京都左京労山/野村勝美、その他
< 記 録 > 野 村 勝 美
<山行日> 1998年2月21日(土)〜22日(日)
下手な登り方をしてしまいましたが、ルート自体は本当に楽しめるものだと思います。チャンスが掴み辛いか
と思いますが冬の黒部に行ってみようかという人にはお手頃かと思います。あまり気軽にお勧めしない方がいい
のかも知れませんが、是非々々一度お試しあれ。
季節が巡った。恨みがあるわけではないのだが、行く手を遮る壁を超えるべく準備に入る。第一段は幕岩S字、
このルートの”売り”であるベルグラ登りからは程遠い状態であったが、凍結ルンゼではそれなりに垂直の氷に
体を慣らすことができた。
さて、次のステップとして目を付けたのが今回のルート。10年前の岩雪の丸山の地域紹介に「二ルンゼより
少々難しい」とある。カチンときました、いろんな意味で苦しかったあの山行より「難しい」ルートがすぐ横に
存在するとは!「そんなわけないじゃない」。今から20年前に登られたそれには殆ど資料らしいものがない(当
時の岩雪は今より遥かに活況で、その中には中山茂樹氏が松本正城氏のガイド山行で荒沢ダイレクトを初登した
時の記録や、鹿島槍北壁中央ルンゼのソロの記録が出ている。
20年経った今、それからいかほどの進歩を山岳界は遂げたのか?僕らは一体、何をしていたのだろう?)。た
だ、丸山東壁の右端に位置する関係上、ルートが短いことだけは確かだ。その事実と、例の根拠のない思い込み
から、この山行をかなり楽観的なものと捉えた。パートナーには関西を去ることになった亀岡君を誘ってみた。
このところ氷登りに興味を持っているという彼への、僕なりのプレゼントのつもりであった。
<第1幕/3月1〜2日>
悪天で出発を1日遅らせ、2月28日、衣替えした”ちくま”に乗り込む。日向山のゲートに近づくにつれ雪
がドンドン深くなり、予備プランの八ヶ岳への転戦も一瞬考えた。が、約束されている好天を待って最悪一晩ト
ンネルの中で過ごすつもりで歩き出す。ダム駅からは、やはり今年は寡雪なのだろう、夏の登山道出口から外に
出ることができた。
雪がちらつく中、とにかく取り付き迄行くことにする。寡雪は黒部川が埋まっていないことからも歴然、それ
ばかりか内蔵助谷も埋まっていない!それでも黒部がひっそりと静まり返っていることには変わりなく、この世
界に僕ら二人だけが浸れるなんて何て贅沢なんだろう。一人の静寂もいいが、こうやってその喜びを分かち合え
る相棒がいたほうがよりうれしい気がする。
丸山東壁が見えてきた。降雪後だけあってさすがに白いが、雪は比較的落ち着いているように見える。二ルン
ゼ押し出しから台地に上がる。正面に二ルンゼ、左に大チムニーそして右に目指す三ルンゼが展開する。どう見
ても盟主は二ルンゼ、何とも懐かしい。しかし、あんなのどうやったらソロできるんだろう?!
