滝谷/D沢/涸沢岳北壁/昇天ルンゼ(新ルート)

ARIアルパインクラブ/有持真人、原岳広、青木徹也


< 記 録 > 有 持 真 人


<山行日>     1997年12月29日(月)〜1998年1月1日(木)

(ルート名)    滝谷/D沢/涸沢岳北壁/昇天ルンゼ(命名)
(ルートグレード) 6級
(標高差・時間)  滝谷出会(1765m)〜取付(2640m)    875m/7時間
          取付(2700m)〜涸沢岳/終了点(3103m)  403m/7時間
          合計                  1338m/最短で2日(条件が良ければ)          

 ★ 記録写真 ★ ルート図
 この年末年始は、滝谷を出会から登り第四尾根を登攀する予定だったが、ちょっとした勘違いからC沢 の隣のD沢に入ってしまい、第四尾根は登攀できなかった。  しかし、偶然にも初日のビバーク場所の上部が未登のエリアであり、雪質が安定していて天候が良かっ たと言う好条件が重なったため、本来ならエスケープルートに逃げるはずだったのだが、未登のルンゼを 登攀するという事ができ幸運でったと思う。 1997年12月29日(月)快晴 新穂高温泉(04:00)〜滝谷出会(08:00/08:30)〜雄滝上部(12:00)〜合流点(15:00) 〜D沢(2640m地点)(17:15)  12月に安房トンネルが開通したおかげで、新穂高までのアプローチが近くなったのがありがたい。新穂 高の駐車場で少し仮眠してから出発する。山岳警備隊の話では「雪は例年並」とのことだったが、私はかな り少ない様に感じた。林道にはトレースがしっかりと残っており、単調な歩行を続ける。  滝谷出会に立ち、上部を望むとドームがそそり立っている。天気は上々だし完登を誓って登攀を開始する 。先行パーティがいるらしくトレースが着いている。雪は多くて膝上。雄滝までは雪崩の危険は全く感じら れなかった。  通常なら「雄滝は右岸から簡単に巻ける」ということだったので気軽に考えていたが、今年は積雪が少な いために雪が着いておらず50mほどの完全な氷壁になっていた。  雄滝を越え、ひたすらラッセルを続けると谷が開け、正面にドームが現れてきた。合流点に着いたのが1 5:00。ここで大きな間違いを犯してしまった。  正面に立派な尾根があり、その右にわりと広めの沢がある。それがF沢だったのだが、その沢をD沢と勘 違いしてしまったらしい。地図でよく確認すれば良かったのだが、正面の尾根があまりにも立派だったので、 これが第四尾根だと思いこんでしまったのが原因だった。本来ならC沢を登るのだが、そこからD沢の登攀 始まってしまう。  沢はかなり広く、雪は多くて膝上程度。途中から沢が二股になっており、右俣に入ると急なルンゼになる。  この辺りからスノーコルに登れるはずだがそれらしき場所がない、地形から考えてみるとどうやらC沢と D沢を間違えたらしい。しかし、時計を見るともう17:15だ。とりあえずビバーク場所を検討する事に した。  沢筋より少し高くなっている場所を見つけた。安全とは言い難いがここでビバークする事に決める。軽量 化のため酒もなく、簡単な食事を済ませてさっさと横になる。 1997年12月30日(火)吹雪   D沢(2640m地点)停滞  短波放送の高層天気と地上天気を聞くと、低気圧が九州南方にあり速いスピードで東進している。南岸低 気圧ということもあり、強い寒気も流入していないので穂高では大荒れになることはないと予想されるが、 とりあえず出発は見合わせて明るくなってから行動を決めることにした。  エスケープルートとして涸沢岳西尾根の枝尾根に逃げる事もできそうだったが、12月の積雪量が少なく 雪質も安定していたため、ルート詳細は分からなかったが登攀記録のまだ無い涸沢岳直下にあるルンゼをエ スケープルートとしてではなく、登攀ルートとして登る事にした。  しかし、最初小降りだった雪も、だんだんと横殴りになってきたため今日は停滞とする。 