池の谷ゴルジュ〜R4〜剱尾根上半〜剱岳〜早月尾根

左京労山/野村勝美、京都府立大/富澤 隆一郎


< 記 録 > 野 村 勝 美


<山行日> 1998年4月11日(土)
 馬場島発24時間の試み            「ルートの変更を再検討せよ」、「予備日を5日以上設けよ」、「テント・ラジオ・スコップを携行せよ」。4月 15日までに"特別危険地区"に入る者には避けられない手続きとは言え、よくもまあ、これだけの"勧告"がついたも のである。  <剱を巡る24時間>、この命題は会のある人物(誰でしょう?)より、当初大町側のルートを舞台に提起された。あ まりに飛躍し過ぎではないかと思った僕は、その時は絶句するほかなかった。それからわずか数カ月後、単にR4を、 それ自体立派なアイス・アルパインのルートではあるが、昔からの目標というだけで登るのでは物足りなく感じた僕 は、大胆にもさらに剱尾根の上半を加え、本峰を巡って早月尾根を下降する−これを<24時間>で完結するプランを 立ててしまった。  「できるものはできるだろうし、できへんもはできへん」ぐらいの気持ちで。今年の積雪状況から、季節はおよそ 半月以上早まっている。従い、実行は4月上旬。また、計画の趣旨から、装備は極力削り、予備日もなしとした。以 上の内容の登山届に対し、富山県からは当然にも上記の"勧告"を受けることになった。  自然保護課からは電話でも照会があった。<24時間>のことは言わなかったが、今年の積雪状況を説明の上、計画 の実行を宣言した。4月10日夜、京都を発つ。大陸から移動性高気圧が張り出し始め、気温が高めではあるが絶好 のコンディションだ。そして、満月−夜間行動の最良の友が付き合ってくれる。今や不安材料は、アプローチの雪崩 の危険性ではなく、「(クレバス等に因り)池の谷ゴルジュの通過が可能か否か」に絞られた。出発前、当の自然保護 課から研修センター前のゲートが既に開放されている旨の連絡をもらい、日付が変わる頃には馬場島に到着した。  翌朝5時、快晴。警備隊に挨拶を済ませ入山する。4月11日・5時26分。今回も相棒は富澤くん、今やこの手 の山行には彼以外のパートナーはなかなか見つからない。剱も例に漏れずはやり今年は寡雪のようで、取水口での道 は所々雪が消えさえしている。取水口下を飛び石で対岸に渡り、堰堤を右から越すところまでは順調であったが、そ の上で通常はスノーブリッジを使っての再度の渡り返しが・・・それがなく、裸足での渡渉となる。  さらにタカノスワタリの廊下は完全にゴルジュが口を開けていて、水際の雪壁のヘツリから、これまた裸足での、 急流を股下まで浸かっての渡渉を強いられた。心配された池の谷ゴルジュは、最初の滝のところで雪渓がずばっと上 下に分断され、岩肌が露出していた。「これまでか」と思われたが、その手前左手の小ルンゼを詰め岩稜を乗越し、 そこに残置されたボルトにロープをセットすることで簡単に通過することができた。  その後もところどころ大きめのクレバスが口を開けていたが、ゴルジュの雪渓は途切れることなく、無事通過する ことができた。やがて、正面に剱尾根と三の窓が現れた。実はここからが結構長いのだ。10時15分、ようやく尾 根末端に着く。すでに5時間経過。ここでの小休止の折り、りんごを分けようとして僕は誤って指先を切ってしまっ た。傷は存外深く、圧迫止血しても止まらない。脈打つ毎に血は滴り、雪面は見る間に赤く染まっていく。凍傷の危 険性はあったが、とにかくテープで強引に止血を試みる。  それを剥がすと事態は振り出しに戻るのだが、一応巻きつけてさえいれば小康を保てることが分かり、プラン続行 を決めた。富澤くんには言わなかったが、真剣に「敗退」の二文字が浮かんだ、今回唯一の場面であった。剱尾根側 壁には幾つものルンゼ−と言うよりは"切れ込み"が走り、正直言って資料との同定が難しい。僕は二年前、同じくR 4を目指して入山し、誤ってR7だかR8だかを登ってしまった。  それはあまりにもいい加減すぎてお粗末だったのだが、結果としてはなかなか面白いルートだったし、かつ初登と いうおまけがついた。そんなことを思い出しながら三の窓に突き上げる傾斜のきつい左俣を詰め、さらに池の谷尾根 が谷を二分する手前で、ようやくドーム壁と、その右手に喰い込むR4を確認した。今年の状態が悪すぎるのか、残 念ながらその印象は何ほどのものでもない。資料では全6P中、2&4Pが核心とあるため、富澤くんをトップに送り 出す。  13時10分、登攀開始。1P目は岩からベルグラの右上ランペ。水氷で濡れてはいるが、軟らかく粘り気があっ て非常に扱いやすい。ただランペが細く、窮屈な姿勢が強いられたためにルート中このピッチが一番難しかったかも 知れない。ビレー点の関係で核心部は3P目となり、再び富澤くんの担当となる。