グランドロシューズ北壁

日程
2001年7月23日(月)
メンバー
(山岳クラブ峠の仲間)久野弘龍
記録
(山岳クラブ峠の仲間)久野弘龍
写真
なし
ルート図
なし

<山 行 記 録>


グランドロシューズ北壁(Vivagel)
グレード:TD
2001年7月23日
久野弘龍(山岳クラブ峠の仲間) 単独
 
 このとき、ロジェールキャンプ場にいた住人は皆一人で登りたがりな奴等だった。これとい
うのも鈴木謙造君がここにやってきたからに違いない。少なくとも、僕が一人で登ったのは、
パートナーが仕事でスイスに行ってしまったからだけでなく、彼に刺激されたからだ。
 謙造君の向ったのはサンノン北壁、フレンチディレクト(グレードED2)で、僕の向ったの
は彼のよりもっと簡単なルートでグランドロシューズ北壁Vivagel(TD)。謙造君に「
あまりソロは勧められないけど、初めてソロをするなら得意なものからやった方がいいですよ
」というアドバイスをもらって決めたルートだった。 
 そう、僕には初めての本格的なソロクライミングだった。
 Vivagelは標高差1000m。コンディションがよければ下部がクーチェリエクーロアー
ルの左側(50〜60度)を500メートル。その後、トポによれば200mほどが70〜85度の氷の滑り
台。残りは60度の氷雪壁と易しいミックスで4102mのグランドロシューズに着く。
 僕の登ったときは、クーチェリエクーロアールの途中から氷が出ていて、また上部の氷雪
壁も氷が出ていたので、下部300mが雪壁。氷が550m。最後150mが易しいミックスと恐怖の雪
稜だった。
 謙造君が登った翌日、僕も出かける。謙造君の向ったルートも、僕の向うルートも出発は
一緒で、グランモンテケーブルの頂上駅である。そんな訳で、彼は「一人で眠るのは寂しい
から、いっしょに行って話でもしてましょう」と誘ってくれたのだが、前日までにかなり雪
が降っていたのでもう一日置きたいと思い、翌日に行くことに決めていたのだった。
 最終ケーブルで上がったのだが、時間があったので備え付けの望遠鏡で目の前にあるサン
ノン北壁を見る。
 あるある。氷雪部分にしっかりとトレースが残っている。でもちょっとおかしいぞ。彼の
登る予定だったルートの隣にトレースがついている。彼のではないのか。不安になるが、彼
のことだ。なんとか登っているだろう。
 2日後に僕がシャモニに帰って謙造君に聞くと、フレンチディレクトから隣のブリティッシ
ュルートに繋いで登ったとのことだった。そして二つのルートを繋ぐ部分では彼曰く「凄い
事してしまいましたよ」というクライミングだったそうで、彼は興奮して話してくれた。
 Vivagelの下降はベルトのノーマルルートであるウィンパークーロアールで、ここ
は日が当たると落石と雪崩の巣であり、モンブラン山群では最も事故の多い場所である。な
んとしても朝早いうちに降りたい。そんなことで出発は1時として眠りについた。
 起きたら2時を回っていた。僕の時計にはアラームがついていなかったし、今夜の宿泊は僕
だけだった。いつもは眠れないのに、今夜はなぜかぐっすり眠ってしまっていた。シュラフ
の効果だが、これはまずい。慌ててスープとシリアルをお腹に入れて出発するが、それでも
駅を出たときには3時近くになっていた。お陰で、初めてのソロでもスムーズに?出発するこ
とが出来た。
 ザックの中にはいつもは入っていない小さなシュラフやコッヘル、ガス、ザイルが入って
いる。なるだけゆっくり、穏やかに。時間も気になるが、下降は暗くなって、冷えてからす
ればいい。それより、疲れないようして、コンディションの良いうちに一気に駆け抜けたい。
穏やかに、穏やかに。
 4時30分頃、シュルンドに到着して、そのままルートの右端からシュルンドを越える。これ
を越えるのは何時も嫌だが、今回は一人なのでなおさら気が重い。シュルンドが開いていると
きは苦労するし、繋がっていても、音や感触ですぐ下が空洞なのが解って気持ち悪い。
 シュルンドを超えたとき、小屋から上がってきたスペイン人パーティと会い、僕についてき
