前穂高岳/北壁/Aフェース

JECC/廣川、風来坊/森、龍鳳/石田


<山行日> 1999年7月31日(土)〜8月1日(日)<記録> 廣川健太郎



7月31日(土)

 上高地から奥又経由V・Wコルまで上がって翌日登攀の 予定であったが、廣川が前夜の飲み会のダメージが大きく 徳沢からパノラマコース沿いの林道を上がる辺り、夏の日 差しは二日酔いには余りにきつく、バテ気味。

 ちょうど分岐で知合いの宮川さん他の京都山岳会パーティ に行き会ったが、奥又の池泊とのこと。知合いも泊まるこ とだし、無理は禁物と池からのアタックに計画を変更。 先が短くなったら、段々銚子が出てきた。

 2週間前の飛び石連休は悪天続きで、4日涸沢に居て滝谷 ドーム中央稜1本で終わったが、今回は天候に恵まれ、二 日酔いには厳しいが最高の夏山。

 のんびりと寛いでいると、入山で前後したSUZUKi山 岳部の方が、古川ルートが崩壊、数日前に登攀した2組が 途中敗退しているとの情報を教えてくれる。 確かに、200mm望遠で除くと、上部で岩がはげている。 古川ならフリーで行けるだろうとアブミを持ってきていなか ったので、Dフェース都立大への転進を考え、デイジーチェ ーンに足掛けのワッカをつけた即席アブミなど作って翌日に 備えることになった。

8月1日(日)

 3時起床、5時前、薄明るくなってから出発。奥又白にト ラバースする踏み跡を四峰の脇に食い込むCルンゼ前後の高 さを目安に辿る。

 廣川はAKUの軽登山靴にカジタ12本爪の完全武装。森は 秀山荘6本爪。石田がモチヅキ4本爪ですぐに1回転び笑わせ てくれる。

 Cルンゼの雪渓は中途半端な状態。入ってすぐ、四峰正面へ ザレから上がる下の3段10m余りの雪渓で最上段を越えると ころで石田がガンガンステップを切っていたところ、雪渓が崩 壊。ラストで中段にいた廣川が両手の人差し指+αを負傷。左 は切り傷と打撲でかなり痛い。バンドエイド+テーピングで応 急処置。

 どうにか登れる程度だが、人差し指の第一第二関節というか節 を怪我してしまい、人工はきついので、北壁〜Aフェース行き とする。

 SUZUKI山岳部の二人と前後しつつ、C沢を詰め、途中で B沢との中間稜に上がり、反対側に懸垂、更に雪渓を登り、右岩 稜取付きと同程度の高さからB沢へ易しいバンドと岩場を左上ト ラバースで入る。

 Dフェース下、B沢のどんづまりにはやじろべえのような雪渓片 が残っており、あまり良い感じではない。 右岩稜はたしかに上部が崩壊していて、随所に乗っている石や泥 がバラバラと落ちていて、良い状態ではない。

 北壁へはDフェースとの境、バンド状を左に上がり、トラバース していく。ノーザイルで大分登ってそのままコーナーを20mほど 登ってコンタクトラインに入ってしまい、途中から左に悪いトラバ ースをしていわゆる北壁(松高カミン)に戻るが、浮き石だらけで 非常に危ない。

 我々、SUZUKI山岳部に、更に茅ヶ崎山岳会が後続。落石を気 遣いながらの登攀になるが、正規ルートに戻ってからは残置支点も 多く、岩もそこそこすっきりしており、快適に登れる。 特に上部Aフェースは明るく、岩もしっかりしており、ぐいぐいと 登れるが、私は指がいたくて今一つ快適ではない。

 前穂頂上からは三本槍のコル経由で奥又白池に戻るが、ここでも雪 渓が残っている。12本爪の威力は絶大で私は問題はないのだが、 森君がびびってしまい、途中からSUZUKIの方の懸垂に混ぜても らったりで、時間がかかってしまう。

 懸垂の場合は、45m以上のロープのダブルで、A沢は3回、踏替点 からは1回。後はガレから池上の尾根に踏跡の回りのお花畑を堪能して 下る。

 なんやかんやで時間がかかり、上高地は7時25分着。タクシーに間 に合い、8時の釜トンゲート閉鎖前に間に合った。


★ エリア別山行記録へ戻る ★ INDEXへ戻る