Mt.クック

日程
2003年1月26日(日)〜30日(木)
メンバー
(韮崎)杉山雅彦
記録
(韮崎)杉山雅彦
写真
なし
ルート図
なし

<山 行 記 録>


ACMLのみなさん、こんちは
CC,岩魚ネットのみなさん
運良く、天候に恵まれて、素晴らしいクライミングを楽しんできました。
サミットアイスを左からまいて、本当の山頂まで到達できました。
アルパインの凝縮されたほんとうに素晴らしい山でした。
昨夜帰国しましたので、レポートを添付します。(たいへん長文失礼します)
なお、クック前後の行動と画像は、国本さんが運営する”岩魚の独り言”
に掲載していただく予定です。興味のある方は後日ごらんください。
★ http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/2047/
杉@韮崎
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03年1月26日〜30日 ニュージーランド山紀行・Mt.クック登頂編
                                杉山雅彦
1概要
 プラトーハットへ入山4日目に快晴に恵まれ、念願の登頂を果たすことができた。
2記録
  <日程>03年1月26日 ヘリにてプラトーハットへ、午後雪訓でドームへ
       1月27日 暴風雨のため停滞
      1月28日 Mt.デイクソン(イーストリッジ)、昼から暴風雪
      1月29日 Mt.クック登頂(リンダ氷河から)、夕方ヘリでクック村
へ
      1月30日 休息日、アルパインガイドのシャレ-に滞在
 <メンバー> 杉(岩魚クラブ&白鳳会)

3詳細
  26日いよいよクック山域に入る。8時にアルパインガイドのオフィスに行き、
ガイドのSevorin(セヴァリン)と会う。フランス人ガイドで、夏はシャモ
ニー、冬はここで働いている。フランスの山とスキーのガイド学校を卒業した27歳
の青年である。
 さっそく持参した装備のチェックを受ける。ピッケルは迷ったあげく、アイス用を
2本持参したが、やはりこれは失敗だった。普通のピッケルを1本借りた。
アイゼンにアンチスノープレートが無かったのは大失敗だった。度付サングラスは色
が薄すぎると指摘されたし、いろいろ失敗も多い。
 9時にヘリポートへ行き、ヘリに乗り込む。歩けば1日〜2日もかかる標高220
0m
のプラトーハットまで15分、あっという間である。帰りもヘリに乗ったが往復で3
00ドル(約2万円)だった。歩いて登るパーテイーもあるが、貴重な好天候のタイ
ミングを逃さないためにも、スピードを重要視したい。
プラトーハットは無人小屋で25人程度の収容、水は屋根からの雨水、トイレは40
mほど離れた屋外にある。キッチンは10個ほどもガソリンコンロを並べられ、椅子
とテーブルも20人ほどが席につける。前週から天候回復を待っている人で満室だ。
日本人がこの日ヘリで下山したが、紫外線で雪盲になったとのこと。恐るべしニュー
ジーランドの紫外線、せめて度付サングラスの横から入る光を減らそうと、大慌てで
テーピングテープでカバーを作った。意外な落とし穴だ・・・本番まえに敗退では悲
しい。
昼食後にセヴァリンとドーム(標高2424m)に登りに行く。強風の中のほんの散
歩であるが、ガイドシステム特有のロープのコイル方法などを教わり、またお客の技
量を最初にチェックするらしい。かなりのスピードで歩き、簡単な岩も登るが、平気
でいたので、まずは合格でしょう。こっちも彼の技量をチェックする。こっちは天候
と気温を予測して、薄手のインナーとゴアのアウターだけで、寒くも暑くもない。し
かし彼は暑い、寒いといって頻繁に脱いだり、着たり。うーむ・・・クライミングは
うまいし、教育は受けているが、山のキャリアはそれなりだなーとしっかりチェッ
ク。
若いだけに、こまめに働き、毎回の食事もけっこう豪華に作ってくれるのがありがた
い。
赤ワインもある。甘いデザートも出るので二日目には虫歯が痛くなってしまった
(笑)