1997年12月31日(水)小雪〜晴れ D沢(2640m地点)(07:45)〜取付(08:15)〜涸沢岳(15:15/15:45)〜涸沢岳西尾根(2400m地点)(17:00)  短波放送の高層、地上天気図では、今日は移動性高気圧が接近してくるために<晴れ>が予想される。テ ントから顔を出すとまだ小雪がちらついている。降雪中のルンゼ登攀は無理なのでしばらく出発を遅らせる 事にした。  少し風があるが、天気が回復してきたため出発する。気温は<−20℃>さすがに滝谷は寒い。  取付は、第五尾根の末端下部あたりから右を見ると、ルンゼから落ちてきた雪が積もっている箇所があり、 上部を見ると左岸に氷瀑がかかっているので目印になる。  この傾斜の緩い左上ルンゼからルートが始まる。ルンゼにはい上がると傾斜がおちて、雪も膝上ぐらいに なる。約100mほど登り左岸の氷瀑の横を過ぎると、正面に5mほどの氷瀑が見えてくる。この氷瀑の下 部は傾斜が緩くなり肩の様になっている。D沢側には雪庇があるので注意。ここでやっと一息ついてザイル を結んだ。  氷瀑を越えてさらに登りザイル一杯でピッチを切り、岩にシュリンゲをかけてビレーポイントにする。  正面の簡単な岩を左から巻き気味に登ると、雪が深くなってきた。それほど急斜面ではないが雪は腰上程 度ある。岩陰にステップを作りスタンディングアックスビレーをする。  スタカットで登ると時間がいくらあっても足りないので、ザイルを目一杯のばしての同時登攀に切り替え る事にした。  雪崩をさけるためにできるだけ右岸よりをラッセルしていく。しばらく登っていくと正面に氷瀑が現れた。 見た目だと(IV+〜V−)程度だと思われる。  高さは15m〜20m程度だろうか。この氷瀑を登りたかったが、アイスピトンが1本も無いために悔し いがあきらめて右岸から巻くことにする。この上部は大雪壁帯になっていた。  右岸のカンテを越えるとスラブに雪が付いた不安定な雪壁になっている。正面の岩を回り込むと小ルンゼ になっている。ここは比較的硬雪で安定していた。  上を見上げると大雪壁帯の上部に急なルンゼがあり、終了点の稜線には雪庇が張り出している。この上部 ルンゼと雪庇の乗越しがこのルートの核心部である。  大雪壁帯の下部に着いたのが12:00頃だっただろうか。緩斜面にステップを切り一休みする。  12月後半は比較的天気が良かったため、この大雪壁帯の上部の雪は硬く固まっている。大雪壁帯の左端 を同時登攀で登り、急斜面の硬雪になったところで露岩にハーケンを打ちビレーポイントにし、スタカット に切り替えダブルアックスで登攀を開始する。今日は気温が低く寒い。風が弱いのがせめてもの救いだ。  核心のルンゼ下部までたどり着いた。ルンゼの右岸の岩壁ににハーケンを打ち2人を迎える。見た目だと あと1p/45mで抜けられそうな感じがする。  下部の傾斜は約70度で雪質はアイゼンのフロントポイントが刺さる程度で比較的硬い。  頭上の雪庇の張り出しは約1.5m。これにトンネルを掘るとなるとかなりの労力と時間が必要だ。しか し、右に約5m程トラバースすれば雪庇がくびれている箇所がある。トラバースはかなり悪いがトラバース を選んだ。    雪庇を抜け出た所は、涸沢岳の山頂から50mほど西尾根を下った登山道だった。スタンディングアック スビレーで原、青木の順番で確保する。  最後に青木を迎え、3人で固い握手を交わす。稜線上は無風快晴。絶好の冬山日和だ。遠くに見える槍ヶ 岳が完登を祝ってくれている。  この最後のルンゼは<昇天ルンゼ>と命名した。 1998年1月1日(木) 涸沢岳西尾根(2400m地点)(08:00)〜西尾根取付(10:00)〜新穂高温泉(11:30)  今日は天気が下り坂ということで初日の出は見ることができなかったが、今年1年の無事故山行を祈り一 気に新穂高まで下山した。 <装備> ・ ザイルは(9mm×50m)×2本が有効。雪質によっては2本連結して100mで使用。 ・ アイススクリュー×4、雄滝が埋まっていない場合と<氷瀑>を直登する場合。 ・ ハーケン各種

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