日程 |
2001年12月29日(土)〜2002年1月6日(日) |
メンバー |
(盛岡RCC)佐藤、太野、升田、渋谷 |
記録 |
(盛岡RCC)佐藤 |
写真 |
なし |
ルート図 |
なし |
<山 行 記 録>
槍ヶ岳 北鎌尾根
日程: 2001.12.30〜2002.1.6
メンバー: 盛岡RCC(佐藤、太野、升田、渋谷)
記録: 同上、佐藤
以下、本文。
初めて投稿します。岩手県、盛岡RCCの佐藤です。
正月の北鎌尾根について報告します。
<下見>
10月下旬、高瀬ダム〜北鎌沢〜槍ヶ岳頂上〜新穂高温泉
11月下旬、七倉ダムから、沢の状況とP2取付き付近偵察、ピストン
<行動概要>
パーティーを北鎌本隊(4人)とサポート隊(7人)の二つに分け、入山口、葛温泉まで全
員車(2台)で移動。本隊と分かれた後、サポート隊は車を新穂高温泉に移動。後、西穂
高周辺で登山行動。
<本隊行動記録>
12月29日、盛岡発21:00=(東北、磐越、北陸、信越自動車道経由)糸魚川
12月30日(くもり小雪)、信濃大町=葛温泉8:30=七倉ダム9:30=高瀬ダム
11:10=名無し小屋13:20
[積雪:くるぶし〜スネ(トレースあり)]
盛岡から長い道のりである。夜通し交代で運転しながら、ろくに眠ることもできずに
信濃大町着。コンビニで朝食を買い、全員車中で食す。さて出発。いきなり路肩に乗り
上げる。なんか変だぞ?パンクだった。慌てて近くの広場に車を停めるとそこは神社
だった。パンク修理のかたわらついでにそこで荷分けをし、これも何かの縁だと皆で神
社にお参りする。道路は葛温泉止まり。進入禁止のチェーンが道に張ってある。身支度
をし、サポート隊の面々と手をたたき合う。「行って来るよ!がんばってくるよ!何か
あったらよろしく頼むよ!」言葉にならない思いが胸を覆う。いざ出発!チェーンをま
たぐと後は振り返らない。除雪はされていないが、足跡が見える。七倉で指導センター
に寄った。聞くと、我々の前に15パーティー以上が入山しているとのこと。11月の
下見で出会った千葉のパーティーは入山していないようだった。天気は悪くなる様子。
道々そんな話をしてきた我々は、長丁場になるな・・と半ば開き直っていた。予定の6
日に下山できないかもしれない、と入山する前からサポートの面々に話をしておいた。
これで随分気が楽になった。届けの最終下山日は8日にしておいた。お茶とみかんをご
馳走になり、その場を後にする。高瀬ダムを越え、トレースに沿って山道を進むとほど
なく名無し小屋に出た。本日の幕営予定は湯俣だったが、先行パーティーが大勢いる
し、湯俣まで時間もたいしてかからないことからここで宿泊とし、小屋にあったストー
ブを組み立ててその晩は暖かく快適な夜を過ごしたのでした。
12月31日(晴れ)、名無し小屋6:20=水俣出合8:20=仙天出合11:20=
P2取付12:30=P2枝尾根15:05
[積雪:スネ〜ヒザ(トレースあり)]
前日のトレースが消えたせいかちょっとラッセルで以外に湯俣まで時間を食う。名無
しで泊まったのは失敗だったかな?と少し不安になる。湯俣付近で2パーティーとすれ
違う。体調不良者が出た、悪天でP4から引き返したとのこと。湯俣から先は見事なト
レース。まるで高速道路の様。無雪期最初に現れるへづりは対岸に渡ってなんなくクリ
ア。仙天出合まで半分以上をスイスイ歩かせてもらった。感謝感謝!その後更に8パー
ティーとすれ違った。もちろん下山する人達ばかり。負傷者が出て下山を余儀なくされ
たパーティーもあったようだ。浅瀬の飛び石を渡り再び左岸を遡行。無雪期最初の渡渉
地点は秋にもあった(人為的にかけられたのだろうか?)丸木の上をわたり右岸に出、
