吊り下ろし気味にコンテで50M、続いて潅木支点で懸垂50Mを二回で荒沢に降り立つ。雪質は安定
していたが、念のためそこからアンザイレンで取付に向かう。南稜末端を巻き、14時頃にはルートの取付下
へ。この辺りより低い所では、すっきりとはしないものの天候は回復したが、高い所ではガスが掛かった状態
で、或いは降雪が続いているのかルートには間断なくチリ雪崩が落ちる。

 岩壁との間にできたシュルント状を整地しそこをビヴァークサイトに定める。時間的にもまだまだ余裕あり、
うまくすれば今日のうちに核心部を越えてしまえないかと思いつつ、ルートの状況、スノーシャワーの規模を
確かめるため一旦ルートに取り付くが、登れない程ではないものの、チリ雪崩が一向に収まりそうにないので
中断し、Bvサイトへ戻る。相談の結果、チリ雪崩が落ち着くのを待って、時間あれば翌日の行動を迅速にす
るため、再度フィックスに向かうこととする。

・事故時の状況

 16時過ぎ、天候が更に回復した様子。ルートを落ちるチリ雪崩も収まったように見受けられるのでフィッ
クスをする時間はあるだろうと判断、時間がかかった場合を想定し、ヘッドランプを装着のうえ取付に向かう。

 B君にリードの意向を確認すると、「(核心の)2P目がやりたい」とのことだったので、彼ならできるだろ
うと思い、その意気を買い、1P目A、続いてツルベで2P目Bとする。

 ルートは非対称で概して左側(右岸)の方が傾斜がきつく、かつ長い。氷質も安定しているようだ。滝幅は6
〜8Mか。出だしはその左寄りに取り付き、3M80度程度を越えると傾斜は緩くなる。次の垂直部も右に寄
るほど短くなっており、その基部に沿って60度までの右上バンド状になっている。

 バンドに沿って右に出る前にパイプスクリューでランニングを取る。効きはまずまず。ここで一旦ピッチを
切ることも考えた。正面の氷に試しにピックを打ち込んでみるとまずまずの氷質である。だがこのラインだと、
途中僅かに傾斜が緩くなる部分があるとはいえ、10M弱の完全な垂直部が二本連続する。技術的に少々きつ
いように感じた。右に行けば最初の垂直部は3M程度、そこから70〜80度を左上気味に行く。最後はどう
しても落口下で垂直となるが、純粋な垂直は数メートル−このラインを選択し、バンドを右上した。

 滝の右端に到着し垂直部にピックを打つと、氷質は極めて脆弱でとてもビレー点は設定できない。すぐ脇に
岩が出ているので、氷を剥がしピンを打ち込む。

 ところが、これまた脆く、打つ度にリスが拡張する。打ち足すと岩が割れた。この頃より再度スノーシャワ
ーが出始めた。氷から体が剥がされるようなものではないのだが、作業は中断される。なかなかピンが決まら
ないので、ビレー点をバンドの出だしのパイプスクリューの所まで戻ることも考えたが、先にしたラインの選
択、及びこのチリ雪崩の中の億劫さを思い、結局ここをビレー点とすることにした。散々苦労の末、一本はタ
イオフではあるがまずまず、もう一本は拡張性のリスに根元まで、共にロストアローがなんとか食い込んだよ
うに思った。但し、共に縦リスである。二本のロストアローに各々シュリンゲを結び、ハーネスに接続してセ
ルフビレーを取る。

 確保器(8環)は直接ハーネスから取り、ビレー点に衝撃が加わらない形にした。まず静加重は大丈夫だろう
と、B君を迎える。チリ雪崩は頻発という程ではないが、依然続いていた。「今日はこれまで」とすることは
十分あり得たが、正直なところ、このピンで懸垂はしたくないなと思った。

 ノンプロで墜ちられるとやばいが、しばらく登って効いたランニングが取れればそれで済むことなので、気
合いを入れてB君を送り出す。出だしは、多少左寄りに氷質のいい部分がありそこから越えていく。その上は
傾斜は緩くなるが70度ほど。

 真上が氷柱状の下にあたり、こういった箇所は概して最中状というかスカスカの極めて厄介な氷質なのが一
般的。B君はそこにランニングを埋めようと苦労している様子。やはり満足なものにはならなかったが、仕方
なくそれをランニングとし、リードを続行。下から「(次第に左寄りに)トラバース気味に登れ」と指示する。

 見た感じ、スノーシャワーも左寄りの方が若干マシのようだ。しかし、氷質が悪いのか或いはムーブが悪い
のか、B君は更に2〜3M直上し次のランニングの設置を試みる。先程以上に氷質が悪いみたいで、またチリ
雪崩も続いており相当に苦労している。二、三度埋めてみたが全くダメな模様なので、「そんなところで消耗
するより、登ることに集中してもっと安定した所でプロテクションを取れ」と指示する。

