富士山/滑落事故報告

<報告者> 日本登高研究会/惠川 佐和子


<遭難事故日>    1996年12月7日 

12/6(金)深夜 

 滝沢林道は1/3位から路面凍結が始まり小雪。
半分からは、スタッドレスのワゴン車はチェーンを装着。佐藤小屋まで徒歩20分位の地点で4駆のパジェロも(タ
イヤ溝がかなり浅くなっていたせいか?)チェーンをつけた。この時間かなり多くの車が佐藤小屋を目指していたが、
後徒歩1時間位の所から車を残置して徒歩で向かうパーティーや、その場でビバーグするパーティーが数多く見られ
た。

12/7(土)

 天気は朝から快晴。五合目付近においては強風もなく富士山にしては穏やかな天候だったと思う。
しかし、七合目、八合目を仰ぎ見ると雪煙が絶間なくあがっており、上部の風の強さを知る。
 佐藤小屋付近は全面凍結。我々は12人で冬合宿に向けての雪上訓練で入山。冬合宿パーティー毎に、登頂組(8
人)、八角堂付近(4人)に別れて行動した。

  私は、八角堂付近組だったのでそのあたりの積雪状況を説明すると、木曜日の気温の上昇で富士山にも雨が降り、
既に積もっていた雪を融かしその後の急な冷えこみで斜面は凍結した。そして金曜の夜の降雪で1センチ弱の新雪が
積もっている。

 凍結部は、かなり固い氷となっていてキックステップは一回ではきかず、何回も蹴りこんでやっと爪先が浅く乗る
程度。滑落停止も試みたが、ピックの刺さりが悪くヘタをすれば下まで止まらない。雪上訓練を行うにはあまり良い
状況ではなかった。

<滑落事故報告>
 (事故関係者にとっては酷な部分も有りますが報告を克明にする為お許し願います)
 12/7 八角堂付近で雪上訓練をしていると登頂組の当会メンバーの一人が事故発生の知らせを持ってきた。直ち
に訓練を中止し、佐藤小屋にて他山岳会パーティーと共に 待機。その時の状況を報告します。

9:50a.m. 事故発生

・ 九合目で登頂を目指していた都岳連加盟“ダケカンバ”の2人パーティーの内1人酒井氏が鎖にアイゼンを引っ掛
 け滑落。七合目の樹林に引っ掛かり停止。

・  八合目付近の吉田大沢で雪上訓練中の法政大学パーティー3人(OB,現役)が目撃し、救助活動を開始。

・ 1人が伝令に佐藤小屋まで下山。

・ 残ったOBと納富氏で遭難者を救出しようと現場へと向かう。その際に、夏道の登山道を使わずに斜面をトラバー
 スして行こうとした。その途中 納富氏が滑落。五合目下方へと滑って行った。

この時当会のメンバーが目撃していたので状況を記します。

・ 七合目間近に来たときふと頭をあげると上から人が滑り落ちてくるのが見えた。

・  体が岩や段差にバウンドしながら、声を発しもせずにあっと言う間に通過していった。頭からはヘルメットははず
 れ、体と同じスピードで一緒に落ちていき、五合目付近で姿が見えなくなった。後には血が点々とついていった。

・ 七合目の当会メンバーが酒井氏に接近した時は、残念ながら既に脈も息も停止していた。頭部を強く打った状況が
 見られた。ヘリが飛ばない時の事を考え、他パーティー2人と自分達2人が現場に残り、残りは五合目付近に落ちて
 行った納富氏の  捜索のため佐藤小屋へ向かう。

・ 法政大の伝令を受けた佐藤小屋ではすぐに電話にて警察とヘリを要請。

・ 10:50ヘリが上空を舞、11:00頃七合目の酒井氏をつりあげ収容。続いて、五合目下方でヘリが 納富氏
 を発見。収容。

・ 11:30頃警察が佐藤小屋に到着。事情聴収後終局。

・ この日頂上まで固い氷の上に新雪が薄く積もっている状態が続き、アイゼンのききはかなり悪かったようです。
 (山岳救助隊員談)また、八合目付近で酒井氏の事故を目撃し、伝令に下った法政大の方はかなりあわてていた為に
 途中で何度も転び一回は夏道の登山道の縁から吉田大沢に落ちるところだったと聞きました。

 以上私が佐藤小屋で待機している間に第2、第3の伝令および山岳救助隊員等から得た情報と七合目に残った者から
聞いた報告をとりまとめました。誤った報告がございましたらフォローお願い致します。

最後になりましたが、酒井氏、納富氏の御冥福を心からお祈り申し上げます。

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