それに比べ三ルンゼは極めて短いのだが、予想以上に相当に狭い。その点が気になったが、「さっくり終わる
んじゃない」。三ルンゼ押し出し付近に雪崩を避けられそうな岩陰があり、そこにベースを設営する。整地の間
、突然視界が白く閉ざされた。一瞬何が起こったか理解できなかったが、どうやら音もなく二ルンゼから大規模
な雪崩が発生したようだ。
風圧も、また実際に流雪も確認できなかったが。やはり黒部というのは一筋縄では行かぬところだ。時間に余
裕がありそうなので、装備を付けて取り付きへ。目の当たりにしてみると本当に狭い。スタート地点はハングの
屋根に守られた、ちょっと大き目の洞穴状。ここでビヴァークするのも悪くない。ルートはこの右壁のベルグラ
から始まっている。
いきなり垂直!ロープ一本分フィックスを張るつもりでスタート、15時半。3Mでこれを越え、緩傾斜とな
った幅3M程の氷雪壁を10Mも登ると、目の前には鬼ヶ島の鬼の顔をしたような雪の造形物が現れた。右は極
めて薄いベルグラの岩壁、左は垂直の軟雪壁、その間にポッカリ口を開けたそれはどうやら上部に通じている様
子。”顔”の部分はこれまた垂直の軟雪壁で登れたものでなく、この”口”を抜けるしか手はなさそうだ。
ところが奥に行くに従い、狭く且つ傾斜はきつくなる。肩がつかえては、一歩下がってアックスを振り回して
通路を拡げる。”振り回”せたうちはいいが、やがて突っ付く程度しかできなくなる。散々苦労して、最後は垂
直となった、体ようやく一つ分の穴から抜け出る。もう氷登りじゃありません、とにかく狭くて体のどこかが引
っ掛かってたが故に登れた次第。出たところが鬼の頭なわけで、一応の空間が確保されてはいるのだが、これが
また狭い。
ハング状の左の壁が迫ってきて、体を斜にしてようやく立っていられる程度、どうしても依然薄いベルグラの
右壁に正対せざるを得ない。さらに厄介なことに、左壁からは氷柱のカーテンが垂れルートを塞いでいる。これ
をまたぞろアックスで小突いて取り除くのだが、うち一発がもろ顔面キャッチとなる。一瞬クラクラ、どうも眉
間が割れたようだがこのままではどうすることもできない。
額に巻いていたタオルで圧迫止血して作業続行。行く手は完全なV字スロットとなり、前進の手立ては体の左
側のこのスロット奥に詰まった不安定な氷を使うしかない。そもそもが役に立たないが、正対しているベルグラ
を使おうにも狭すぎてアックスが振れないのだ!穴から出た時に左壁のリスに打ち込んだアングルが効いてはい
る。それも足元から離れ、何度も行きつ戻りつするが何もなしではここから先の前進はあまりにも恐ろしい。
気休めにベルグラのちょっと厚そうなところにスクリューを捻じ込むと3CMだけ入った。それにあぶみをセッ
トする。その上で両手は左のスロットの奥に引っ掛けるように打ち込み、また左足もそこに突っ込む。右足はベ
ルグラ或いはあぶみを使う。ジリッ、ジリッと。体が持ち上がると、どうも背後、つまり左壁側のハング上が緩
傾斜になって上方に繋がっているようだ。
落ち口は例の堅い氷柱のカーテン、やがて右足がスクリューまで上がると、それと右壁のベルグラを使っての
バックアンドフットの体勢となる。アックスを振る自由を回復し、今度は右手は左の肩越しに背後のカーテンに
打ち込む。暫くはクロスムーブのような格好で体を持ち上げ、やがて体を捻って左のアックスもしっかり打ち込
んだ。両手のアックス頼りに体を反転、一気に左壁ハング上のクーロワールに飛び移る。やれやれ。
緩傾斜をしばらく行くと、今度は3M程の氷瀑となった垂直の草付が立ち塞がる。その上は空間が広がってい
るようで、ここさえ突破できれば核心部は終わりのような気がした。が、ここでロープいっぱい。既に夕闇も迫
っている。亀岡君には申し訳ないが、このピッチ、ユマールなしでフォローすることは不可能だろう。ルートを
甘く見たつけが回ってきた、ユマールは装備に加えていなかったのだ…素直に懸垂すればよかったのだが、変な
ロワーダウンをやったがために再度登り返しをする羽目になる。結局草付にコの字とフォグを残置し、翌朝晴れ