 一応そこにランニングを残し、左へのムーブに移り始めた。ビレー点からは7〜8Mほど。次の瞬間、スノ
ーシャワーの中に滑り墜ちるB君の姿があった。やはりランニングは効いていないのだろう、ビレーする手に
ロープの張力は全く感じられない。「止められるか」「ビレー点は保つか」と思っている内に一気に引き込ま
れる強い衝撃、B君の墜落からこの間二秒前後か。

 セルフビレーの抵抗は全く感じられなかった。「やっぱりダメか」と思う間もなく、先の右上バンドでか、
左腰を強かに打ちつけバウンドして更に落下し続ける。「死ぬかな」と思ったが、次の瞬間滝下のデブリに突
っ込み、「助かった」。

 右足から突っ込み、右向きに体を捻るような形で頭が谷側に下がった窮屈な体勢。左足は埋まっていないも
のの付け根のところで変に捻れているのか、痛くて動かせない。自分の無事を確かめるとB君の姿を探す。彼
はうまいこと着地できたようで、デブリに埋まることもなく、Aから更に10M弱下の地点にいた。多少ショ
ックを受けているようだが、特に痛めた部位はなさそう。ほっと一息すると、自分の体勢が苦しくて仕方なく
なりだした。

 B君に頼んで、足を掘り出してもらう。その右足は問題なさそうだが、左の腰から足の付け根にかけて、打
撲と捻挫か何かで痛みがある。何とか体勢を立て直し、ギアやロープを整理した後、足を引きずりながらBv
サイトに戻る。
   
・事故後の行動

 左足の痛み故に動作が制約され、また時間が大幅にかかったが通常通りBv。もしこれがただの打撲で、翌
朝ちょっと無理して動けるものならば計画続行も考えたが、実はB君も右膝を負傷しており、フロントポイン
ティングができないとのこと。翌日は好天が期待でき、また今日の様子からして雪も安定しているようなので
翌朝4時に荒沢を一気に下降することにする。

 22時?就寝、翌朝2時半起床。但し、痛くて殆ど眠れなかった。天候及び雪の状態はほぼ期待した通り。
ただ、いよいよ撤収という段になって、立つことすら自分が満足にできないことが分かり愕然とする。左足に
全く加重できない。前日の経験からして、前向きには無理でも、後ろ向きにならば下降できるだろうと思って
いたが、それも難しい。出だしの急傾斜、その後も表面が粉雪状の下降は何とかこなせたが、ステップが潜る
ようになり足を上げる必要が出てくると全く動けなくなった。

 B君の機転で、下半身をマットとツェルトで包み、ロープで確保しながらしばらく下降を続ける。しかしや
がて沢の傾斜も緩くなり滑り降ろすことができなくなる。「自分らのことは自分たちで処理しましょう」とい
うB君の言うことはよく理解できる。

 自分も怪我の手当は何とか京都に戻って受けたいと思ったが、この状態ではとても下降できないと判断し、
B君に救助を要請すべく先行してもらうことにする。その際、まず留守本部に連絡し県警に救助要請する旨断
っておくこと、しかる後に県警に救助要請するよう指示する。

・救助要請〜救助まで
 B君はロープでAのザックを引きながら下降、ザックは荒沢の出合付近、Aが前進可能な地点まで持って行
くことにする。救助が到着するまで、Aはそれを目指して自力下降を続けることにする。というのは、Aが勝
手に救助はソリでされるだろうと考えたからだ。

 荒沢尾根末端辺りでB君と別れ、初めは左足を真っ直ぐ投げだし、ストックに膝と足の付け根を縛り付けて
簡易固定とし、両手と右足で前向きにボートを漕ぐようにして斜面を下る。

 デブリや雪が軟らかくなってくると左足の踵が引っかかって進めなくなる。足を持ちあげたり、お尻を移動
させてそれらを抜ける。堅い雪面だと臀部の痛みが響く。
 
 傾斜が緩くなると、今度は後ろ向きに同様の動作を繰り返す。この方が足は引っ掛からないものの、動作と
してはきつい。また、高くなった日差しが目にきつく、その向こうに峨々たる荒沢奥壁が一歩?毎に遠ざかっ
ていく!

 あと僅かでB君が置いていった自分のザックに到着できるところまで来た時、不意にヘリがやってきた。僕
の姿を発見すると、「Aさんか」と確認。

 それに応えると、ヘリはやがて僕の真上にやってきて隊員一人を降ろし、彼の補助で僕はワイヤーにて吊り
上げられ、ピックアップされた。ザックとアックスはその場に残された。(ザックは翌日回収完了)

受傷状況
      
 左足大腿骨転子部粉砕骨折、全治三ヶ月(入院五週間)
 3/27に救急入院先の安曇病院(長野県)より京都市内の洛陽病院に転院

<行動概要>

3月22日(土) 雪のち曇り時々晴れ

 大谷原6:30−7:00東尾根取付−9:35一ノ沢の頭−11:20JP11:55(荒沢へ下降開始)−12:15南稜末端−14:00?
ダイレクトルンゼ取付下(Bvサイト)−16:15?フィックス1P目開始−17:30?事故発生−19:00?Bvサイト

