JECC/廣川健太郎
<山行日> 1999年8月7日(土)〜8月16日(月)<記録> 廣川健太郎
廣川@JECCです。
10日間の長い夏休みでしたが、中盤から天候が今一つで残念ながら、
剣尾根、源治朗下部〜上部には行けませんでした。
本数はそこそこ登りましたが、六峰フェースが多いのでなんとも。
岳樺ACの方のDフェースでの事故、お悔やみ申し上げます。
8月7日(土)大野(風来坊)、石田(龍鳳)、廣川
上高地〜屏風東壁ルンゼ下部〜T4ヴィバーク
8日(日)東壁ルンゼ上部〜屏風頭〜徳沢〜上高地下山
→下部、上部で1度ずつラインを間違え、ロスタイム。
9日(月)私は、大町温泉郷の大野氏の山荘で休養。
10日(火)廣川、松田(JECC)
扇沢〜室堂〜剣御前〜長次郎雪渓〜熊の岩BC設営
→岳僚の松本憲親さんと長次郎雪渓でお会いした。
熊の岩にはガイドの森中さんが長期滞在中。
11日(水) チンネ中央チムニー〜aバンド〜bクラック
→曇り後雨の天候、上部gチムニー〜c,dクラック
を順番待ち中に雨が降ってきて、a,bにエスケープ
した。
12日(木)竹田(JECC・立川山岳会)、上島(立川山岳会)が
真砂沢から上がって来て合流。
六峰Cフェース剣稜会〜Aフェース魚津高を登攀。
→朝は雨、昼一旦止むが午後又雨を登る。
松田は、靴擦れひどく、Cフェースのみ。
13日(金)竹田、上島、廣川でチンネ左稜線。
松田は足の具合悪く休養。大野氏(風来坊)昼過ぎ入山。
前日途中でヴィバークの人も含めると、25人以上が取付
き、大賑わいであった。
→縦走者が道を間違え、小窓王中間部まで登り立ち往生の事故
騒ぎあり、居合わせた先行パーティが救助中でした。
→若手ガイドの挨拶なしの割込み、ライン重ね、無理矢理抜きにかかる
など、クライミングを教える立場にあるものの驚くべき非常識な行動
にびっくりした。
→熊の岩に戻ると、Dフェースで事故、しかも岳樺の方との報
を聞く。既に搬出下山中とのことで救助には参加せず。
夕刻、立川の佐藤、相場さんが熊の岩まで上がって来る。
14日(土)竹田、上島、大野、廣川で雨の中、Dフェース富山大登攀。
松田は下山。
剣尾根の予定だったが、天候悪く計画変更。
→前日の事故者の方の冥福を心の中で祈ってから・・・、登攀。
考え事をしていたら、廣川がザックを取付きに忘れて1P目を
登ってしまい、上島さん(♀)にダブルザックで登ってもらう
はめとなる。上部はびしょ濡れ、風もあって寒かった。
15日(日)大野、廣川でCフェース剣稜会〜Aフェース中大ルート登攀。
→CフェースはARI,森中ガイドパーティを後続。
→Aフェース登攀終了後、基部岩小屋でぶな・YCCのマレーシア
帰りの岡田和夫氏とJECCの岡田ゆきこ嬢に会う。
真砂沢にBCを移し、翌最終日に源治朗下部を登る予定とする。
夕刻前、土砂降り。夜は岡田コンビと宴会。
久しぶりに酒の量を気にせずに飲むことができたが、飲みすぎて
頭が痛くなってしまった。
16日(月)大野、廣川で下部中央ルンゼに向かうが、14日から断続して降った
雨の影響で、ルートは流水溝と化しており、とても登れる状態ではなく
平蔵谷を上部まで登って、あちこちと写真を撮っていると雨が降ってき
た。どうにもはっきりしない天候が続いている。真砂沢に戻り撤収。
岡田コンビも一緒に車で帰ることとし、梯子谷乗越経由で黒四ダムへ下山。
→下部岩壁より上の辺り、雪渓がやや不安定であった。
→途中何度も夕立のようなにわか雨につかまり、ビショ濡れとなる。
入山して来る人たちは濡れておらず、雨雲が我々を追いかけて来る
ようであった。
→薬師の湯に入り、大野氏山荘先の蕎麦屋、りんどうで食事をして
帰路に着く。
中央道は渋滞のため、勝沼で降りて20号を走った。
以上
★ エリア別山行記録へ戻る ★ INDEXへ戻る