霧峰山岳会/島田邦昭 、後藤芳郎
< 記 録 > 島 田 邦 昭
<山行日> 1997年10月10日(金)
アニマルです。
実は[Climbing Mailing List] & [AlpineClimbing Mailin
gList]への記録のアップは初めてじゃないかと、自分でも少々あきれております。
というのもフリーと沢登に明け暮れて、本番を忘れたクライマーに成り果てていました。そのせいかヘル
メットやハンマーを探すのに苦労したり、9mmザイルがなくて、11mmを持っていったりと間抜けさは
否めなかった。果たして5年ぶりの一の倉沢登攀行は?
昨夜後藤の家庭の危機を内包しつつ、 車にて出会いに到着。
都内の渋滞のため横浜から5時間もかかってしまった。当初の計画書は滝沢スラブ〜ドームだったが、警備隊
の計画書をチェックしてみると、なんと4パーティーもいるではないか。
いつのまにそんなに人気ルートになったのだ?といぶかりつつ、こんなに入ったらビバーク必至なので、
すぐさまその場で3ルンゼと書き直す。何故か3ルンゼのルーと図も持ってきていた。
翌朝5時15分に目覚める。本当は寒くて寝ていられなかったのだが。霧峰山岳会としては異例の早発ち
で、6時30分駐車場を後にする。いつもながら、ヒョングリの高巻きはぐちょぐちょでのどろどろで、そ
れでなくても低いモチベーションがいっきにゼロになる。
テールリッジにはフィックスが全面的にはられている。いつからここは一般ルートになったのだろう。
早くも烏帽子周辺は人だらけ。中央稜に8人、衝立てに6人、凹状に4人、中央カンテに7人、正面ルンゼ
?に2人、変チーに2人、フランケダイレクトに2人、そして昨日雨が降ったのか壁はべちょべちょに濡れ
ている。
ガスは本谷バンド近くまで降りていて、晴れる気配はなしそれどころか風が強くて非常に寒い。南稜テラ
スに着くと何故か誰もいない。 先行の姿もみえない。え?まさか・・・
ここで島田の思考は水が低い所に流れるように楽な方へ流された。3ルンゼ>濡れてる>滑る>冷たい>
長い草付き>いやすぎる>>南稜>易しい>先行パーティーなし>めったにない>いくべし。
ちょうどいい。後藤にオールトップをやらせて、リードの卒業試験としよう。渋る後藤を追い立てるよう
に登らせる。
8時半登攀開始。登っていてもビレイしていても寒くてしょうがない。手の感覚がなくなるほどだ。ここ
をアイゼンで登ったら、さぞかし厳しいだろう。などと考えながら淡々とフォローする。
滝沢スラブに目をやるとようやく2パーティーが下部にとっついている。もう9時だぜ。大丈夫かいな。
3ルンゼにも4人パーティーと2人パーティーがいる。F3は黒々と濡れているのにご苦労さんです。正面
ルンゼを登っているやつが洗面器くらいの落石を落とした。
ビレイヤの横をかすめて、中央カンテの取り付きにいた集団のまん中に落ちる。幸い誰にも当たらなかっ
た。フランケダイレクトの2人は鎌形ハングが乗り越せなくて敗退。ハーケンが2本もぬけたらしい。
なんて自分の事よりも人の見物に忙しくて、 ビレイしてる暇がないほどだ。落ちるなよ。やはり南稜は南
稜で何事もなく2時間で終了した。もう一本いくかと水を向けるが、その手には乗りませんよ。といなされて
しまう。天気がよければ国境稜線まで行きたい所だ。
だれか懸垂岩のコルから一の倉岳のルートをご存知の方フォローしてくれません?皮肉な事に懸垂で降り
ている間に晴れてきた。テールリッジの紅葉とスラブの白さがコントラストを成して、とても美しい。 これ
が本番のいい所。
あいかわらず下降は長くいやらしい。烏帽子のルートは短くてもこのアプローチと下降の長さを加えると
結構なルートですよね。12時ごろ滝沢のパーティーはF2にいた。3ルンゼのパーティもF2をうろうろ。
衝立てのパーティーも第一ハングを越えた所だった。他人事ながら、この時期のビバークはつらいなと思
ってしまう。
出会いに戻ると観光客が群れを成していた。ここに屋台を出したら、儲かるだろうなあと思っていたら、
駐車場の脇に焼きいも屋がいた。以上あまり緊張感のない日和見登攀記でした。
★ エリア別山行記録へ戻る ★ INDEXへ戻る