北アルプス/赤木岳

<報告者> ARIアルパインクラブ/原岳広


<遭難事故日>    2004年5月5日(水)


原です。

先ほど下山しました。
有持さんからMLに流れてましたが、遭難者(疲労凍死者ですが・・)、の第1発見者となってしまい、
天気も悪かったことから神岡新道を下山しました。
詳細はまたキチンと報告しますが、簡単に。といいながら長くなりそうですが。

30日の夜に夜行バスで扇沢へ。1日はそのまま室堂に上がり、足慣らしに浄土山の脇から1本滑った
後、一ノ越に向かいました。天気は快晴無風で暑いくらい。絶好のバックカントリースキー日和でし
た。一ノ越からは御山谷を滑る予定だったのですが、鬼岳への登り返し口が分かりにくそうだったの
で慎重に縦走路を回ることにして龍王岳の脇を通って鬼岳へ。鬼岳から獅子岳に進み、スキーを履い
て獅子岳からザラ峠へドロップしました。斜度40〜45度でしたがかなり良い感じのザラメで、今
回のベストランでしたね。その後スキーにシールとアイゼンを付けて五色が原に上がり、小屋泊。4
パーティーしかいませんでした。

2日も快晴無風。太郎平までのロングランなのでかなり飛ばしました。スキーでいけるところはスキー
で行き、薬師岳の急峻な稜線はアイゼンに履き替え、薬師のテッペンから薬師峠まではまさにダウン
ヒル。標高差650mを一気に滑れるという爽快なバーンでした。まさか薬師のテッペンから滑れると思
わなかった。薬師岳からは兼用靴を履いたバックカントリースキーヤーが一杯いました。薬師峠から
太郎兵衛平までシールで登り返し、小屋泊。

3日は、まだ天気は持つだろうと思っていたのですが、朝起きたら濃霧で視界5m以下。しかも強風。薬
師から滑り降りるときに、今日の行程である北ノ俣岳から赤木岳、黒部五郎岳の稜線を観察していたの
ですが、稜が広く、スキーにはもってこいだけど霧に巻かれたら絶対にルートを外してしまうと思って
いたので、即座に停滞を決めました。この視界じゃ、本当に小屋が見えなくなったらもう自分がどこに
いるか分からなくなって終わりだと思っていたのですが、しかしこの天気の中、北ノ俣方面に上がって
いくパーティーが4パーティーほどあり、大丈夫かな・・・、と思いつつ見てました。無事に降りられ
ていたら良いのですが。