た。今日のクーチェリエクーロアールは彼等と僕の3人だけの舞台となった。ここから全開だ
!スペイン人達を置き去りにする。
 なだれ溝の右端に沿って直上するが、どこかでこれを越えて左上していかないといけない
。僕の目指すルートはクーチェリエクーロアールの左奥にある。
 しかし、この雪崩溝がでかい。深さが3メートル近くあり、底は岩が出ている。しかも縁が
えぐれていて、降りられないし、降りたとしても上がれない。
 不安を持ったまま進むが、ようやく降りられそうなところがあり、それでもえぐれていない
というだけで90度近くあって、そこから雪崩溝に入り、反対側へ渡る。
 クーチェリエクーロアール自体は人気ルートでトレースもあったが、それを追ってはソロで
はなくなるという思いから外してきたが、そうしたらこうなってしまった。時間をロスしたく
ないので早めに左の方へトラバースしてVivagelの真下を登るようにする。
 これまではルートはハードスノーで登りやすかったが、途中から氷壁になってきた。これま
で無理なくスピードを出すためにできるだけハイステップで、左右の手と足は同じ高さに揃う
ことのないようにしながら登ってきた。氷に変わってもすることは同じだ。全ての動作を一度
で決めて、一回の動作で大きく体を引き上げろ!
 5時過ぎ、クーチェリエクーロアールの3分の2にある島と同じ高さに、つまりVivagel
の氷の滑り台の入り口が見えてきた。ここまで40分ぐらい。このままならクーチェリエクーロ
アールなら1時間30分を切るのではないか。
 この頃から周りが明るくなってきて、ルートもはっきり見えるようになってきた。傾斜はト
ポに書いてあるほどきつそうには見えない。しっかりと氷もついているようだ。予定通りに登
ることにする。
 少し休んだ後、再び登りだす。
 氷の滑り台は幅1メートル前後。細いとこでは50センチぐらい。しかし傾斜はやはりきつくは
なく。75〜80度あるかないか。それが部分的にもうちょっときつい所を含めながら、200mぐらい
続いている(一人で登っていると慣れていないので長さがよく解らない)。氷は張っているが
全体に薄く、バイルを大きく降ると岩に当たる。場所によってはアイゼンの爪が当たっている所
もあった。初めてのロープ無しでの登攀だとこれは怖かったが、しかし、氷質は悪くなく、僕で
も氷が割れるということは滅多になかった。
 結構快適に、気分よく登ることができ、ここでもハイステップで、左右の手足は絶対に同じ高
さで揃わないように、梯子を上るようにすばやく登ることを心がけた。
 思ったよりあっさりと核心部を抜けると、そのままこのVivagelの直上するバリエーシ
ョンが続いている。今の気合の入った状態ならいけそうだ。岩を縫うように氷が繋がっている。
しばらくどうするか考える。真っ直ぐ登った方がカッコイイ。楽しそうだ。でもこの先が完全な
岩登りだったらどうする?僕にはロープ無しでそれがいけるか?ソロのシステムがイマイチわか
らない僕にはロープの使い方がわからない。
 結局、やっぱり怖いし、今無理せずとも次でもっと良いとこ登ればいいんだと納得して、ノー
マルルートを行くことにする。
 後は60度ほどの氷雪壁と簡単なミックスを残すのみだが、やはり7月の後半ともなると気温も高
く、朝日も直撃しだすと一気に雪は緩み、雪壁だと思っていたここの部分は腐った雪が所々うっす
らとのった氷壁になっていた。
 最初は雪の部分を選んで、少しでも楽しようと思っていたが、雪が緩いので結構スリップするよ
うになって来た。ずっと右上し続けなければいけないので、いちいち蹴り込んで登っていては疲れ
るので、仕方なく雪は避けて氷を選んで、できる限り足はフラットに置いて登ることにする。
 この頃から一気に疲れてきた。これまでに結構登りこんでもいるから高度の影響は考えられない
。夜はいつも以上に寝た。体力は、これぐらい登るだけはあるとおもう。考えられるのはこれまで
のがオーバーペースだったのか。確かに登る前に謙造君には聞いていた。ソロで登ると結構これに