 27日は暴風雨で満室の小屋で終日停滞。アイゼン用アンチスノープレートを自作
した。材料はミレーザックの背中のプラスチック板、少し切ってもどうってことない
し、命には代えられない。この判断に後で救われることになる。
タバコは止めようかと思ったものの、成田で10箱買ってきた。もちろん外で吸わね
ばならないが、こんな日のタバコはありがたい。海外からの登山者とも、喫煙中に話
をする機会もでき、こういう時には役にたつ。山屋に喫煙者は多いなーと実感。
それにしても、歯は痛くなる、腰痛も出てきたし、暖房のない小屋は、寒くてジメジ
メして気がめいる。
毎日、夜の7時にガイド事務所から天気予報(標高毎の予報)を無線で知らせてく
る。それによれば、明日は朝のうちは晴れ、昼から天候が崩れ、その後、数日間悪天
が続くとの予報だ。では今夜の11時に出発しようとセヴァリンと決行を決めた。

 28日、(27日の夜は一睡もしないまま)夜中11時、出発準備ができた。しか
し
外は強風が吹き荒れている。ベテランガイドのポールが我々に“今年は南極方面の
ジェット気流が大きく蛇行していて、オーストラリアの高気圧が張り出して来ないの
で今日は厳しい”と忠告してくれた。ではMt.デイクソン(標高3004m)のサ
ウスリッジをやろうかということになった。10ピッチの岩とアイスのミックス登攀
である。
4時に歩き出すと先行のベテランガイドのアントンが“今日は天候の崩れが早いから
エスケープの厳しいサウスリッジよりもイーストリッジにしたほうがいい”、と忠
告。
 結局、アントン+フランス人(アラン)、ポール+日本人(Iさん)、それにセ
ヴァリンと私の3パーテイーが1ピッチ目の下部に到着した。オーストラリアのガイ
ドレスのパーテイーは我々の後に続く。最初は立った雪壁だが、ダブルアックスが気
持ちよく効くき、難なくクリア。しかし取り付の真っ暗なクレバスは恐ろしい。
1ピッチ登攀中に左手上部からセラックの落ちる音が始まったが、それは次第にすご
い規模になり、なんと高さ150mほどの大崩落が起こった。まだ薄暗い中、ものす
ごい雪崩れが起き爆風と雪煙を浴びる。我々の登ってきたトレースをすごいスピード
で覆い尽くした。時間が30分ずれてて良かったー、と胸をなでおろす。幸い、誰も
事故に遭わなかった。氷河崩壊の雪崩は小型トラックほどの大きな氷の塊がごろごろ
している。こんなのに逢ったら粉々につぶされて二度と出て来ないだろう。
2ピッチ〜3ピッチ目は60度くらいの氷壁のアイスクライミングである。ダブル
アックスで快適に登って行けるし、ビレーはスノーバーを打ち込んで支点を作る。登
攀自体は易しいが、1ピッチが50m一杯と長いので、ふくらはぎが張ってくる。稜
線に抜けたところで、夜明けを迎えたが、早くも雪が降り出した。ここから撤退する
ことになったが、ガイド達の懸垂システム構築の見事さに感心した。しかし、岩角の
古い残置に6人がビレーを取るのは気持ちがいいものではない。2ピッチ目の懸垂か
ら風雪となり、チリ雪崩を浴びる。最後は空中懸垂、けっこう絵になる光景なので、
デジカメで皆の画像を撮った。
ハットへの戻り際に先ほどの雪崩の側を通り写真も撮った。
この日は朝の9時ころから暴風雪になった。Mt.Cookへ行かなくてよかった・
・・。
風速は100km〜130km(風速30m)強い台風並みの強風だ。外のトイレも
命がけである。風で氷河に飛ばされたら、カチカチの表面を滑って、下界まで一直線
だ。
7時の天候定時連絡も明日からの回復は望めないとのこと。全員ががっくりしてい
る。
自分はまだ停滞3日だが、5日も待ってる人がいる。アメリカとオーストラリアの
パーテイーは暴風雪の前に歩いて下山してしまった。日本人の年配4人組の人たちは
それぞれにガイドがつき8人の大所帯である。彼らはもう残りの日数がない。明日、
降りることに決めたようだった。自分はあと3日チャンスがあるが、どうなることや
ら、うーん・・・。

