前穂北尾根〜滝谷/第四尾根

グループ・ド・ミソジ/吉田剛、小松


< 記 録 >吉 田 剛


<山行日>     1997年4月29日(火)〜5月3日(土)

 4/29〜5/3で穂高周辺へいってきたので、報告です。

 当初の計画では前穂北尾根から入り、奥穂−北穂へゆき、滝谷4尾根、クラック尾根、時間があったらドーム
と1尾根の予定でしたが、ほとんど敗退に近い報告です。恥を覚悟でかきます。長くてごめんなさい。

 櫻井さんの4尾根報告は帰ってから読みました。充実していたそうで、なによりでした。雪はどんどん少なく
なっていくようです。

4月29日

上高地(8:30)−八峰基部(15:30)

 週間予報では全般的に曇りの日が多そうだった。個人的にはこれまでの山行は晴天に恵まれた日が多かったの
で、多少天気が荒れてもよい経験になるかなという甘い考えがあった。

 入山初日はピーカンの天気で、暑い。入山は慶応尾根の雪があまりにも少なかったので、夏道のパノラマコー
スの沢からあがる。翌日の天気が荒れるのはわかっていたが、寝不足もあり、八峰基部にテントを張る。好天に
恵まれ初めての穂高の眺めを堪能する。

4月30日

八峰基部(7:00)−3,4のコル(2:30?)−涸沢(4:00?)

 昨日のラジオでは群馬や愛知では雷も有るだろうとのこと。多少心配していたが、朝は山頂もみえていたので、
降雪を覚悟で出発する。六峰の登りは多少急雪面だが、アックスを使い慎重にあがる。

 六峰付近?のナイフエッジで突風に吹かれ、冷や汗をかきながら順調にあがる。五峰の頭についたころには、
視界は20m程度。四峰はうっすらと感じる程度。

 5、6のコルにいたときは四峰は少なくともみえていた。ここでしっかりとルートを見極めるべきだった。
四峰を登りはじめたころには降雪が始まる。ここで私が勘違いをしていた。凹角の岩登りがあるのが四峰だと思
っていたのだ。しかも、岩には残置支点がある。小松がザイルをだし、シングルロープであがる。

 しかし、出だしが非常にきつく、左からまくようにあがった。これが、もっとまずく、支点が取れない上に、
見た目よりずっと難しかったという。小松いわく、バイルを引っかけながら登ったが、腕がパンプしそうになり、
死ぬかと思ったといいながら、あれが一番楽しかったなどと後述していた。

 私はセカンドでザイルを回し、凹角からA0であがったが、これがまた、今まで登った岩の中で一番難しかっ
たと思った。もっとも振り返ってみればザックにはテントもザイルもフレンズなどもあり、全装備だったのと、
凹角でスノーシャワーなどもあったことを考慮すると岩のグレードは四級程度だったのかなとも思う。

 このピッチで二人とも銀マットを飛ばされてしまう。次の次のピッチでは小松が雪面から岩場ののっこしの部
分でバイルを持ち替えようとした瞬間バランスを崩し、落ちてしまう。15m程だったが、幸い下は雪面だった
のでボディービレーでたいした衝撃もなく止まる。

 3,4のコルに着いたときには二人ともずぶぬれでがたがた震えていた。この日は北穂へベースを張る予定で、
小松はまだ登攀意欲十分だったが、私が完全に参ってしまい、涸沢へ降りることにした。二人とも銀マットを飛
ばされたので、マットのないテントの中で、ザックを敷き、乾くはずのない体でスリーシーズンシュラフに潜り
込んだ。

5月1日

涸沢停滞

 朝起きると、体は完全に冷え切っている。ドームだけでもと、登攀意欲のある小松には申し訳ないが、快晴の
元完全休養日&乾かし日とした。何度も荷揚げのヘリコプターが行き来していた。

5月2日

涸沢(4:00)−松波岩、北穂(6:00)−スノーコル(8:00)−四尾根終了点(19:00)−
松波岩(22:15)−涸沢(23:30)

 とんだ一日だった。北穂までは1時間であがれるだろうと思っていたが、見た目よりも長かった。北穂で写真
などを撮り、C沢の下降に入る。クラストしており、アイゼンの爪しか入らない。慎重に下降し、スノーコルに
つくと、先行パーティーがいた。このあと、長いお付き合いとなる・・。

 取り付きで待つこと1時間15分、9:15登攀開始Cカンテ基部で待つこと30分、Cカンテ上部で待つこ
と15分、ツルムのピナクルで待つこと45分、ツルムから懸垂したところで待つこと45分、その後は時間を
見るのも止めたが、とにかく遅い!!!

