北アルプス/奥大日岳隣の2611mピーク付近

<報告者> 富山医科薬科大学山岳部/加藤


<遭難事故日>    2004年5月5日(水)


富山医科薬科大学山岳部の加藤です。

ご存じの方も多いと思いますが、昨年末の12/31 12:00頃、
奥大日隣の2611Mピーク付近にて雪庇を踏み抜きカガミ谷へ標高差にして
約500M滑落しました。
1/1の夕方に稜線に戻り、1/2県防災ヘリにて救出されました。

幸運が重なり、怪我は、滑落した僕が
両手中指薬指2度凍瘡、全身の打撲、顔面の擦過傷。
救出に当たった後輩の一人に両手示指中指薬指に2度凍瘡。
という比較的軽傷で済みました。他の3名はほぼ無傷でした。

雪庇が出ると分かっているところでの滑落であり、本当にお恥ずかしい限りです。

詳しい報告はまたさせていただきます。
年末年始、お騒がせいたしました。


加藤@富山医薬大です。 先日の事故の、滑落後、稜線に戻るまでを、県警に提出した報告書より抜粋して送り ます。 事実関係のみを書いたものです。多少間違いもありますが、さしあたり、県 警に提出したそのままを送ります。 今後、更に事故を検証し、夏頃にはしっかりとした報告書を作れれば、と思っており ます。 報告書を作る上でも参考にさせていただきたいので、感想や批判がありましたらメー ルをお願いします。 3)滑落時の状況  12月31日、室堂乗越で幕営していた5人パーティは天候の回復を確認し、奥大日 岳の2611m地点を目指してラッセルを開始した。場所によってラッセルの方法は変え たが、雪崩の危険が予測されるところでは先頭はスタカット、後続はコンテで進行し た。平地では腰ラッセル、斜面では頭以上のラッセルであった。2611mピーク手前 50 m地点で大森がザイルを使用し身体を確保しながら西大谷山への下降地点を探索する が、その地点はさらに前方であることを確認し、加藤を先頭にラッセルを再開する。 積雪は腰ラッセルの状況であった。再開直後、加藤は奥大日岳に向い進行方向左側、 雪稜より1.5−2m地点をラッセル中、足下に亀裂が入り、その瞬間にピッケルを右側 雪稜に刺すが、おおよそ2×4mほどの雪のブロックとともに進行方向右の東大谷側 へ滑落した。滑落時は先頭の加藤、2番手の大森ともロープレスでの行動であった。 後続は間を空けて歩行していた。    滑落時の加藤は空荷でピッケル、バイル、ナイフ、ビーコン、地図、磁石、高 度計、飴、キットカットの行動食を携行していた。     小野寺が、上記の状況やパーティからの報告をもとに滑落原因を推察すると、12月 26 日の登山時、同地点に雪庇は存在せず、31日の下山時にその間の降雪によってできた 雪庇を加藤が認識できず、ルートの判断を誤ったためであると思われる。このことは 加藤救出後の加藤の話として、本人は滑落後、稜線へたどり着くまで、進行方向左側 の称名川側へ滑落したと誤認していたことからも推察される。 二番手,大森が見た加藤滑落の状況 大森は雪庇が多少張り出していると判断していた。加藤の足下の2−3×5m(あく まで推測)の雪ブロックが加藤とともに東大谷側(進行方向右側)に落下するのを目 撃した。 (4)滑落後の状況 滑落後のパーティの対応 事故発生直後、津田が警察に無線で通報すると同時に、大森がザイルでカガミ谷に懸 垂下降し捜索にあたる。大森は一度戻り、二人分のスコップ、ゾンデ棒を持参で津田 と共に再び捜索にあたる。筒井、岡田は滑落地点付近の安全地帯でテントをはり山岳 警備隊と無線で交信しながら待機する。 捜索時の大森、津田の装備は スコップ×2本 ゾンデ棒×2本 ザイル50M×1本 ザック(90ℓ)× 1個 水×2ℓ 行動食(ビスケット一袋 味好み×6袋 コンデンスミルク ×1本 飴・チョコ少々) ガス缶500ml×1本 ガスコンロ×1台 ヘッドラン プ×1個 ビーコン×2台 地図・コンパス・ナイフ・笛・登攀具であった。 合流するまでの加藤の行動 加藤は滑落停止後,高度計でその位置を確認すると2150m地点であり、おおよそ 500m滑落したと判断した。