 29日、夜中の1時にセヴァリンに起こされた。外は満天の星、快晴とのこと。ア
ントンとセヴァリンが夕べ話をしていたらしい。すでに、アントンとアランは出発準
備をしている。自分も大急ぎで準備を始める。他の人が寝静まっている中、昨日の
Mt.デイクソンのメンバー6人が今日のMt.クックへのアタックメンバーとなっ
た。
Iさんは10年以上も毎年夏のシャモニーに通って、すでにマッキンリーも登り、現
在はヒマラヤ8000mに挑戦中の50代後半の日本人。
フランス人のアランはたぶん40代で、後から聞いたらマッキンリーや中国奥地な
ど、海外登山の経験が豊富である。彼もエンジニアリングマネージャーで、大きなプ
ロジェクトを立ち上げた後、3年に1回、1ヶ月の休暇を取って海外に行っていると
のこと。
見上げると満天の星、南十字星はどれだろうと思う。さーて、行きますか。リンダ氷
河を目指して緩やかに下っていく。いったん標高2100mまで下ってから3754
mの山頂まで標高差1700mの登攀だ。昨日の積雪は小屋の周辺で5cmくらい
だったが、リンダ氷河のクレバス帯では20cmくらいになった。底なしのクレバス
を右に、左に蛇行して避けながら高度を上げていく。氷河歩きの経験のない自分に
は、ロープで確保されているとはいえ、クレバス脇のトラバース、スノーブリッジ、
新雪で隠れたクレバスを渡るのは恐ろしい。やがて迂回不可能な大きなクレバスが行
く手をさえぎった。
底の一部が20mくらいの深さでつながっているので、底におりてから垂直の壁をダ
ブルアックスで登り返す、こういうのは簡単だ。
 クレバス帯を抜ける付近で新雪は深いところで50cmになった。終始アントンが
ラッセルしている。彼は50代と思うが、すごいパワーである。
6時45分、周囲の頂が赤く染まる夜明けである。ここで大休止をとる。     
  ここから第2の核心で上部のセラック帯ガンバレルがいつ落ちてくるか判らな
い。同時にリンダ氷河上部の45度くらいの急斜面トラバースである。カチカチに凍
結した急斜面をツルブリッケン稜へ左斜めにあがっていくのだ。
第3の核心はサミットロックの6ピッチのクライミングだが、その前に新雪はいよい
よ深く腰までのラッセルとなり、さすがのアントンもスピードが落ちる。
そして、朝の7時半、出発してから5時間を経過して高度差250mのサミットロッ
クの基部に到達した。1ピッチ目は30m位の雪壁、2ピッチ目20mのベリクラの
ミックス。
3ピッチ目40mは右からミックスの壁を上がってからルンゼをダブルアックスで上
がる。長いピッチなので息があがる。4ピッチ目以降は記憶が薄いが、気温も低くて
ダブルアックスで快適だった。登攀自体は八ヶ岳西壁の入門ルートレベルだが、大き
な違いはすでに長時間行動をしていることと、1ピッチが長いことで体力的には厳し
い。
セヴァリンが快適にリードして我々が最初に稜線に立った。すでにMt.タスマンと
同じくらいの高度に到達、西海岸とタスマン海を眺めることができる。
ここから山頂まで標高差で約300mの雪稜、左右は高度差2000mに切れ落ち、
すごい高度感だ。ここからはセヴァリンがトップでラッセル、自分も2番手となる。
頂上直下の氷の壁が見えるあたりからは、カチカチのアイスバーンで緊張する。
そして、頂上直下の氷の壁に到達した。ここがガイド登山のサミットとしていると聞
いていたが、我々は氷を左手から超え、本当のサミット薄い尾根の山頂に立つことが
できた。
時刻は11時30分、9時間15分の厳しい登攀だった。すばらしい高度感、360
度の視界、さえぎるものは何もない。クック村を見下ろすようにそびえていた300
0m級の山並みをはるか下方に見下ろす。その後、サミットアイスの氷壁でビレーを
取って大休止。さて、これからの下降が核心だ、気持ちを集中させる。事故は下りで
起きているのだ。

