はりま山岳会/山岡人志、岩と雪の会/近藤義夫、相模労山/白井良岳
< 記 録 > 山 岡 人 志
<山行日> 1998年9月12日(土)〜15日(木)
山岡@はりま山岳会です。
今年の9月から10月にかけて行ってきた、中国での岩峰の登山の報告をします。少し、長めです。
<山行記録>
(1) 登山隊名:JWAF横断山脈登山隊 '98
(2) 山域・山名(高度、ルート):
横断山脈 蓮花夕照連山主峰 5704m 南西壁から
(中華人民共和国四川省康定県)
(3) 隊員:山岡人志(隊長、39歳、はりま山岳会、兵庫労山)
近藤義夫(42歳、岩と雪の会 こぶし、兵庫労山)
白井良岳(26歳、相模勤労者山岳会、神奈川労山)
中国側スタッフ:
王華山(41歳、四川登山協会、連絡官)
登志成(32歳、四川登山協会、コック)
柳春峰(22歳、アルバイト、通訳)
(4) 期間:1998年09月12日 日本発〜10月15日 帰国 (35日間)
(5) 結果:1998年09月30日14時20分 山岡人志・白井良岳の2名初登頂
10月06日15時40分 近藤義夫・白井良岳の2名登頂
(白井は2度目)
(6) 行動:
アプローチ:9月12日 関西国際空港〜上海〜成都(飛行機)
13日 成都滞在
14日 成都〜雅安(ランドクルーザー1台、トラック1台)
15日 雅安〜康定(ランドクルーザー1台、トラック1台)
16日 康定〜司通村(ランドクルーザー1台、トラック1台)
17日 司通村〜BC(徒歩、荷物は馬8頭で2回)
登山活動;9月18日〜10月9日 BCより上での登山活動
帰路 ;10月10日 BC〜司通村(徒歩と馬10頭)
11日 司通村〜康定(ランドクルーザー1台、トラック1台)
12日 康定〜成都(ランドクルーザー1台、トラック1台)
13日 成都滞在
14日 成都〜上海(飛行機)
15日 上海〜関西国際空港(飛行機)
(7) キャンプ配置:
BC :3900m 低木の茂る草原、9月17日設営
C1 :4900m モレーン上、9月23日設営
C2 (アタックキャンプ):5400m リッジの雪庇の上、9月28日設営
<行動概要>
今回我々は、中村保氏が書いた「ヒマラヤの東」(山と渓谷社)に載っていた一枚の岩峰の写真に興味を
もったのがきっかけで、中国四川省にある大雪山山系の北方の蓮花夕照連山の5000 m級の岩峰の登山を行っ
た。
山の場所は、おおまかには有名なミニヤ・コンカ山群の北方にあたり、康定(カンディン)という街の北、
約20数km程のところに位置している。約1カ月で登れるアプローチの近い山としてこの山が選ばれた。
兵庫県に在住する隊員を中心とした、3人の小さな登山隊が出来上がった。山の標高は5704 mと高くはな
い。しかし、高さよりも技術的な困難さ・未知の要素を優先し、純粋に自分たちだけで自分たちのクライミ
ングを楽しもうという気持ちで登山に臨んだ。
ベースキャンプは康定から車と徒歩でおよそ2日のところであった。BC (3900 m)に着いてからは連日雨が
降り続いた。BCからC1までのルートは誰でも歩いて行けるところで特に問題はなかった。我々は、この雨の
なかC1予定地 (4900 m)まで荷上げを繰り返した。
この悪天は、結局、ベースに着いた翌日からなんと11日間も続いた。 C1設置後、すぐに上部のルート工
作と荷上げにかかった。本峰の南側に肩のように低いピーク(南峰)が連なっており、これとの間にルンゼ
が突き上げていた。
本峰の壁は常に落石がどこかで起きており、とても登れるような状態ではなかった。そこで、我々は相対
的に安全なルートとして、最初はルンゼと南峰の岩との間のコンタクトラインを登ることにした。しかし、
ルンゼそのものも毎日のように雪崩が起きており、落石もあった。しかし、悪天の中ルートは順調にのび、
C1設置後5日でC2予定地 (5400 m)まで至った。
C2はルンゼの最上部に位置で、雪庇の張り出したナイフリッジに雪庇を部分的に落とし氷を削ってかろう
じて3人寝れるテントを張った。ポータレッジの使用も考えC1まで荷上げしていたが、なんとか使わないで
すんだ。
C2から上部は本峰の南側の壁をまず直上し、それから右にトラバース気味に登って稜線に向かった。岩と
雪の混じったミックスクライミングであった。しかし、この頃から天気が好天の周期に入った。
