<山 行 記 録>
<山域> 伯耆大山(ほうきだいせん)・北壁
<ルート> 別山・幻のカンテ、滝沢
<メンバー> 山岡人志(地球クラブ・兵庫労山、43歳)
宮本俊浩(大阪ぽっぽ会・大阪労山、41歳)
<記録> 山岡人志
<行程>
2002年
03月09日(土)元谷小屋(6:25)~別山・幻のカンテ取り付き (7:20) ~
稜線 (11:50)~元谷小屋 (13:00)
10日(日)元谷小屋(6:15)~滝沢下部取り付き (7:10)~
稜線 (9:20)~元谷小屋 (10:30)
<概要>
2年前に別山バットレスを登ったとき、左に「幻のカンテ」が見えていた。
両側が切れ落ちたナイフリッジの岩稜で岩ももろそうに見え、あんなところ
が登れるのかと恐ろしげなルートに思えた。時間がたつと、その感覚も薄れ
る忘もので、今年はこのルートを登ることになってしまった。登山体系(第
10巻、p. 261、白水社)に「相当浮き石が置く岩も脆いが、しっかり凍結し
た時は好ルートとなる」と書かれている。しかし、僕のまわりには最近ここ
を登ったというひとは見あたらなかったし、過去にここを登っているひとを
見たこともなかった。
元谷小屋まではいつもの通り深夜12時頃着く。今年は麓から1時間ほどで
着いた。昨年は、ここにたどり着くのに、塩飽(しわく)山の会(香川労山)
のひとたちと深夜のラッセルを何時間もして朝3時頃ついたのが嘘のようで
あった。
土曜日は朝から快晴。北壁も全体がよく見える。結局、この一日中快晴で、
こんな日はこの6年間で初めてであった。長年ここに通っている塩飽山の会
の百合さんも、こんなに天気に恵まれたのは初めてだと言っていた。雪の状
態もよく、ラッセルもあまりない。弥山尾根向かう先行パーティのトレース
を追って行き、途中から別れて別山の幻のカンテに向かう。
幻のカンテの下部はナイフリッジの尾根を忠実にロープによる確保なしで
たどる。登山体系に書かれているトポでIV級のピッチは右側の雪壁から回り
込む。その上の小さなコルでロープを出し、トポでは25 m、IV級、A2と書
かれてあるピッチを宮本リードで登る。ここの取り付きにはなんとPetzlのハ
ンガーのボルトが1本打たれていた。持つ岩すべてが次々と剥がれ、ぶつぶ
ついいながら宮本がロープをのばす。あぶみは使わず、一カ所だけA0で
20 mほどを登り切る。ルート上の残置ピトンは1本だけ。
次は、トポでは、40m、A2、V級とある核心のピッチ。ここの取り付きに
もPetzlのハンガーボルトが1本あった。山岡リードでリッジ沿いに登る。す
ぐにピトンを3本連打してエイドクライミング。ここを乗り越え、崩れ落ち
そうな岩の脆く細いリッジを恐怖の思いをしながら登る。ランニングビレー
もとることができない。天気は良いが気温は高く、持つ岩がことごとく剥が
れて落ちていく。ロープが流れなくなったので後ろを見ると、なんと、ひと
かかえもある岩の根もとにロープが2本とも食い込み、ロープを引くと岩が
揺れる・・・・。また、引き返し、ロープをはずして登り返す。なんとか
50 mのばして終了。このピッチには残置ピトンは全くなかった。いまの感
覚で言えば、A1, 4級+程度のピッチ。でも、すべての岩が信用できず、精
神的に緊張させられた。ここからはやさしい岩のリッジの登りとトラバース
を2ピッチ(1ピッチ50 m)して、別山バットレスと合流。雪壁から強風の
稜線に出ると夏山登山道を多くの登山者が登っていた。残置のスリングを残
置と知らないで回収していた。見たらナゴシと書かれていた。広島山岳会の
名越さんのものだろうか。
なお、この日、別山沢付近を滑っていたスキーヤーが滑落して木に激突し
て頭を打ち、ヘリで運ばれるという事故が起きた。死亡事故だと聞いている。
我々が小屋に戻ってしばらくした後であったが、塩飽山の会の宮武さんらの
パーティが出くわし、無線機を使ってヘリによる搬出に協力したとのことで
あった。
日曜日は天気がくずれかけており、稜線にはガスがかかっていた。上部の
ルートがよく見えないまま、滝沢にはいり、右俣を登っていくと断崖に阻ま
れる。右の弥山尾根側に行き、ルンゼ状のところをしばらく登ると、弥山尾
根の一番左端の尾根のルートに合流して稜線にでた。1ヶ所のみ簡単な確保
をしたが、後はすべてコンティニュアスで休まず登った。
別山の幻のカンテは岩が大屏風よりもさらに脆く感じた。短いルートであ
るが気が休まることのないクライミングを強いられた。気温がもっと低く岩
が良く凍結していれば、確かに好ルートとなるかもしれない。左京労山の野
村さんも一緒にいく予定であったが忙しくキャンセルになってしまった。野
村さん、また、機会があったら登ってみて下さい。
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