意識鮮明で両手と顔面が雪上に出ていた。止まった直 後口の中の雪をかきだし,手のみで全身を掘り出し脱出した。その後、左のワカンの 金具が外れていることに気づき,ワカンをつけなおすため止まった地点より水平に 15mほど(上を見て)左側に移動した。 とまった時点で大森の声を聞き取れた気がした(記憶あいまい)。 その後、バイルを紛失したことを確認した。 ワカン再装着後、(上を見て)右側に斜めにトラバースして、標高差100m(高度 計にて確認)を デブリの上を見て右端を直登する(1時間ぐらいと思う:加藤談)。 デブリのほうが歩行に楽と考え、デブリ右端を直登したが、その後右側の尾根に移っ て、標高差50mを登る(約一時間)。 大森、津田の声を確認し、地図にて現在地を確認した(小野寺注:加藤は称名川側へ 滑落したと誤認していたことから、その位置確認も誤っていたと考える)。 その後、大森、津田の声の方向へ谷を左斜め上方にトラバース(標高差50m、所要 時間1時間)した。 そこから岩尾根をほぼ直登する(50m、45分ぐらい)。 16時ごろ雪洞をほり、ビバークの準備をしようとした際、谷を挟んでほぼ水平反対 地点に大森と津田を確認した(高度ほぼ2450m地点)。 大森、津田は加藤と合流するため、上を見て右に平行移動し(ザイルにて3ピッチ) 3 名が合流した。 合流するまでの大森・津田の行動 加藤滑落後、大森は単独でザイル(50m)2本をつなぎ、100m懸垂下降(距 離)さらに移動距離100mクライムダウンした。加藤確認できず、一旦稜線へ戻 る。 その後、大森の判断で、大森と津田が50mザイルにて懸垂下降し、下段のザイルを はずし、両名ロープレスでおよそ150mクライムダウンする。その後、スタカット で5,6ピッチ下降し、その地点で上方に向かい右側に加藤を確認した。 合流後の3人の行動 3人でビスケットと水補給する。それから加藤のいた尾根を1ピッチほど直登する。 その後、尾根左側の斜面を3人のスタカットで斜め左上方に3,4ピッチ登攀し滑落 したルンゼに出る(スタカット1ピッチで日暮れ)(合流後の行動はすべてスタカッ ト)。 その後ルンゼを2,3ピッチ直登し、支ルンゼの出合いに達した。その地点で大森が 支点を構築しようとしたとき、大森の足元から雪崩が発生する。津田の支点も含め、 下方の二人と供に3人が雪崩に飲み込まれる(大森20m下降、津田、加藤50m下 降)。 大森が確保のなしで構築しようとしていた地点に、改めて支点を構築した。下方の二 人を確保して再合流。雪洞を作ろうとするが、雪少量で作れず、さらに、5ピッチ登 る(1月1日朝四時)。 そこでも雪洞を作れず3ピッチ懸垂下降し、雪洞ほる。雪洞完成は8時ごろであった。 雪洞で1時間休憩する。その後、天候が回復し、視界良好で登攀再開(9時半)。 ルンゼを4ピッチ登り、上を向いて右の尾根を3ピッチで稜線に出る(15時55 分)。 三人がテントにもどるまでの筒井、岡田の行動  滑落した加藤や捜索に出た大森、津田の様子をうかがうが、山岳警備隊の指示もあ り、テントにて警備隊との交信業務にあたる。 (5)滑落の原因の考察  滑落の原因としては、先頭を歩く加藤の雪庇の大きさに対する認識が甘かったこと の一点に尽きる。直前に大森がザイルをつけて雪庇の大きさを確認し、1〜2M出て いますと告げたにも拘らず、稜線から1.5M〜2Mしかあけずに、しかもザイルなし で歩いたことが明らかなる原因である。  この様に正しい判断をすることができなかった原因としては、次の日の天気が大荒 れであることから標高を少しでも下げたいのに、ラッセルが大変でなかなか進まない 焦りがあったことは否めない。また、入山9日目で疲労の蓄積も判断を鈍らせた要因 となったのではないかと考える。                     (この項、文責:加藤、大森、津田)

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