渡った空の下、黒部の谷を後にした。
亀岡君は全くルートに触らず仕舞い、彼には本当に悪いことをしたと思う。
<第2幕/3月21〜22日>
やっている時はあれほど「かなわんなぁ」と思ったルートが、日が経つに連れ、トンでもなく面白かったよう
に思えてくるから人間って(僕だけ?)不思議である。また、荒沢に向け一定の成果をあげておきたかったこと、
ルートに残置をしたこと等からも是非再度出向きたくなった。ところがパートナーが見つからない。日程次第で
は本命の富澤君が付き合ってくれたのだが、天候との兼ね合いでうまく調整がつかなかった。
究極いやなら止めればいい訳なのだが、それ以 上に行きたい気持ちが勝ってしまった。3月20日、瞬間の好
天を利用して、不本意ながら一人”ちくま”に乗り込む。 この間、ジェフ・ロウの”アイスワールド”が出版
された。言わずと知れたアイスクライミングの教祖である。紹介されている様々なテクニックは”目から鱗”も
の、大変参考になる。往きの車中も貪り読む。
この一年、自分自身のトレーニングもかなり変化した。冬になっても人工壁でのフリーに終始、アイゼンの練
習はシーズン初に金比羅で一度履いた切りだがそれで全く支障がない。依然フロントポインティングは基本とし
て重要であるが、”氷”でもフリーに限りなく近い、よりテクニカルな足捌きが今日では使われている。
そんなことを考えて、ルートの、さらにはソロ故のプレッシャーからは極力逃れるようにした。 雪はさらに
減っていた。驚いたことに取り付き近くまで踏跡があり、それは黒部をかなり人臭いものに引き戻していた。一
方で、このお陰で相当に気分的に楽になったのも事実だ。ルートは三週間前に比べかなり黒い。気温も高く、取
り付きまでの側壁からは融氷による滴が絶え間なく落ちてくる。雪が落ちて逆にデブリが増したのか、出だしの
垂壁は短くなっていた。それを越すと、露わになった右壁にビレー点があった。前回まともなビレーポイントが
見当たらず、このことは今回の不安材料の一つとなっていたのだがこれで一安心だ。
ザックを引き上げ、確保を取っての登高に入る。”鬼の顔”は更なる成長を遂げ、”口”を通過することは最
早適わぬ様子、今回は外側から”顔”そのものを攻めることにする。しかし、依然”口”は開いたままで、全体
として僅かにハングした脆弱な5M弱の氷雪壁であることに変わりはない。足下の堅氷にコの字を埋め、慎重に
ホールドを選んで登り出す。右足はベルグラとのコンタクトを時にバックステムを交えつつ、また左足は”口”
の一方の端をなす垂直の雪壁にスメア気味に押し付ける。
ある程度のリズムも生まれ、早くも「ジェフ・ロウ効果かな」と自分でも感心した。ところが、悲しいかなや
はりここは日本の氷雪壁、アックスが緩傾斜に届くとそれは一気に軟弱になった。あと一歩、右足をぐっと引き
上げてバルジに乗れば…というところで右手のピックが雪面を切った。
5M程宙を舞い、折り返し10Mの墜落。事態をよく理解できず、わりと冷静に「あっ、止めなきゃ」と瞬時
に打ち込んだアックスが跳ねられて、ようやく「まずいかも」といった実感が湧き出した瞬間に不意に落下は止
んだ。回収時に見ると、コの字は見事にヒン曲がっていましたが。 登高を再開するも、墜落により最早気持
ちで負けてしまって同じムーブを繰り返す気にはなれない。
上に抜けることに固執した僕は右壁にボルトを打った。それもあまり安心できない代物。前進用に残置を設け
ることで自分のスタイルを崩してしまった。本来ここで退却すべきだったのかも知れない。その上のV字スロッ
トは、ベルグラやカーテンがさらに発達して本当に立つのがやっと。首を巡らすことさえできない。
仕方なく唯一空間に向かって自由の利く右手で、ベルグラにスクリューを捻じ込む。今回は根元までバッチリ
食い込んだ。それを支点に、強引に人工で虚空に飛び出す。アックスさえ振るえればベルグラを使って十分に登