C2からは、1日目に6ピッチのばして稜線直下に至った。2日目には稜線をトラバースして、9月30日の午
後2時20分、山岡と白井が頂上に立った。狭い頂上からは、ミニヤ・コンカ山群、遠く彼方にチベット方面の
山々、スークーニャン方面など、360度のすばらしい展望であった。登頂後、そのままC1まで降りて近藤と合
流し、翌日BCまで3人全員で下山した。
BCでは3日間休養し、その後、膝の故障で待機していた近藤に白井が付き添って10月6日に2度目のアタッ
クを行ってこれも成功し、一応隊員全員が登頂できた。下山時には、ゴミはすべて回収し、燃えるゴミは現
地で燃やし、生ゴミは地中に埋め、燃えないゴミは街まで持ち帰った。しかし、フィックスしたロープは残
念ながら回収できなかった。
偵察なし、全期間35日、少人数、資料は遠景の写真と地図のみ、初見で未踏の岩峰に挑むという登山スタ
イルであったが、幸いなんとか初登頂することができた。実際はそれほど技術的な困難さがなかったせいも
ある。しかし、落石等が多く、客観的に危険なルートであったと思う。
この付近やスークーニャンの北側にも標高は低いがクライミングの対象となりそうないくつかの岩峰があ
る。未知・未踏の岩壁に自分なりのラインを引くクライマーがもっとこれからも出てくることを祈っている。
<手続き・アプローチ・ルート・天気等>
登山手続きは、四川登山協会を通してファックスや郵便で行った。人数が少ないとかなり割高になるので
ある程度隊員の数はあったほうが良い。
成都までは、日本から上海または北京経由で1日で飛行機で行くことができる。成都〜康定の間は二郎峠が
ありこれを通れば早いが、かなりの悪路である。成都からは奇数日に通過でき、偶数日は康定から通過でき
るという一方通行である。康定からは北の谷に入りそこを20 数km車で悪路を北に行くと司通村という小さな
村に着く。
そこからは徒歩のアプローチ1日で約4000 m付近まで行くことができる。この高さあたりまでは放牧用の
道らしきものがある。村からBCまでの荷物の運搬には地元の村の馬を借りることができる。
4200 m 付近までは低木や草原がある。それより上部はもろい岩が堆積したところを歩く。C1 (4800 m)ま
ではとくに技術は必要としない。氷河はC1付近から始まるがほとんど発達していない。C1より上部は最初の
100 m強のモレーンの部分を除きクライミングの世界である。
登攀ルートは、最初、南側の壁の横のルンゼと南峰の岩とのコンタクトライン沿いにルートをとってC2に
至る。最後は本峰の壁を登り稜線をトラバースして頂上 (5704 m) となる。下部岩壁帯は常に小さな岩雪崩
がおきており、取り付くには危険が多すぎた。
但し、ルンゼそのものもよく小さな雪崩・落石を起こしていた。この山はどこから登っても傾斜はきつい。
我々のルートは平均斜度は約50度。フィックスしたロープは50 mロープで24本。使用したピトンは60本あま
り。壁自体の標高差は取り付きから頂上まで約700m。
ルンゼは、向かって右側から登り、最初の1ピッチ目はクレバスの横を岩沿いに、2ピッチ目はIV級程度の
南峰側の岩場を直上、3ピッチ目はIII級の岩場をトラバース、4ピッチ目は最初10 mを懸垂下降でルンゼに降
り、そのあと岩とルンゼとのコンタクトラインをずっとC2のリッジまでたどる(II~III級の氷雪壁)とC2 (54
00 m) に着く。
C2からは岩と雪のミックスクライミングを8ピッチ半で頂上。1P目はIV級程度の岩場を直上、2ピッチと3ピ
ッチ目も雪の多い斜面をほぼ直上、4ピッチ目, 5ピッチ目は右にトラバース気味に上に上がる。雪が不安定で
いやらしい。
6ピッチ目上部の岩は非常にもろい(IV級程度)。残りの2ピッチ半は両側の切れ落ちた稜線をトラバース
して頂上に至る。スノーバーはきかない。支点はすべてピトンでとった。
天気は、9月下旬まで雨や雪の日が多く苦労させられた。8月に近くのラモ・シェを登ろうとしたヒマラヤ
協会隊は天気が悪くてほとんど登山にならなかったようである。
9月末から10月始めにかけてが一番天気が良く、10月中旬になると雪線が5000 m付近から4300m付近まで一
気に降りてきていた。
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