日程 |
2001年4月28日(土)〜5月4日(金) |
メンバー |
(雪稜登高会)名屋、他 |
記録 |
(雪稜登高会)名屋 |
写真 |
なし |
ルート図 |
なし |
<山 行 記 録>
雪稜登高会の名屋です。こんにちは。
穂高の縦走に行ってきました。滝谷〜屏風〜北尾根〜新穂高です。
長文ですが、お暇な方はどうぞ。
28日9時新穂高出発〜ゆっくり歩いて昼寝もして、13時滝谷避難小屋着
29日3時出発〜合流点が複雑で分かりにくく、C沢のはずがD沢に入ってしまう
〜8時30分頃に稜線に到達。おかしいおかしいと思いながら歩き続けると、
いつのまにか稜線だった。降りて登り返す気力も無く、向かい側の前穂を
しばらく呆然と眺める。仕方が無いので北穂まで縦走して、シリセードで
涸沢に下りる。夕方頃に雨が降り始め、明日もまとまった雨ということで
停滞を決め込む。30日も涸沢。涸沢は金さえあれば快適だった。
1日3時出発〜4時30分頃に横尾岩小屋跡で休憩。屏風は初めてなので、
どこから取り付くか良く分からず、テントのフライを被って明るくなるまで
待った。T4取り付きに行くが、雪が結構あるので楽に行けそうだったが、
上を偵察してみると更に楽そうな所があったので、そこから登った。
草つきにアックスを刺しての木登りでT4尾根は抜けてしまった。
1ルンゼからは砲弾のような落石が降り注ぎ、賑やかだった。氷瀑らしき
ものもあったが、登りに行くのは自殺行為に思われた。
屏風の壁自体は夏と変わらない状態で、東稜も非常に快適だった。
1ピッチ目が重荷できつかったが。あとは慣れてきて割と楽だった。
全ピッチリードしたが、セカンドの確保にはジジが抜群に使えて楽だった。
しかし、相方が本番の人工は初めてだったため、結構時間がかかり、
屏風の頭手前にテンパってしまう頃にはすっかり暗くなっていた。
腐った雪のラッセルが辛い。
2日北尾根を歩き始めるが、トレースがなく、所々足が食われて辛い。
ついでに、買ったばかりの残雪期用のゴアテックスの山靴が、山靴が、
どんどん浸水してチャプチャプのバケツのようになっていくではないか…
五六のコルに着く頃には風雪混じりで気温も下がってきた。まだ12時頃
だったが、怖くなって幕営。テントの中でガスを炊きまくって必死に靴を
乾かした。
3日30センチくらいは雪が積もって、朝からまだ降っていたが停滞するほど
でもないので出発。4峰を登っているうちに雪は止んだ。寒さのためか、
靴もまだ大丈夫だった。ここで後からきたノーザイルの単独おじさんを、
なぜかパーティーに加え、3人で登る。旅は道連れというところでしょうか。
他にパーティーはいなかったが、後ろから声だけは聞こえた。
なんだかんだで北尾根は登り終え、本峰に着くが、3峰終了点からあっと
いう間に着くと思ったら意外と時間がかかった。つかの間の晴れの後は、
濃いガスが垂れ込め、奥穂へ行く吊尾根が見つからない。この奇妙な
3人パーティーで前穂周辺を徘徊した後、似たような尾根ばかりでこれが
リンデワンデリングなのだなと思っていたら、まともな吊尾根をやっと発見
して事なきを得た。吊尾根でテンパってまたもやバケツと化した靴を乾かす。
5月で良かった。
4日前日のガスが嘘の様で、吊尾根がはっきりと見渡せられる。奥穂には
程なく到着。今まで人がぜんぜん居なかったのに、ここにはいっぱい居た。
穂高岳山荘への下りでは、ものすごい渋滞で辟易する。西穂に行くほうが
精神衛生上は良かったか。小屋で単独おじさんに別れを告げ、我々は
白出沢を下る。おじさんは槍に行くとの事だったが、大丈夫かなぁ〜
小屋から新穂高までは3時間程で着いてしまった。雪があると早いが、
途中でアイゼンを片方食われて無くしてしまった。愛用のカジタよ、さらば。
登山道は融雪が進み、より一層春の様相を呈していた。
バスターミナルの村営食堂でカツ丼を食ったが、肉が3切れしか入って
無かった割に高かった。
ではでは
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