ることができるのに!多少体の自由が利くようになって、背後のカーテンに移る。一連の面白いところは殆ど人
工を用いての突破となり、ルートの醍醐味は大幅に減殺されてしまった。
やがて前回の最高到達点、ここは僅かに痂のような氷を残し、既に剥き出しの草付となってしまった。フリー
で登りだすも、スタンスの不安定さを言い訳に、打ち足したピンにすぐにテンションを預けてしまう。もう、<ス
タイル>などありゃしない。あとは野となれ山となれ、単にルートをトレイスするだけの無意味な行為の反復に陥
った。段差の小さい垂直の落ち口手前のビレー点からの2P目は、左右に分かれるルンゼの左側に向かい、その
境目をなす垂直の半凍結の悪い草付を突破したところでルート選択のミスに気付いた。
正規ルートである、右手の更に狭まったルンゼ入り口のビレーポイントに着いた時にはすでに暮れ始めていた。
ここからはリヒトを装着しての行動となる。ルンゼは肩幅程度の広がりしかなく、3M以上の絶った部分は間違い
なく1P目のそれと似たり寄ったりの草付だ。所々潅木も使えるようになり、遂に人工のオンパレードだ。
一本のロープを三重に折り返して登るこの方法は、暗くなるとロープ捌きに手間取り一気にペースがダウンする。
途中、リヒトの灯りがふっと消え入りどうなることかと思ったが、幸い予備の豆球と交換するだけでこの事態は解
決できた。5Mの草付の落ち口直下左手、脆弱なカーテンの僅かな隙間の向こうに洞穴を発見。入り口を拡張して
這い上がると、そこは中腰で動けるほどの高さで、広さは3M四方、実に面白い自然の造形だ。立派な潅木からビ
レーもバッチリ取れる。既に20時を回り、ここでビヴァークと決めるが、もうひと踏ん張りして明日のためにさ
らに1P分フィックスを張ることにする。
ここを越えればあとは傾斜の落ちたクーロワールが緩傾斜帯まで続いているはずだ。雪がちらつき出す中、穴か
ら這い出て作業を再開する。直にクーロワールに入る。今度は左が絶った岩壁となり、右は緩い雪稜となっている。
が、翌朝まで雪が積もったらこれは間違いなく雪崩道と化す!うまくすれば右手の雪稜上でビヴァークできるかも
知れない。
ザックを担ぎ出し、フィックス頼りに洞穴を後にする。クーロワールに入り、そこからはロープを曳きながら雪
稜を上がるもそれは右隣りに同じように広がるクーロワール状の雪壁との境を形成する小尾根に過ぎなかった。ト
ラバースの後、そのまま雪壁を詰めて緩傾斜帯へ。ここは樹林帯直下の断壁状の地形で、どうにか潜り込めそうな
ベルグシュルンドを見つけた。雪とハング状に張り出した岩との空間を拡張し、熊の冬眠穴(見たことないけど)の
ようなスペースを確保する。何とか逃げ切った。22時半、入り口だけツェルトで塞ぐような形のオープンビヴァ
ークに入る。就寝は24時を回っていた。
その時は天井に僅かな穴が空いていることに気が付かなかった。夜半にちり雪崩がドサンと降り掛かり二度起こ
されたが、それ以外は実に快適なビヴァークであった。 翌朝は時折青空が垣間見られる程の天候、雪も殆ど積も
らずに済んだ。6時過ぎ、傾斜の強いところどころ嫌らしい雪壁を50Mトラバースし、樹林帯を割って上部に通
じるクーロワールに突入する。最後のポイント、8M程の草付は、右壁とのコンタクトラインをしばらく登ってか
ら流芯に戻ってのWアックスで乗っ越す。以降、樹林帯に達してからも広くなったクーロワールを拾うようにして
、ロープを曳き摺ったままひたすら詰める。スリップすれば一気に内蔵助谷まで吹っ飛ばされそうな天然のスベリ
台に、最後まで緊張は続いた。やがて空が広がり、傾斜が緩むとそこは丸山北峰直下だった。
9時半、北峰ピークに到着。「やれやれ、終わったな」。やっつけ仕事を片付けた後のような、何とも味気ない
山行にしてしまった。(恐らく)単独初登であろうが、もっと充実した内容になり得ただけに、ルートの性格を決定
付けるスタイルがこんな様になってしまい、心底残念でならない。
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