幽の沢/V字右・一ノ倉沢/本谷下部〜四ルンゼ

JECC/廣川健太郎、長谷川綾、登稜会/長島


< 記 録 > 廣 川 健 太 郎


<山行日> 1998年10月10日(土)〜11日(日)
JECC 廣川です。  一の倉沢本谷下部へ行ってきました。  岩は堅く、フリクションもばっちり。困難さを求めて云々のルートではありませんが、一度は登っておきたい 五つ星ルート、スラブ、ナメ好きの沢屋さんも楽しめると思います。なお、烏帽子スラブからの落石は南稜下か ら続く尾根にほとんど遮られ、また末端部は登るラインと大分離れているので、落石の危険はほとんどありませ ん。 10月10日(土) 幽の沢 V字右 メンバー、廣川、長谷川(JECC)、ホゲホゲ氏(登稜会)  予定ではV字左に行くつもりだったが、朝寝坊(起床8時)、のんびりと食事の末、取付きに着いた11時半 だか45分の時点で空にはどんよりと黒い雲がかかり、サワサワビュービューと枯れ草を撫で付ける怪しい風が 吹き始め、一雨来るな・・・・、という状況。  右ルートに変更することにした。このメンツでV字右というのは、手を抜きすぎとも思えたが、案の定、「こ れは階段だ」、「これは沢登りの延長、高巻きで岩を登っているのと同じだ」とか、ぶーすか、ぶーすか。  悪態をついているうちにあっという間に登攀は終了。尾根上にでてザイルを巻いているとざざざあーー、と雨 が降り出す。核心部はルート終了後のぬれた草付とぬかるんだ堅炭尾根の下降であった。なお、堅炭尾根ではホ ゲホゲ氏がJーPHONEの携帯端末を拾得。同日夕刻食料買出しの時に指導センターによって預けておきまし た。  一旦やんでいた雨だったが、7時から8時位までの間、かなり激しく降り、テントが浸水してしまう。本谷下 部から上部3スラへ行くとシャワークライムになるか?。上部は四るンゼか・・・。 10月11日(月) 本谷下部〜四ルンゼ〜本峰〜厳剛新道 メンバー 廣川、ホゲホゲ氏  長谷川嬢は昨日の雨のせいか、風邪気味で体調が優れず、休養。  以下、少々詳しく解説してしまったので、自分の目でルートファインディングしたい方は読まない方がいいか な?。  昨晩の雨、ゆっくり出発しないと濡れているよと、6時過ぎ遅めに出合いを後にする。本谷下部は、ヒョング リ手前の滝は水流のすぐ右、その上衝立前沢の先の釜のある滝は左岸の岩を一段高いところに上がり、トラバー ス。テールリッジ末端の先はツルツルに磨かれた釜、ナメの続くゴルジュ帯で右岸の階段状のバンドを上がり、 トラバース気味に下降すると、本谷はぐっと右に流れをかえ、ドドンと大スラブが眼前に広がる。  一瞬どこを登るんだ・・・、支点なんかないぜ・・・、おちたら良くてボロボロ・・、といやあな気分になる が、案ずるより登るが易しで登ってみると弱点をついて楽しく登れる。右に流れが向きをかえる地点で対岸のス ラブにエイヤっと飛びつくように移り、一段上がり、後は 直上と右トラアースの繰り返しで登っていける。  2〜3級で易しいが怖がりの人は下をみない方が良いでしょう。、ニの沢手前のちょっとした滝状は左から巻 くように登る。ここから先が大ゴルジュ帯、クラック、小凹角を登っていくとすぐに核心部の20m強の滝が姿 をあらわす。  やや茶色がかっているが左壁に落ち口上へ右上がるクラックが断続的に続いている。ホールドが遠く、足を大 胆に上げていくか、スメアを使うが、これぞ4級という快適なピッチ。撮影のためホゲホゲ氏リードの勇姿を存 分に堪能??。  残置は今一で数も少ないのでカムをフレンズなら1半以下、キャメロットなら1以下のサイズで一揃え持って いれば、ばっちりである(我々も3ポイント使用)。アングル、軟鋼のウェーブピトンなどで代用は可能。  35mほどでビレーポイントがあるが、50mのばせば完全に滝の上まで抜けられる。ここから上も広大なス ラブが広がり、快適の一語。上のナメ滝一段目は左岸のガレ状を少しのぼりスラブを左上していく。2〜3級。 ここはランナーもないので気休めだが一応ビレーした方が良いでしょう。カムあるいはピトンで適当なところで ビレー。50一杯から5〜6m上がった所に1本残置ピトンあり。  ここから上はラインを読んでいけばアンザイレンの必要はない程度。滝沢下部、3スラも見えている範囲はビ ショビショで沢状態。予定通り、四ルンゼへ。本谷バンドでゆっくり休み、四ルンゼ登ったが、意外と悪かった。  安全を期して登るのであれば、@ヒョングリ、Aテールリッジ先の階段状、B核心部20m滝、Cその上50 mほどの4ケ所をアンザイレンした方が良いでしょう。  @、Aはノーザイルで行けなくもないですが、高巻きのラインが大分高い位置にあるので落ちればイチコロで す。なお、幽の沢も随所に赤ペイントがありました。  本谷も本谷バンドから始まり、四ルンゼも最終の四ルンゼ奥壁にあたる左俣と一の倉尾根へ上がる右俣の分岐、 更にほぼ尾根にでる地点までずっとペイントがありました。四ルンゼは20年前、大学一年の秋に登ってますが、 当然こんなペイントはなかったように記憶してます。

★ エリア別山行記録へ戻る ★ INDEXへ戻る