 雪稜の下りは、登りのラッセルで苦労した分だけ、スリップの怖さが消えて安心
だ。
サミットロックは3回の懸垂で降り、途中のルンゼから直接下降した。
そして最後の核心はリンダ氷河上部のトラバースと上部のセラック落下のダブルパン
チを浴びる場所で、頻繁に事故が起きている場所だ。腐った雪がアイゼンにつき、4
5度の急斜面のトラバース。セヴァリンが急げ急げと声を掛けてくる。上からセラッ
クが落ちてきたら誰も助からない。しかし、自分がスリップしたらセヴァリンを引き
込んでいっしょに落ちるかもしれない不安定な場所。スノーバーで支点をとって下り
たいのは当然だが、セラック落下に遭遇しないために、スピードが優先なのだ。1歩
毎にピッケルで片足の雪を叩き落し、汗びっしょになりながら下っていった。自作の
アンチスノープレートでどれくらい助かったか判らない。セヴァリンのスノープレー
トをつけたシャルレのアイゼンも雪が団子になる状態なのである。そしてようやく安
全地帯で大休止を取った。
アントンが度付サングラスを見て“おまえのは色が薄すぎるから雪盲になる、これを
使え”といって、彼の予備を貸してくれた。
リンダ氷河ではクレバスの写真をとる。ブルーの氷が底なしの深さに開いている。朝
来たルートをトレースして、ようやくプラトーハットが見えてきた。ここでセヴァリ
ンと改めて握手して、写真を取り合う。そして、プラトーハット午後5時に帰還でき
た。所要時間は14時間45分である。標準タイムは15時間から20時間とのこ
と、今日の厳しいラッセルを加味すれば順調な登攀だった。天候にも恵まれた。
運がいいことは続くもので、30分後にヘリが来るとのこと。セヴァリンに“すぐ降
りたい”と伝えた。こうなったら、熱いシャワーとビールだ!息つく暇も無く荷物を
まとめ、6時前にクックビレッジの空港に降りてしまった。ヘリの費用は往復で2万
円だった。我々だけでヘリを使うと高くなるが、他の人と共用すれば安く済むのだ。
7日間の予定を4日で終えたので、あと3日はガイド社のシャレ-(ロッジ)を自由
に使える。さっそく、シャワーを浴びて、髭をそって着替えてさっぱりした。この晩
は、アントンの招待でハーミテージホテルのレストランで今日のサミッター6人全員
でデイナーを楽しんだ。レストランの大きな窓から残照のMt.クックを眺めながら
ビールで乾杯、ワインでバイキング料理をたくさん食べた。寿司と生かきが美味かっ
た。合間をみて、ラウンジのインターネットで家族に無事の登頂をメール。その後、
2次会はシャレ-のすぐ上のバーに行った。スコッチの水割りは2ドル決して高くな
い。寝酒には最高だった。
こうして長い一日が終わった。

 30日は移動しようかとも思ったが、天気もいいし、Mt.クックを眺めてこの
シャレ-でのんびり休息した。それでも、絵葉書を出したり、洗濯したり、装備を干
したりいろいろとやることはある。セヴァリンは朝と昼食時にシャレ-に来て、食事
を作ってくれた。
余った食料をヘリで持ち帰ったので、分けてもらい夕食は自分で作った。野菜シ
チューとご飯を炊いて、海苔に醤油の米の飯が美味かった。
食後はゆっくりとこのレポートを書いている。今の時刻は夕方9時、Mt.クックの
山頂も見えているが風も出てきた。大きなシャレ-だが、今夜は一人で贅沢に過ごし
ている。

4感想
Mt.クックは年間登頂者が数10人程度と聞いてきたが、それは本当だった。
プラトーハットで12月からの登山記録を調べてみたら、数10人しかいない。
1週間か10日に1〜2日だけに集中して、数人〜多いときは10人くらいの登頂者
がいる。また、先週から小屋に停滞して天候待ちの人たちが25人もいたのに、登れ
たのは我々6人と、今日たぶん2人だけ。初登頂から100年でサミッタ-は1400
人という話も聞いたことがある。
今回の成功の要因、それは第1に運、第2は熱意と気合、第3は体力と技術だろう
か。
ガイドも人である。登るんだという意気を感じて、この厳しい登攀に付き合ってくれ
るのだと思う。またセヴァリンと自分の二人だけではラッセルが厳しく登頂は難し
かったと思う。アントンの天才的な天気の読みとすばらしいラッセルのパワー、ポー
ルの存在感が大きく、皆の足並みがそろったことも成功の要因だった。これも運であ
る。
セヴァリンには日本に帰ってから4日間の画像をCDに焼いて送ることを約束した。                         

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