仙天出合を経て次の渡渉地点はP2取付より手前の流水が少ない所から3回沢を飛び越
えてなんなくクリア!渡渉対策を考えてきたベテラン太野さんは道具が使えなくてガッ
カリの様子。多少濡れた人もいたけれど、靴下絞っていたようだ。取付でハーネスを付
ける。トレースがありがたい。岩場でロープを出し、升田が行く。その先ほどなく幕営
地に到着。先行パーティーが整地した跡をそのまま使って幕営。今日は大晦日か・・・
などと感傷に浸っている間もなく就寝。
1月1日(朝晴れ後雪)、出発6:25=P4・8:40=5・6のコル11:40=北
鎌のコル15:10
[積雪:ヒザ〜ムネ(P4までトレースあり)]
トレースに沿ってP4まで楽をさせてもらう。もしトレースが無ければ胸までのラッ
セルであっただろう。5・6のコルにテント、その先に引き返してくるパーティーが見
える。コルにて少し休憩する。引き返してきたパーティーがP5はこっちから越えるべ
きだ等話している。どうやらその先トレースは無いようだ。我々は進む。この先頂上ま
で、他のパーティーに会うことはなかった。過去の登山記録を参照して、P5は天上沢
側をトラバースする。荷物を背負っては腹まで潜るので、その先かんじきを付けて空身
でラッセルする。トラバース後ルンゼを登り返しP6とのコルに出、今度は仙丈沢側を
登る。やらしいのでロープを出した。1ピッチ程で尾根に戻り、P7とのコルを経てや
せ尾根を渡り、P7を下る。そのままラッセルで下れないこともなかったが、安全を見
込んで懸垂にする。北鎌のコルに降り立ち、風当たりの弱い斜面を切ってテントを張
る。天気図を書き、明日以降の行動を話し合う。この雪の量では一日で独標を越えるの
は難しい。その先のテン場も不安だ。しかし、独標の手前までは進んでおきたい。視界
さえあればOKとみなし、翌日行動する腹づもりで就寝。
1月2日(雪)、出発7:00=P9と独標の間のコル13:30=偵察後、P9下のコ
ルに戻る15:00
[積雪:モモ〜頭上]
そんなに風は無い。視界も利く。行動開始。ハーネスが凍ってベルトの折り返しがキ
ツい。準備の出来た者からラッセルが始まる。なかなか手強い。思うように進まない。
1ピークを目途に交代しながら進む。斜度のきつい所では雪が固まらず、笹や這松の上
を足を潜らせ進む。頭上の雪をかき分けるのも一苦労だ。ラッセル交代要領で少し不手
際があったものの、二順目に入ったところでP9手前のやせ尾根に出る。やっとここか
・・・。行こう!いよいよここから北鎌のハイライトだ。休憩もそこそこに再び歩き出
す。ラッセルから岩稜の歩行に変わり、少し戸惑う。いくつかupdownを繰り返す
とほどなく、岩塊が現れる。これを乗っ越した所が独標の登り口だったのだが、我々は
ここがそうだとカン違いする。独標だと思ったので直登しようと無駄なトライを数回し
てしまった。結局時間切れで翌日に回す。そこのコルは風当たりが良すぎたので、一つ
戻り、P9下のコルにテントを張る。前線は通過したものの、今度は気圧の谷の通過で
明日以降も天気は悪い。回復の見込みがあるのは5日以降だ。明日は停滞しようかな〜
という空気が何とはなしに皆から感じられる。外は吹雪。吹き溜まった雪がテントを圧
迫する。風の息づかいを読んで今だ!と小便に出るが意味無し雪まみれである。翌日の
行動は天気次第として就寝。
1月3日(雪)、停滞
視界は利く。風はいくらか強くなった。相変わらず吹雪いている。行動できないこと
はなかったが、停滞とする。一日中寝ている者、進んで雪かきする者、自分の身体を心
配する者、じっとしてられない者など、時間の過ごし方は様々だ。停滞時の食事は一日
一回なので、夕食が待ち遠しい。昨日までに余った行動食等を皆、考えながら食す。天
