京都左京労山/野村勝美、他1名
< 記 録 > 野 村 勝 美
<山行日> 1998年2月14日(土)〜15日(日)
2月14日、雨
そこら中で融雪雪崩発生。あったかどうか知らないが、これで壁に付いていた(?)ベルグラはほとん
ど剥げ落ち、壁は真っ黒になる。S字を偵察がてら、左方ルンゼも見てみたが、氷柱は確かにありました。
けど、もの凄い勢いで水が流れてました。
2月15日
5時スタート。細かい雪が降っている。時折上部から自重によりチリ雪崩となって落ちてくる。バンド
を過ぎ、凍結ルンゼに入る頃から「雪が重くなったかなあ」なんて呑気に構えていたら、これまでと違い、
軽くない雪崩の直撃を受ける。共にセルフを取っている状態だったので助かった。「やべぇー」、と言い
つつ続行。
ベルグラは中途半端、変に雪が乗っていて、ミックスの部分はいやらしかった。雪崩は依然として右に
左に頻発する。その都度、「うえっ!」と注意を喚起する。大岩テラスの前後はトップは空身でラインを
引く。大岩テラス、時間を見ようと袖をまくると、、何と2万円もするプロトレックが潰れている!
雪崩でやられたんかなぁ。これで一気にやる気が失せた。
ベルグラはやはり不十分でここからは夏のルートに入る。トラバースの入り口はわずかなベルグラと岩
に乗ったボタ雪。たしかその先にボルトがあるはず、それを使って左の凹角に振り子で入ろうというこ
とでトップがわずかなベルグラにしがみ付き、ボルトの頭を発見した瞬間。「うえっ!」との絶叫ととも
に最大の直撃を食らう。正直、「やられた」と思った。
ビレーポイントはしっかりしているので大事には至らぬにしても、トップの墜落は逃れられぬと思いき
や、、彼は耐えたのです。感動ものでした。そして、その雪崩は壁に付着したボタ雪をきれいに拭い去り、
その後はしっかりしたベルグラと2本のボルトが姿を現しました。トップには悪いが、あまりの急展開に
笑ってしまいました。
この頃より太陽も顔を覗かせ、雪が急速に悪くなりだす。結局夏のルートすらもはずし、11、12P
はスラブと潅木の境目を登る。一歩毎にスラブに乗った雪が一気にB沢まで滑り落ちる。13Pで潅木帯
に入って終了。15:45。
実はここから一苦労。中央カンテで様子見したのに時間を取り、また夜の右稜下降で、どういうわけか
知らぬ間に右稜のコルを通り過ぎ、大凹角へのアプローチ沢のつもりが、何と大洞穴下の沢に入っていた。
こんなところが普通に登下降できるなんて思っていなかったが、これが雪崩のなせる業。こんなところで
「大町の宿」を探しても当然見つからない。
あきらめてワシの滝を下ってC沢から登り返そうとしてようやく自分の位置が分かった。大町の宿、21
:30。一服入れて下山開始。さすがの元気もののパートナーもダム下では足がつった。車に戻ったのが
24:45。「さすがに疲れたな」の問い掛けに彼、答えて曰く、「何でもありですね」。そう、それが
<アルパイン>ってことだと思います。それを聞いて、僕はほくそ笑んだのだった。
ちなみに、京都に入ったのは翌朝7:00でした。
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