岩峯登高会/朝岡隆、木村功二郎
< 記 録 > 朝 岡 隆
<山行日> 1997年12月29日(月)〜1998年1月2日(金)
山行記録としては物足りない内容ですが、私にとってはとても長かった、正月の報告です。
横尾ではミソジの遠藤さんと御会いしていたのですが、御挨拶せずじまいで、大変失礼いたしました。
また、当会の剣岳の事故に関して、ACMLでよくお見かけする方々の中でも、どんぐり山の会の坂上さんがいち早
く駆けつけて下さる等、大変多くの方々にお力を貸していただきました。この場を御借りして厚く御礼申し上げま
す。
残念ながら当会会員3名を含む5名の命を失う結果になってしまいました。うち4名の遺体はまだ見つかってお
らず、これからが長くなりそうです。この事故については、事実関係等整理できてきた段階で、できれば別途報告
したいと思っています。
(山域) 穂高岳屏風岩(敗退)
(メンバー)朝岡隆(32才)、木村功二郎(29才)
12/29 東京 =(車)= 石和:
上高地周辺散策予定の当会会員宅に宿泊。徳沢まで一緒。予定は屏風岩(蒼稜)〜四峰正面(北条=新村)〜
前穂東壁右岩稜(古川)で、1/5下山予定。
12/30
石和(5:00) =(車)= 沢渡(7:10) =(タクシー)= 中の湯〜上高地(9:00)〜横尾(12:30):
昨日より咳をしていた木村君の風邪がひどくなってしまい、どうやら熱も少しあるようだ。横尾の避難小屋でしば
らく様子を見ることにする。顰蹙を買うのは目に見えていたが、少しでも暖かくしたほうが回復も早かろうと思い、
避難小屋二階の奥にツエルトを張る。
12/31 横尾(停滞):
マシにはなったようだが木村君はまだ復活しない。朝方、避難小屋のお隣でギア分けをしているパーティーがいたの
で何となく見ていると、どこかで見たような顔。ミソジの遠藤さんとわかるが、声をかけるのをためらってもじもじし
ているうちに遠藤さんは出発される。(たぶん憶えてはいらっしゃらないとおもいますが、遠藤さんとは一昨年の春、
黒伏山の三十路ルートでお会いしています。このときは冬のデポ品の回収に来られていたと記憶しています。)
1/1
横尾(5:00)〜T4尾根取付(7:00)〜T4(11:00)〜蒼稜3P目(14:30)〜大テラス(泊):
予定は狂ったが、ともかく出発。朝のうちは1ルンゼの状態も良く、また屏風岩にはほとんど雪はなかったが、T4より
上あたりから天気は悪くなり、雪になる。
今回は私の冬壁デビューといっていい山行なのだが、予定通り時間がかかり、3P目まで二人登った所で今日中に終了
点まで行くのは諦める。このピッチをfixし、大テラスにツエルトを張る。
ラジオの6時頃のニュースで当会の会員が剣岳で事故を起こしたことを知る。荷上げをしないで済ませるため燃料・食
料とも節約してきたが、意味がなくなり、やけ食いをする。
1/2
大テラス〜蒼稜3P目(7:20)〜T4尾根取付(8:40)〜1ルンゼ押出(8:50)〜横尾(9:20)〜上高地(11:30)〜東京:
起きるとツエルトの周りには20cm程雪が積もっている。ロープを1本しか持ってきていなかったため、懸垂は9回、
1ルンゼの雪崩も怖かったが、それでも上へ抜けるよりは降りる方がはるかに早いため、降りることにする。
1/3
当会会員宅と現地で連絡をとり、当座の行動内容を決める。朝岡・木村他4名は1/4より現地(上市)へ行くことに
なる。
1/4、1/5 :現地滞在。
1/6 :富山県警より捜索打ち切り発表。朝岡・木村は帰京。
1/7 :岩峯登高会内の状況報告会。今後の組織作りの大枠を決める。
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