気図から判断するに、明日以降も天気が回復する見込みはなさそうだ。かといって猛烈
に悪くなる気配も無い。まだ独標を越えていない。なんとか越えたい。食糧も乏しく
なってきたし、天候がこのままなら翌日行動する事を期して、ジフィーズのカレーライ
スを美味い美味いと食し就寝。
1月4日(雪)、出発7:20=独標トラバース後、P12下降途中にて幕営15:00
[積雪:コシ(尾根上はスネ〜ヒザ程度)]
前方のピークが見えるので視界はOK。風は変わらず。しかし、吹き飛ばされる様な強
風ではない。今日が勝負!ベテランの声に促される様にテント内で身支度をすませ、い
ざ出発。独標と思い込んでいたピークの肩に出るとその先に本物が現れた。見覚えのあ
るシチュエーションに少々がっかりする。取付まで進んで偵察する。直登ルートらしい
所に残置ハーケンシュリンゲがある。登り出しがシュルンド状に埋まっていて潜りそう
だったので、別なルートを探す。トラバースルート沿いに少し進むとハーケンが見え
る。岩も出ており斜度もゆるい。ここなら登れるかと思ってロープを出して取り付く
が、どうもうまくいかない。「遊んでる暇はねーんだぞ!」「ダメならトラバースだ」
ベテランの忠告に従ってトラバースルートに切り替える。あのハーケンはトラバースの
確保用だったのだろうか?渋谷先頭で中間で一度ピッチを切り、もう1ピッチでトラ
バース終了。ちょっとしたやらしい個所を越えると緩斜面帯に出、奥のルンゼ付近まで
進む。ルンゼは深雪なので、左横の岩稜帯を登る。先頭を行っていた太野さんは途中で
ルンゼを渡り尾根に出た様だが、他の3人はそのまま直上し、尾根上を渡って合流。独
標を越えたことで少し安堵するが、思いのほか時間がかかってしまった。ロープを多用
し過ぎたらしい。記録は無いが、この時点で13〜14時だったと思われる。小休憩
後、岩稜の歩行に移る。P12から夏道とは別方向に下降したところ、途中で雪の吹き溜
まっていないテン場を発見。風は強いが雪かきの必要無いのがありがたい。時間も押し
迫っており、ここにテントを張る。風上に張り綱を補強しテントに潜り込む。天気図は
取ったが、ここまで進んだ以上もはや撤退より抜けた方が安全なことは明らかだ。明日
も相変わらずの天気らしい。燃料と食糧を改めて確認する。当初、北鎌のコルから北鎌
平付近まで一日で行く予定であり、予備日も2日しか見込んでいなかった。燃料はベテラ
ンが気を利かせてガソリン1L余分に持ってきてくれたから足りるが食糧は今晩で予備食
分を使い切ってしまう。もう一日停滞した日にゃ後が無い。一食分余計に持ってきてい
た米を温存し、翌日の朝食をカットして行動食で補う事として対応する。まだ残ってい
た酒さえもこの日は我慢した。寝袋はもうバリバリ氷付けである。
1月5日(雪)、出発7:00=北鎌平12:15=大槍頂上15:30〜16:00=肩
の小屋16:30
[積雪:スネ〜ハラ]
今日が勝負だぞ!ベテランが言う。決戦の日は一日だけとは限らない。今日も!なの
だ。天候は変わらず。強い風、それでも視界はある。バリバリのテントをむりやりたた
んで出発。P13を越えてしばらく行くと大きな岩塊が現れる。この先ずっと尾根上を行っ
たのだが、独標よりここが核心部!と思った。無雪期にはトラバースしていたルート
だった。登れそうだったのでトラバースルートを無視して直登する。一つピークを越す
とまたピークが現れる。渋谷が直登するが途中で詰まる。ロープを出し佐藤が空身で脇
を登り、全員を確保する。どうやらピークは越えたようだ。下り気味にだらだら進むと
いくらか平らになる。北鎌平手前の平坦地だ!確信して嬉しくなった俺は北鎌平まで一
気にリードする。北鎌平は腰までのラッセル。でも嬉しかった。やっとここまで来た!
