<報告者> MSCC/川上
<遭難事故日>2005年4月5日(火)
鹿島槍ヶ岳 荒沢の奥壁 北稜 2005年4月4〜5日 単独
船橋勤労者山の会 末吉 和徳
4月5日 (火) 晴れ
午前3時に起きるが、一晩中、テントが吹き飛ばされそうな強風で、眠る事は出来なかった。
ガスに火を付けて暖かくなると、疲れもあって、しばらくそのまま寝てしまう。
目覚めた時には、体力は戻った感じだったが、時間は大分過ぎてしまい、「天狗の鼻」の先の最低コルを
下る頃には、すっかり明るくなってしまった。
北稜の取り付きまでの登り返しは、デブリで時間を食い、末端には6時頃着いた。
ルート図どおり、初めの雪稜をかわして左側を行くが、かなり登っても第一岩峰らしき物が見えない。
ずんずん登って、ダイレクトルンゼの取り付き近くまで来てしまった。頭上に、第二岩峰が確認できる。
ルート図の写真をよく見て考える。今年は雪が多く、北稜末端付近は未だ雪に埋まっていて、
だいぶ違う形になっていた。それにしても、迫力ある写真とは裏腹にスケールが小さい。
第一岩峰は、末端の起伏から10mくらい先の、2mほど雪の付いていないコブ状の物がそうだった。
岩峰は、たっぷりと雪に覆われていた。
ルートを探して、右往左往している間に時間は過ぎて行き、春の陽光が雪を溶かして行った。
結局、ダイレクトルンゼ近くの、比較的傾斜の緩そうな雪の付いていない草付き帯を、
第二岩峰目指して登る事にするが、ソロイストをセットしようにも支点がなく、フリーソロで登る事にする。
草付きと思われた所も下は固い岩で、ピックが跳ね返り、アイゼンがキリキリ音をたてる、きわどい
登攀になる。
長い時間をかけて1ピッチほど登り、次に出て来たキノコ雪状の所を左上していた時、ストンという感じで
左足を掛けていた雪が抜けた。瞬間、露岩に体を打ちつけ、北稜の末端まで滑落した。
自分が何をして、どうなったのか、思い出すのに時間を要した。
目の前の白い雪が、血に染まっている。オーバーズボンは両足ともビリビリだ。
体中が痛く、動かせるのは右手だけだった。自力下山を諦め、無事だった携帯で救助要請をした。
大町警察署と連絡が取れ、その後、ヘリでの救助となる。
救助を待つ間、奥壁に4月の陽光が当たり、上から頻繁に雪だんごが落ちてくる。
救助ヘリの爆音で雪崩を誘発しないか、少し不安になる。
待つ事一時間ほど、南の方角からへりの音が聞こえ、やがて機体が現れる。
荒沢に入り、ホバーリングしてこちらの様子をうかがっている。その後、転回して姿が見えなくなる。
繰り返す事三度目、上空に来てホバーリング。1本のワイヤと、救助隊員が一人降りてきて、
素早く吊り上げの準備をする。その後、大町の病院に搬送された。
右膝、左肩、左肋骨の骨折、頭部と左足を裂傷と、重傷ではあったが致命的な怪我はなく、
しばらくすれば、動けるようになるとの診断に、痛い胸をなでおろす。
命は一つ、「山は何度でもやり直しがきく」という事を念頭において、今後、慎重にやって行きたいと思う。
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