3月23日(日) 晴れ
 Bvサイト(荒沢下降開始)4:05−7:00?荒沢尾根末端、救助要請のためB君先行−9:30?大谷原にて救助要請−
10:05留守本部(C氏)へ連絡−12:00?県警ヘリにて救助完了(荒沢出合付近)

<事故の主因>

@・ 直接にはB君の墜落に起因することではあるが、本番ではそれは想定内のこと
 ・ 従い、それが起こっても止められるビレー点を設定するのが肝要であるが、それを果たせなかったAのミ
  スが主因である
 ・ 問題の今回のビレー点は、岩質が脆弱な所としてはできるだけはした(技術面)
 ・ しかし、それでは解決策にはなり得ない。正解は、クライムダウン(5M)して途中でランニングを取った
  安定した氷質の地点にビレー点を設定するべきであった
  ・ それは考えたが、弱いなりにもスノーシャワーが断続的に出ており、引き返すのが厄介となった
  ・ また、自分としてもピン打ちには自信あり、とりあえず静加重に対しては大丈夫なものが設置できたこと
  が、動加重への安全性と混同してしまった 
  ・・・ ある種の<慣れ>による危険

A・ B君の登高能力を過信したAの判断ミス
 ・ 前回の穂高(ルンゼ状スラブ)での活躍が非常に印象強いため、B君が核心である2P目を希望したのに対
  し、彼ならできるだろうと鵜呑みした
 ・ しかし普通に考えれば、アルパインでの、時にスカスカのデリケートな氷に対処するにはあまりに経験不
  足だったか
 ・ また、1P目終了時点よりスノーシャワーが再び出るようになり、決して行動中止が必要な程ではないに
  しろ、B君にはプレッシャーとなり得た
 ・ 一方Aも、ビレー点の不確実さゆえにここで行動を打ち切ってフィックスとするには不安を感じ、もう1
  P延ばして確実な支点を設定することを考えた
 ・ @の指摘にもあるが、本来トップが墜ちても止め得るビレー点の設置がイの一番であるはずにも係らず、
  それに不確実さを抱えながらもB君なら行けるだろうと安易にトップを送り出してしまった
   ・・・ 自己(パーティー)の実力の<過信>による危険

<今回の事故における反省点>

 <事故の主因>と重なるが、確実なビレー点の確保を怠ったこと(@)、及びリーダーとして判断が甘かったこ
と(A)が挙げられる。

 今後は今回の経験を"貴重な教訓"とし、同様の状況に立ち会った際にはその場での最良の手段を選択するべく
的確な判断並びに行動を心掛けたい。

 @について更に言えば、山野井泰史の言動で一つだけ傾聴すべきものがある、曰く「ビレーは慎重に、行動は
大胆に」。この言葉は、山行中も日常でも何事にも通じるものとして結構規範としてきた。が、今回はこれが疎
かに過ぎた。何につけ、"鉄則"は以降きちんと守って行きたい。
 
<おわりに>

 いま、ポッカリとできてしまった暇に任せ、ベットでつらつら考えてみると、山行に継ぐ山行で、どうも"危険"
という感覚に慣れ切ってしまっていたんじゃないか−と思わなくもない。だからと言って、その場での安全確保
のための算段を怠ったわけではないし、今回においても、それがベストではなかった(そこに問題があるわけだ)が、
為すべきは行ったつもりでいた。

 しかし、「一歩間違や死ぬんだぞ」といった、自分がやっている、もしくはやろうとしていることに対しての切
迫感はこの所薄まっていたかも知れない。今回のルートについても、難しいだろうが、「やばい」とはあまり思っ
ていなかった。

 <慣れ>についてはこの所の事前の「必死さ」の減退からも言えるであろう。仙丈岳岳沢や谷川三スラ、丸山二ル
ンゼに向かう前、当時どれ程必死であったか。「あと1回が成功に繋がる」と言い聞かせパンプした腕で更に懸垂
を続けたり、「ルートを駆けること即ち生還」と無理矢理重い足で坂路を駆け上がったり。

 この所の仕事上の多忙と体が随所で傷んできているために思うようにトレーニングできなくなっているのは確か
だ。ゲレンデに行く回数もめっきり減っているが、しかしそれはそれを言い訳にしているだけではなかったか。

 救助はてっきりソリのお迎えとばかり思っていた。しかしそれがヘリだと分かった時、「またか」と自分が情け
なくて仕方なかった。不意に涙が溢れ出た。また、晴天の中を、まるで勝ち誇ったかのように堂々と屹立する三年
越しのルートから自分が遠ざかって行かねばならぬことが、悔しくて悔しくて仕方なかった。

 それまでは、このルートは忘れるべきかな−などと思ったりもしたが、ヘリに吊り上げられる間、僕は不謹慎な
がらも全く逆の決意をした。クルクル廻りながらも、黒々した壁に一筋の白い糸を落とすそのルートを睨み付け、
「絶対に陥してやる!」と。かつ、荒沢本谷経由で。

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