小槍が見えるじゃないか!吹雪いて大槍は見えないものの、尾根を脱出できる、いや、
小屋に泊まれる!下山できる!という嬉しさで一杯だった。後続の太野、渋谷に「本当
に北鎌平か?」と念を押される。実は、無雪期のルートを走破していたのは自分だけ
だった。積雪期は全員初めてだったのだ。「間違いない!あれ、小槍だよ!」それを見
て皆納得した様だった。休憩後、大槍の登はん開始。渋谷先頭でズンズン進む。直下100
mほどでちょっとしたトラバースにロープを出す。安全を見込んでのこと。1ピッチ
ちょいでチムニーの下に出る。もう1ピッチで頂上に到達するはずだ。トップの渋谷が
着いたとコールしたらしいが聞こえず、まだかまだかと足踏みして自分の番を待つ。チ
ムニーを越え天上沢側に回りこんだ所で初めて頂が見えた。「頂上かっ?!」と大声で
聞く。そうだの声に「よし!やった!やった!!」拳を握り締めて叫んでいる自分がい
た。嬉しかったなぁ・・。頂上で渋谷太野と握手を交わし、ラストの升田とは抱きあ
う。眺望なんて望むべくもないが、喜びを全身で表現しつつ記念写真を撮る。改めて祠
に手を合わせ、ここまで無事にたどり着けた事を感謝する。下りもよろしく!胸のつか
えが降りて、気が澄んだところで下山にかかる。慎重に下って小屋に入ると先行パー
ティーが親しげに挨拶してくる。今思えば、救助隊と間違われたのかもしれない。2
パーティーとも元旦から閉じ込められているらしく、下山路がわからないとのこと。そ
りゃ難儀してますなぁ・・と暖かいお湯をご馳走になる。まさかヘリの要請をしていた
とは思いもよらなかった。なんと彼らは遭難していたのだ。そんなこととはつゆ知ら
ず、我々はあれも食おうこれも食おうなどとお祭り気分で盛り上がっていた。はしゃぎ
過ぎて注意されたっけ。彼らが何故下山出来ないのか理解に苦しんだが、一つだけ覚え
ている事がある。彼らのザックがとても小さかったのである。装備は一揃いある様だ
が、どう見ても小屋頼みの2泊3日山行にしか思えなかった。荷物が多いから良い訳では
ない。我々も軽量化には随分苦労した。しかし、あまりに安易すぎやしないか?
ちょっとな・・なるほどな・・。パーティーの力量がわかった気がした。
1月6日(晴れ)、出発8:10=槍平13:30=新穂高温泉16:30〜17:00
[積雪:おおむねコシ〜ハラ(槍平からトレースあり)]
朝、携帯で留守宅本部等に連絡を入れる。皆心配していた事だろう。各人実家などに
電話して声を聞かせる。下界は40年ぶりの大雪とのこと。身支度を済ませる。まだ先
は長いのだ。出発間際になって初めて、先行パーティーがヘリを要請している事を知っ
た。我々のトレースを追いかけるかもしれない・・と言っていたが、最後までその姿を
見ることは無かった。昨日までの悪天はどこへやら。風は強いものの、青空と、槍の穂
先が見えるじゃないか!やっと晴れたから嬉しくて、我々は意気揚揚と出発した。西鎌
尾根から中崎尾根のコース。西鎌尾根の途中で一度ルート確認したが、難なく乗っ越し
着。小屋にいたパーティーはこの辺でルートを見失ったのではないだろうか?相当風も
強かった事が予想される。今までろくに写真を撮れなかったのでバンバン写す。北鎌尾
根とバイバイだ。乗っ越しの先は深雪。ラッセルが始まりかんじきを付ける。尾根上の
コルまで雪崩に注意しながら進む。そこから飛騨沢に降り、槍平を目指してひたすら
ラッセル。頭上を何度も何度もヘリが行き交う。いーなー俺たちも乗せて行ってくれ!
と思いつつもひたすらラッセル。一人50歩交代で進んでみたが後が続かないので30
歩交代に変更!すると今度は効率良すぎて休む暇が無い。がんばって槍平のトレースに
たどり着いた時はかなりホッとした。あの先トレースが無かったらその日の内に下山で
きなかっただろう、感謝!有り難いことにその先効率的でよどみの無いトレースが(救
助隊の跡?)終点まで続いていた。最後の気力を振り絞り俺がラストで新穂高温泉に到
着すると・・遅いよ!と言われるかと思いきや、何やらみんなで雪かきしている。何し
てるの?えっ?この雪の山・・、車? 掘り出すのに1時間かかりました。なんとも最
後までやってくれた今年の北鎌尾根でした。
1月7日、朝5:30 盛岡着。
ほとんどの人が寝ずに職場に顔を出した様子。一見落着です。
以上で記録を終わります。
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