 ツルムのピナクルに着いたときに初めて話をしたが、先に行ってくださいと言っていた本人が懸垂した地点か
らリードし、しかもクラックを超せずにもう一人があがってゆくしまつ。しかも、最終ピッチではカンテを超せ
ずに立ち往生していたので、ここでやっと抜かせてもらう。

 途中ではビバークも覚悟したが、小松はヘッドランプを点けても、A0でもA1でも絶対ぬける!と、燃えて
いる。実は我々はビバークの準備をしていなかったのだ。これは後で反省点になるのだが、たとえドームしかや
らなかったとしても、事故などがあればどのような事態になるかわからないし、最低でもビバークの準備はする
べきであった。

 雪のガリーはダブルアックスがよいでしょう。ツルムのピナクルまではつるべであがったが、ここからは私よ
り登れる小松が、フリーでやりたがっていたが、時間がないので言葉どおりA0,A1を駆使して駆け上がる。

 セカンドの私は文字どおり駆け上がる。最終ピッチでは待たされて完全に冷え切り、面倒くさくなった小松が、
吉田さんそのまま行きますか?と、いうので言葉に甘えていかせてもらった。ルート図では四級A0となってい
たが、私には時間があってもA0ではきついだろう。

 カンテの出だしは高度感もあり、手袋を取ってフィンガージャムで取り付いた。すると”ブチッ”・・・ゴム
がきれて片方の手袋が奈落の底へ。のっこす時にアブミを出したが、これがまたバイルに引っかかり、バイルも
奈落の底へ・・・。

 あぁ・・・。しかもザイルの流れも悪くなってしまった。みっともない。力は残っていても、冷静さはなかっ
たようだ。今考えても悔しい。冷静になっていれば・・。私が終了点に着いたのが18:45で辛うじて見える
程度だった。小松がのっこしにお助けシュリンゲを残し、ここからはヘッドランプであがる。

 ここから北穂まではパタパタ歩ける縦走路かと思いきや、結構神経を使う。完全にバテてしまった私を残し、
小松が先行する。ここまでヘッドランプで◎印を頼りに来たが、北穂南峰で、松波岩方面の岩に×印がしてあっ
た。ここでわたしは滝谷側の雪面をトラバースする側の足跡を見てこちらだと思ってしまう。

 ところが一個所だけに氷化していて、バイルと手袋を失ったわたしにはつらい。ここが縦走路のはずがないと
思い直して南峰まで戻る。集中力が切れそうになる。南陵から下ろうかと考えながらボーとしているところに、
小松が心配して迎えに来てくれる。

 ルートは岩に×印のところが正解だった。松波岩からは心配するところがないので、小松が先に降りてお湯で
も沸かしてますよ。と、言ってくれる。私は雪渓のくだりで、3分歩いては5分休むような状態でやっとテント
に着いた。これで天候が荒れていたら、とんでもないことになっていただろう。反省しきりである。

 テントではミルクティーしか飲めなかった。小松はカレーを食っていた。この差が生き残るバイタリティーの
違いになるだろうと思いながら、0:15分、真っ暗な涸沢でビバークよりはずっと暖かい一夜を過ごした。

5月3日

涸沢(10:00)−上高地(12:30)

 今まで無線連絡の取れなかった仲間に偶然会えた。彼はこれから涸沢岳へのぼりスノボーで下るという。あと、
北尾根に1パーティー、屏風岩に1パーティーそこら辺に何人か散歩仲間がいることが分かる。

 昨日の19:00ごろはみんな無線で話していたのにと、言われて、返す言葉もなかったが、バイル1本分軽
くなってよかったねと、皮肉で送られて帰路に就く。

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