狭いルンゼの右半分が絶ったシャ ンデリア状で流水があり、ちょっとビビった様子だったが、傾斜は垂直まで行かず、かつ短い。またルート全体を通 し、豊富な残置ピンを含め氷からも安定したプロテクションが得られる。  4P目を終えたところで17時、馬場島との交信の時間だ。(野村)「明るい内にはドームに抜けられると思う」、 (馬場島)「じゃあ明日、朝9時に再度交信ということで」。  翌朝9時ね、もうその要はないと思いますよ、ふふふのふ。そこからさらに氷を2Pと、雪壁を4Pでルートを抜 けドームに出た。予想に反し最後は辛うじて雪明かりで草付状のいやらしいベルグラをこなす有様、すでに19時1 5分。陽はとっくに暮れ、満月が煌々と世界を照らし出していた。水と行動食を口にし、不要な装備を整理した後、 20時、剱尾根上半にかかる。ここはできれば明るい内にスタートを切りたかった。  ここからはロープ一本のコンテとするつもりであったが、結果的には夜間行動故の危険を回避するため、大半がス タカットとなる。コルBからの1Pが極端に悪かった以外は技術的には問題ない。ほぼ無風・快晴、月光が照らし出 す東側斜面での行動にはリヒトも殆ど不要であった。が、急な雪稜・雪壁の登りの連続は、ボディーブローのように だんだんと体に応えてきた。剱尾根の頭手前の雪壁を詰める頃には、とうとう息継ぎをするために立ち止まっている 時でさえも、ふっと寝入りそうになりだした。「これはまずい」。  もう殆ど富澤くんが引っ張り上げてくれている(これは早月尾根に関しても同じだった)のだが、やっとこら剱尾根 の頭に着き、本峰を目の当たりにした時、その直下・長次郎のコルからの急登を目にすると、文字通りクラクラきた。 今の状態であれを越え、さらに夜間にあの早月尾根の核心部を下降するなんて、とても自信がない、、、。迷いつつ も歩を進め、長次郎の頭をも越えて遂に主稜線に合流したところで敗北宣言。  「早月尾根を安全に下るだけの自信がない、従いコルで一旦休止とする。行動再開は3時」。その時すでに24時 40分、クレバスを利用して斜面を踏み固め、ツェルトを被る。行動食を補給し簡単に身の整理をした後、約一時間、 泥のように眠った。3時、予定通り行動を再開する。いまや月光の恵みは西側斜面に移った。"3時"というのは、馬 場島に9時までに到達できるよう考えての概算、あの時点で行動を続けたとしても、<24時間>が果たせたか疑問と なった段階で僕なりに設定した次善の策だ。短時間であるが大休止の効果はテキメンであった。  本峰直下の登りを2P半で楽々こなし、3時50分、本峰に達した。祠がわずかにその屋根の一部を覗かせている。 僕にとっては91年正月に、また富澤くんはこの正月に、夫々に辛酸を嘗めた思い出深い場所だ。記念撮影もできな いので、早々に満月が行く手を導く早月尾根の下降に向かう。安定した雪質、回復した(?)体力のお陰で、カニのハ サミ、シシ頭を次々に越えて行く。  シシ頭からの下降の頃から薄明が始まり、僕らは夜から解放された。それでも2700M/エボシ岩までの下降は 雑だ。急傾斜を富澤くんはガンガン下っていく。ルートをよく記憶しているし、全く大したものだ。2600M、夜 はすっかり明け、すでに安全圏に入った。コンテのロープを解き、殆どの装備を片づける。あれほど世話になったの に、はにかみ屋の月は僕らにお礼を言わせる暇すら与えずに、いつの間にやら富山湾に沈んでしまった。  やがて陽が昇り、再びサングラスを手にする。朝が進むに従い雪は腐りだしたが、順調に早月小屋、1600M、 松尾平を通過し、4月12日・8時55分、予定より3時間29分遅れで馬場島に帰着した。そして9時、無線交信 に代え、佐伯隊長には「戻りました」との報告ができたのだった。  今回の山行は日本のアルパインクライミングの新たな発想として、その実験的意味合いにおいてある程度の価値が あったかと思う。一応<24時間>という設定を行ったが、人によってはそれは18時間で十分かも知れない。ただ、 何れにしろ、"本気で<24時間>"を目指すのであったならば、通過点毎の進行管理はじめ、様々な反省点が挙げられ る。  もしかしたら、ツェルトやシュラフカバーさえも省くべきではなかったか−等も含めて。(何ということはなかった )R4に予想以上の時間(6時間/参考タイムは4〜4.5時間)がかかったのは実力だから仕方ない、また大休止は、早 月尾根上の危険回避のために致し方なしとそれはそれで正しいと思う。だが、しかし!安定した雪質・氷質、無風・ 快晴に満月まで揃った最高のコンディションはもう二度と叶わぬだろう。  そう考えると、今回<24時間>という目標を達成できなかったのは、返す返すも残念・無念である。

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