日程 |
2001年12月29日(日)〜2002年1月2日(水)( |
メンバー |
(グループ・ド・ミソジ)遠藤博隆、成毛正範、山田裕士 |
記録 |
(グループ・ド・ミソジ)遠藤博隆 |
写真 |
なし |
ルート図 |
なし |
<山 行 記 録>
ミソジ 遠藤です。
報告がちょっと遅くなりましたが
暮れから正月にかけてバットレスへ行ってきました。
途中までしか登れなかったので 敗退記です。
2001.12.29-2002.1-3
北岳 バットレス
メンバー : 登攀 遠藤博隆、成毛正範、山田裕士
縦走 佐藤
12/29 PM7:00 山形出発 12/30 AM3:00夜叉神峠着
12/30 AM7:30夜叉神峠出発 鷲ノ住山 あるき沢橋 池山御池小屋PM4:00着
12/31 AM6:30池山小屋 ボーコンの頭 八本歯のコル(PM1:00) Dガリー取り付(PM4:00)
01/01 AM7:00取り付き 横断バンド(10:00) 懸垂開始(11:30) Dガリー取り付き(1:00)
広河原着(PM6:00)
01/02 広河原(AM8:00) 夜叉神峠(12:00) 山形
12/29-30
山形から夜叉神峠までは運転を任せ楽をさせてもらう。この年になるとアプローチが一番の核
心だ。池山小屋まで重荷に喘ぎながら登り やっとの思いでテント場に着く。テントを張りながら待ちき
れずまずは乾杯。
12/31
快晴の中 八本歯のコルへ向かうが思うに任せず到着がPM 1時となる。しかも先行者なし
トレースが全く無い。昨日小屋で4尾根に行くと言っていたパーティーは何処へ行ったんだ。人のラッセル
を当てにした自分を責めながら下り始める。2−3日前に降ったと思われる雪が腰以上有り下りなのにラッ
セルがきつい。ナダレる感じの雪ではないので途中からトラバースに移った。Dガリーへの登りは山田が空
身で胸までのラッセルをしながら進み後続がリュックを持ち上げながら続いた。
01/01
1p ラジオでは夜からこの冬一番の寒気が入り込み 大荒れの予報を伝えているため日中勝負と登
り始める。途中ピンが無く15mの所にフレンズを噛ませ 後はランナウトで50m登りフレンズナッツでビレ
ーポイントを作る。
2p やさしい雪壁を50m。
3p やさしい雪壁から急で不安定な雪壁を横断バントの手前までトラバース。
冬のバットレスは初めてだが思ったより雪が多い。
4p 9月に来た時はバンドを上に上がってトラバースであったがアイゼンではスタンスが無く7-8mロワー
ダウンしてバンドを渡った。9月の時にはあった旧横断バンドの大岩(縦4m*横8m程)がそっくり無くなって
いて下からきたほうが楽のようであった。少し登りかけていた山田に戻って下から来るように伝え、山田
が戻りかけた時浮石を掴み足元の雪と一緒に滑り出した。一瞬岩陰で見えなくなり空中を頭を下にして落
ちていった。トラバースなのでザイルは15m程伸び しかもこちらより高い地点からの滑落。思わずザイル
を引いたが引けるはずも無く下の岩に叩き付けられると思った瞬間、途中 支点が一本も無いはずなのに
空中で止まった。ラッキーと思った時 成毛が” 動くな ! ”と怒鳴った。岩角から1m程ザイルが白く見
える。よく見るとザイルの細い中芯 数本だけでぶら下っているのだ。側にある成毛のザイルにセルフを
取らせ 事なきを得たがそれまでの数分間がやけに長く感じられた。全員がそろいホッとしたところで行
動食を食べ時間的に登り切る事は無理と判断して下降に移る。八本歯のコルに登り返すのは雪の量から考
えて時間がかかりすぎるため広河原へ下ることにした。雪の状況によるがエスケープのルートとして利用
できる。雪崩が起きるか起きないかの判断ができるパーティーなら八本歯のコルへ戻るより時間的にはは
るかに早い。
縦走隊と連絡も取れ広河原で真っ暗な中合流。当然大宴会となりザイルの切れそうになった話で盛り上
がった。
01/02 林道を4時間歩き夜叉神峠、山形へ。
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