4日は出発前からの予想どおり寒冷前線の直撃で小屋で停滞。

5日(昨日)、前日の天気予報では朝方まで雨は残るが昼頃から回復するとのこと。朝3時に起きるとま
だ霧が濃かったので出発を一時間程度遅らせ、5:20に出発。出発時には霧が高くなってきて北ノ俣
岳の斜面まではっきり見え、視界は数kmまで回復してました。風も吹いているが弱まり、このまま霧
が吹き飛んでいくのだろうなと思って北ノ俣の斜面をスキーであがりました。北ノ俣岳からは霧が濃く
なってきましたが、ま、どうせ寒冷前線は抜けたし晴れるだろうと思って先に進みました。で、赤木岳
との最低鞍部で疲労凍死した遭難者を発見しました。
一応声をかけてみましたが、一見して亡くなっているのが分かりました。その場では携帯が通じなかったの
で少し北ノ俣岳方面に戻ってまず電話番号をメモリしていた双六小屋に通報。双六小屋から太郎平小屋
の麓の事務所に電話してもらい、そこから上市警察署に連絡、上市警察署から富山県警山岳警備隊に連
絡が入り、僕の携帯に警備隊の人から電話が入りました。この間に有持さんと清水さんと自宅(警察か
ら自宅の電話番号も聞かれたため、突然電話が入ったときに家のものが驚くといけないので)に電話を
入れておきました。この間なんだかんだいって1時間半くらいありましたが、視界の利かない濃霧の中
、死後1日〜2日程度たった遺体の側に一人でいるのはちょっと精神的につらかったです。誰か〜・・・
、とか思っちゃいました。
その後、かなり風が強くなってきて気温も下がってきたので山岳救助隊から「晴れたらヘリでピックアッ
プするので、あなたももう動きなさい」と言われ、遺体から離れたかったという潜在意識もあったので
しょうが、先に進みました。ちなみに、太郎平の小屋が一番近かったのですが、この時期は小屋への連
絡手段がなく、陸の孤島になっているようです。で、赤木岳を越えたあたりから急に視界が5mくらい
しかなくなり、風も強くなり、雨も降り出しました。中ノ俣乗越までの下りも非常に広い稜線で、あ、
マズイなと思っていたら案の定ルートをはずしました(たぶん。赤木沢側に。)。視界5mで目標物も
なにもない中コンパスも役に立たず、これは動いたら危ないと思い、とにかく晴れるのを待とう、晴れ
れば目の前に黒部五郎岳が見えて自分の位置が確認できるだろうと思ってツェルトに包まり、ラジオを
聴きながら待ちました。しかし、一向に天気が回復する気配がなく、むしろ悪くなっている感じ。この
時点で当初の天気予報に反して天気が悪転したと判断。おそらく寒冷前線が太平洋岸に停滞し、気圧の
谷が残ってしまっているのだろうと思い、11:00の時報を待って撤退開始。といっても、視界5mです
から自分のつけたトレースしか頼るものはなく、それを忠実に辿って戻りました。赤木岳から降りると
きに、万が一撤退することになったら自分のトレースしかないなと思ってスキーで下らずにツボ足で下
ったのですが、それが幸を奏しました。戻る途中、このまま太郎平まで戻れなかったら自分もあの遺体
みたいになってしまうのか、などといらぬ恐怖が沸いてきて(要するに平静を保ちきれてなかったとい
うことでしょう)そんな自分と戦いながらなんとか現場まで戻り、また山岳救助隊に電話してみる
と、もう今日はヘリは飛べないだろうとのことでした。そのまま北ノ俣岳までなんとか戻り(13:00)
、そこからは自分のかすかなスキーアイゼンの後を頼りに慎重に太郎平に下り始めると、向こうから地
元富山の3人パーティーが来ました。朝から初めて人を見て、力が抜けてしまいました。
3人パーティーはもう天気が悪いので神岡新道を降りるということ。精神的にも肉体的にもヘロヘロにな
っていた僕を見て、一人で下るのは危険だから一緒に来いと言ってくれました。で、この日は神岡新道
の避難小屋に泊まりました。結局この日は天気が回復することはありませんでした。終日4日と同じよう
な状態だった。

6日(今日)、寒冷前線は完全に日本から遠ざかったようで、快晴無風のなか下山。避難小屋を出るとき
にヘリが飛び、遺体をピックアップしていきました。そのまま3人パーティーの人達が車で魚津まで送っ
てくれました。なんと昼メシまでおごってくれた!それだけ見ちゃいられん状態だったのでしょうね。
それから、上市警察署に寄って自分の住所などを報告し、状況を確認したところ(これも3人Pが付き合っ
てくれました)、遭難者は名古屋から来た単独者のようで、おそらく3日に入山し、霧に巻かれて迷い、
凍死されたのだろうとのことでした。詳細は検死などをしないと分からないようですが。
細かくはまたキチンと文章にして残そうと思いますが、とにかく視界の利かない中で広い稜線を行動す
るのは致命的であるということを痛感しました。むしろルートが明瞭なナイフリッジやロッククライミ
ングピッチの方が視界5mでも行動できますね。また、夏であれば一般道なら踏み跡を辿るだけだから
なんとかなるかもしらんけど、この時期は一帯白い雪面ですから、もうアウトです。

しかし、しばらくうなされそうです。手袋もしてなかったし・・。おそらく断末魔に錯乱し
てしまったのでしょうね。寒かったろうに・・・。
みなさん山はなめたらいかんということで、気をつけましょう。とりあえず第1報、以上。


