大タテガビン南東壁 〜 剱岳

京都・左京勤労者山岳会/伊藤達夫、京都府立大学体育会山岳部/富澤隆一郎


< 記 録 > 伊 藤 達 夫


<山行日>     1997年12月24日(月)〜1月9日(月)

 計画では下記のルートに加えてチンネ左稜線を登るはずでしたが、三ノ窓で悪天候に捕まり、脱出するの
がやっとという結果になってしまいました。三ノ窓に着いた時点で20日間の日程の内9日を残していたので、
成功間違いなしと思ったのですが、気圧配置が悪天候持続のパターンになったことに気がつき大慌てで下山
にかかりました。

 しかし、すでに手遅れで本峰から先に進むことができず、2日間の停滞を余儀なくされました。下山でき
たのも短時間の小康状態を運良く利用できたからで、危ないところでした。

<ルート>

 黒部ダム〜黒部別山大タテガビン南東壁正面壁〜露草ルート〜南尾根〜三ノ窓尾根〜剱岳〜早月尾根下降


1997年12月24日(水) 晴れ

黒部ダム(9:20)→正面壁基部(15:45)

 雪が比較的しまっていて、南東壁沢もF3がわずかに露出しているだけという好条件で、壁の基部まで1日
で入ることができた。いつもなら1日半から2日かかるところだ。基部洞穴は冬でも水がとれてテントも張れ
る。

12月25日(木) 晴れ

登攀開始(7:45)→5P目までフィックス完了(14:30)

 夏と同様の乾いた壁を5P登り中央横断バンドまで達する。全体にオーバーハングしているので頻繁に起こ
る落石は背後を落ちてくれて安全。50mと55mの2本のロープを一杯に使ってフィックスし基部洞穴の前まで
降りた。2夜連続でものすごい落石(岩場の崩壊?)があった。

12月26日(金) 晴れ時々曇り

登攀開始(7:30)→7P終了(13:10)→8,9P目ルート工作終了(16:00)

 荷上げをしながら登る。6P目は氷の詰まった凹角、下から見た感じよりも傾斜が強くピトンを打ちまくり
ボルとも1本使用して突破。7P目は易しい雪壁を左斜上し鵬翔ルートのテラスに出る。テントが張れること
を確認してから露草ルートに戻り、ルンゼ状の凹角(落石が怖い)に2ピッチフィックス。

12月27日(土) 晴れ時々曇り

登攀開始(7:55)→11P終了(15:10)

 朝方に降雪があり一時的に壁が白くなった。核心部とみていた10P目はボルトの打ち直し等があったが岩も
硬く順調に突破できた。11P目を適当に登ると鵬翔ルートに合流してしまった。12P目にフィックスしてから
テラスにテントを張った。

12月28日(日) 雪

登攀開始(7:30)→正面壁の頭(12:25)→南尾根P5(16:25)

 12,13P目は鵬翔ルートを登る、14P目から両ルートは合流していると思う。通算16Pで正面壁の頭に出て、
さらに中央ルンゼの最上部を登り雪稜をラッセルして南尾根のP5に達した。中央ルンゼは雪が落ちてスラブ
が出ていて怖かった。そのくせ抜け出たところには雪がいっぱいあって支点がなく、スタンディング・アック
スでフィックスしなければならなかった。

12月29日(月) 晴れ

出発(7:45)→南尾根P2(15:50)

 勝手知った南尾根。雪の少なさにも助けられ、大切戸、P3、小切戸を順調に通過しP2へ。P1とのコル
へ向かって少し下ったところでテント設営。

12月30日(火) 雪

出発(7:50)→ハシゴ谷乗越(14:50)

 降雪は大したことはなくP0からコンティニュアスに切り替えてそのままハシゴ谷乗越へ。この行程を3日
かかったこともあり今回は楽勝。

12月31日(水) 晴れ <停滞>

 予備日を入れて12日間予定していたところを7日で着いたので、休養日として停滞し昼過ぎまで寝ていた。
8日分の食糧・燃料のデポを回収した。この日動いていればチンネを登れたかもしれないが登攀の疲れは相当
なもので、とても動く気にはなれなかった。

1998年1月1日(木) 雪

出発(8:40)→剱沢二股(12:00)

 雪が不安定で雪崩の危険を感じさんざん迷った後に出発。ハシゴ谷尾根を深いラッセルで下り四ノ沢出合で
剱沢を渡渉、降雪が激しくなり二股で行動打ち切り。

1月2日(金) 晴れのち雪

出発(8:50)→三ノ窓尾根2,200m(16:50) 

 三ノ窓尾根に取り付きラッセルに励み2,200mのプラトーまで達する。三ノ窓尾根はこの部分だけ広くテント
適地。他は細い雪稜。

1月3日(土) 晴れ

出発(7:20)→三ノ窓(17:40) 

 プラトーの先からアンザイレンし、細い雪稜とルンゼ状の雪壁を交互に登り三ノ窓へ。強風を警戒しコルへ
は出ず、小窓ノ王へ向かって雪壁を登り詰めたところに設営。この日以降、馬場島の富山県警山岳警備隊と定
時交信を行う。

1月4日(日) 雪 <停滞>

 荒れ模様の天気になったのでチンネ登攀のチャンスを待つために停滞。三ノ窓を吹き抜ける風の音がすごい。
テントサイトは巻き返しの風のみで安全。

1月5日(月) 雪

出発(7:20)→剱岳山頂(13:30)

 朝とった高層天気図で悪天候が持続するパターンになったことに気がついた。脱出するために大急ぎで出発
したが剱のピークで行動できなくなった。ピークの源冶郎尾根側に雪洞を掘ろうとしたが雪が少なく岩が出て
きたので断念し雪壁を削ってテントを張った。しかし、夜10時になって雪に押しつぶされそうになり、急きょ
すぐ隣に雪洞を作ることになった。今度はうまく掘れたがシュラフに入ったのは4日の午前3時半だった。

1月6日(火) 雪 <停滞>

 朝になって雪洞の壁が崩壊した。雪洞自体が壊れたのではなく、強風のため雪稜が削られ細くなって壁の部
分がなくなってしまった。雪洞を放棄し出発するが進めず引き返す。崩壊した雪洞をさらに奥に向かって掘り
進み再構築。掘っている間に元の雪洞は消滅し雪壁になってしまった。できるだけ奥にと思って掘り進んでい
ると今度は本峰ピークの反対側に突き抜けそうになり掘削を中止。かろうじて中にテントを張ることができた。
この日は丸1日雪洞を掘っていた。

1月7日(水) 雪 <停滞>

 入り口を埋められたのに天井が薄いので雪洞の中が明るい。偵察に出るがやはり進めず停滞を続ける。

1月8日(木) 雪

出発(6:50)→早月小屋(14:00)→1,600m(16:35)

 昨夜からの小康状態が続くことを期待して出発。しかし、2,800m付近から天候が悪化。間一髪のところで
逃げ切った。50mロープを一杯に伸ばしてアンザイレンし、トップができるだけスリングとカラビナを持ち
次々にランニングを通して進むコンティニュアスで大部分をこなし2,300mまで下りロープを解いた。その後
は輪かんとストックでラッセル。1,600mまでがんばり設営。夜になって富山県下に暴風雪波浪警報が出たが
ほとんど荒れず静かだった。

1月9日(金) 雪

出発(7:25)→馬場島(10:30〜11:25)→伊折(16:00)

 昨日2,100m付近ですれ違ったパーティーのかすかなトレースをたどって馬場島へ。さらに辛いラッセルを
続けて伊折へ下山。

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