宮崎/鉾岳/ブレイクアップルート

福岡/蜂谷一彦、その他


<山行日> 1999年12月4日(土)<記録> 蜂谷一彦



 蜂谷一彦@福岡です。

 土曜日に、同じ会の先輩である"博多の本官"こと山本和也さんと一緒に、 宮崎県の鉾岳「ブレイクアップルート」(Y+・305m)に登りました。

 このルートの名付け親である「奥親文さん」という方が、11/17(水)に心臓 発作で亡くなられたので、その追悼の意をこめてのclimbingでした。

 12/3(金)、Y本官のお勤め先であるM警察署の駐車場に20:00頃に出頭。

 筑紫野〜熊本は高速を利用し、R57から立野経由で高千穂へ。青雲橋の 先を左折して林道をクネクネと走り、クライマーの宿「庵・鹿川」に着いたのが 23時50分頃だったか。いつもだったら、金曜日の夜は宿泊客は2〜3人くらい しかいないのに、この日は20人近く泊まっていました。これは、次の日の夜 に開催される、遠藤甲太さん・大内尚樹さんの山岳講演と、鹿川集落の恒例 行事である夜神楽を目当てにやってきたメンバーが多かったからです。

 お酒を飲んで、毛布にくるまって寝たのが2時半頃だったでしょうか。

 12/4(土)は、6時45分に起床。外は冷え込み、周辺の畑も、車の窓ガラス も、白くなっていました。伊勢エビ入りのみそ汁とご飯、漬け物、焼き魚等で ゆっくりと朝食をとったのち、8時45分頃、庵を出発。鉾岳の岩壁基部に10人 くらい集まり、それぞれのルートへ散らばりました。

 この日は、遠藤甲太さんと、「ロック&スノー」誌の取材をされている内藤 さんも登りにこられていました。

 私は、Y本官と一緒にブレイクアップルートへ。1P目、X−のスラブを右に トラバース気味に進みますが、ルートファインディングが難しく、トップを登る Y本官も悩んで苦戦している様子。下部は、ルートを若干それました。

 私は、セカンドで引っ張り上げてもらうだけでしたが、毎度のことながら、 中間支点の数が少ないので、トラバースの箇所はちょっと怖いです。

 2〜4P目を変則的に登って「サブマリンルート」と交差。さらにもう1ピッチ 、 左上気味に登って「美しいトラバース」と交差した後、鉾岳南面スラブの左端 をたどります。6P目がX+、7P目がYで、フリクションを最大限に利用して、 細かいホールドを拾いながら前進。8P目の核心部は、日本の岩場ではY+ と書かれていますが、開拓者の一人であるY本官によれば、「本当は5.10b/c くらいはあるけん、Y+じゃぁ低めたい。」とのこと。

 このピッチで、二ノ字の小ハングの箇所は、下段を右側から越えて上段の 右側レッジに移りますが、傾斜が強く、ボルトの間隔も遠くて、大変シビア です。5.11をリードする腕前のY本官は、この日は不調で、A0で越えていま した。セカンドの私も、難しすぎてA0で越えました。最後はW+のピッチを 登って終了点へ。

 庵にもどって、遅い昼食を頂いたあと、部屋の掃除や片づけ、石垣作り などをやって過ごし、夕方18:00から19:45まで山岳講演。

 大内氏は「中高年登山の現状と問題点」、遠藤氏は「ソロクライマーの 系譜」という講演をしてくださり、興味深いお話を伺うことができました。

 そのあとは、みなさん夜神楽を見にいかれたようですが、私は興味が 無かったし、用事があったので、一足先に失礼して、20:00に庵を出発。

 中央町〜御船経由で23:40頃、福岡の自宅に戻りました。


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