原です。 皆さん、色々と暖かいお言葉ありがとうございます。 昨日は出勤だったのですが、さすがに仕事が溜まっていました。 今日は昼過ぎまで寝てしまいました。午後スポーツクラブに行って体重計に乗ってみると、なんと5KG も体重が落ちてました。どおりで体調がおかしいはず・・。ダイエットできて良かったのですがね(^^;;; さて、その後、読売新聞富山支局の記者から5回くらい電話で取材を受けました。 遭難者は名古屋から来た51歳の方だったようです。たしかに神岡新道の下山口から林道を少し下った ところに名古屋ナンバーの4WDがあったので、それがその方のものだったのだろうと思います。 第1報には書かなかったですが、実はその遭難者は犬を連れていたんです。僕が発見した時にはその犬 は遠巻きに僕を見ていて、最初は狼か野犬かなんかで、もう匂いを嗅いでやってきたのかなと思ってピ ッケルで追い払おうとしたのですが、良く見ると犬でした。遭難者の脇には散歩用のロープがありました。 撤退する時に再び遭難者のそばに来たら、今度は遺体のすぐそばにその犬がうずくまっていたんです。 あの天気では犬も心配だったので、ついてくるかなと思って呼んだのですがご主人のそばから離れませ んでした。下山後、上市警察署で確認したら、遺体をピックアップするときにヘリにその犬を乗せよう としけど乗らなかったので置いてきてしまったとのこと。ちょっと気になっていたんですが、なんとそ の犬は一人(一犬?)で神岡新道を戻り、ご主人の車のところまで戻ってきていたのだそうです。遺族の 方がが無事保護したそうですが、しかし犬は自分が辿ってきた道をキチンと覚えているんですね。そう いう勘というか生きる力というか、今の人間には全く無くなってしまってますね。 ちなみにこの遭難事件の記事、明日の読売新聞に載るそうですので、もし興味があったら見て見てくだ さい。 清水さん、アドバイスありがとうございます。おっしゃるとおり特にあのようなルートでは赤旗は非常 に有効だったと思います。本当に視界が5Mくらいしかなく、ホワイトアウト状態だったので赤旗の本 数はかなり必要だったかもしれませんが、それでもそれを拾いながらいける訳ですから、精神的にもラ クですよね。 横山さん、そうなんです。今回はいわゆる「オートルート」で5月のヤマケイに特集されていたルート ですね。バックカントリースキーのガイドにも載っているのでそこそこポピュラーなんだろうと思いま す。でも、室堂から薬師岳までの間はあまり人は入ってませんでした。この時期、五色が原小屋しか営 業していないので、二日目がかなりキツくなってしまうからあまり入らないんでしょうね。五色小屋を 朝の5:00前に出て、太郎平に15:30に着いたら、太郎平の小屋のご主人に「それは相当強ええ な、一度滑りを見てみたい」と言われてちょっといい気分でした。でも普段は有持さんや藤川さんやイ チローや、強い人たちばっか見てるから自分は弱弱なんだよな・・、とか思っているのですが。 それから初日、浄土山と室堂山のコルに上がったところでスノーボーダーから「ここ一ノ越ですか?」 と聞かれました。彼らが手にしているのはHPからダウンロードした略図で、到底地図と呼べる代物で はなく、一ノ越周辺しか載ってませんでした。「えっと、ここは一ノ越ではなくて・・、この図には出 てませんよ・・」と言いつつ大体この辺です、と教えてあげました。で、彼らは室堂の中を滑って遊ぶ のかなと思ったら、一ノ越から黒部ダムまで滑りたいとのこと。ちょっと仰天しちゃいましたね。知っ ている人は知っていると思うけど、一ノ越からダムまでは一直線でなく、東一ノ越を越えるためにトラ バース気味に滑ってタンボ平にドロップしなければならず、これを知らないと御山谷をそのまま降りて しまってハマってしまうんですよね。数年前、御山谷に滑り込んでしまって露出した滝に落ちて死亡す るという事故があったんですが、こいつらも二の舞になるぞと思ってしまいました。だってアイゼンす ら持ってないんですからねぇ・・。ちょっと室堂周辺にはゲレンデからちょっとした気分で飛び出して きただけのバックカントリースキーやが多い感じがします。事故が頻発しないことを祈るばかりです。

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