陥るらしいと。ソロだと、休まず登ってしまうから思っている以上に疲れやすく、だから謙造君なん
かは意識して水を飲んだり口に物をいれたりするといっていた。
 疲れてしまってからはもう遅い。一気にスピードが鈍る。息苦しいとかそういうことは無しに、
ただ体が重い。
 ちょっと長く休もうと思ってスクリューを一本入れようとしたら、あろう事か落としてしまった。
ウシュバのチタン製スクリューが、安いけど、悔しい。気を取り直してもう一本とは思えなくなり、
ちょっとだけ休んで再び登り始める。
 重い体を持ち上げては休み、もう、全くスピードは上がらない。
 150メートルぐらい登ると、簡単なミックスになって、からだの動かし方が違ってくる分、いくら
か楽になってくる。
 それを登り続けるとようやくクーロアールから飛び出し、リッジ状になって気分的に楽になる。こ
こでようやく頂上らしいものが見える。二年前に登ったクーチェリエのバリエーション、ベタンブー
ルフィニッシュの横に出た。隣のベルトも見える。でも、まだまだ100メートル以上はある。
 岩を縫うようにこのリッジを登り続けると、ベルトからグランドロシューズ、そこから更にドロワ
ットへと続いていく主稜線に出る。ここからが僕にとっての核心部だった。
 主稜線は雪稜になっていて、滅多に人の訪れることの無いそこはナイフでなく、剃刀リッジになっ
ていた。それもかなり錆付いているやつだ。シャフトでなく、ピックが突き抜ける。
 硬く氷化してるかと思えば、簡単に崩れる。アルジャンチエール側に張り出しているかと思えば、
反対のタレーフル側にも張り出している。
 このリッジを腕で抱え込むようにしてトラバースしたり、馬乗りになったりしながら、ほんの30
メートルほど進むと、そこは小さく薄っぺらな頂上だった。時間は9時過ぎ。
 何の感慨も無く、予定どおりベルトとのコルを目指すことにする。
 コルヘ降りるために適当な岩にスリングを掛けてラペルする。次は残置のスリング、次も自分で掛
けて、3ピッチラペルし、最後、ロープをしまって岩をトラバースしてコルから少し降った、ウィンパ
ークーロアールの雪面に降り立つ。
 まだこのクーロアール全体には日が当たっていないのでダッシュでクライムダウンを始める。とい
うのは嘘で、もう疲れてダッシュなどできない。同じ動作を続けるのはうんざりだ。
 しかしそうは言ってられないので一歩一歩確実に後ろ向きに下りる。当然登りのときと違ってトレ
ースは使わしてもらう。もう偉そうなことは言ってられない。
 途中で休んで、ロープも使ってクライムダウンと懸垂の両方で降りようとしていたら、取り付きで
会ったスペイン人が降りてきた。彼等はクーチェリエクーロアールを登りつづけてベルトに登ってき
たらしい。
 彼等は100メートルロープで懸垂をしていて、一緒に降りようと誘ってくれている。しかし、3人に
なれば当然遅くなるし、お互い良くないと思って断ったのだが、何度も誘ってくれる。
 僕も疲れていたので、やっぱり使わせてもらって降りることにする。僕はソロクライマーでない。
 三人だとやはりかなり遅くなり、氷河に降り立ったのは14時ごろになってしまった。途中、ザイル
が絡まったりしたこともあったためだが、この頃になるとやっぱり凄かった。雪崩が凄い。ウィンパ
ークーロアールの右岸はもういつも轟音を立てて雪崩れている。モアーヌ稜から常に大きいのが落ち
ている。
 少し休んでからクーベルクル小屋に向けて歩き始める。すると、突然雷がやってきた。何の前触れ
も無くやってきた。きっと山の向こうにあって全く気づかなかったのだろう。それが山を越えてきた。
 こうなっては体が重いなんていってられない。
 おかげで早くにクーベルクル小屋に着くことができた。その日は泊って翌日シャモニに下りた。
 謙造君に彼の登攀の事を聞き、酒を飲み食べて、彼が翌朝ミディの駅まで使う自転車の回収の打ち
合わせをして、お互い眠りについた。
 翌日、彼は逝ってしまった。

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