中央稜/左ルート

日程
2000年9月2日(土)〜9月3日(日)
メンバー
(ARIアルパインクラブ)大野敦子、福島猛
記録
(ARIアルパインクラブ)福島猛
写真
なし
ルート図
なし

<山 行 記 録>


福島です。

9月2日(土)〜9月5日(火)で、A、Bフランケ〜奥壁の継続登攀を計画して
いたが、天候がいま一つすっきりとはせず不安定だったので、9月3日(日)に、
奥壁/中央稜左ルートを登り、後は様子をみながら決めて行こうという事になった。

奥壁/中央稜左ルートの登攀は、私のフォール、そして足首の脱臼、粉砕骨折により、
途中で敗退することになってしまった。(;;)(;;)(;;)

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9月2日(土)曇り時々雨
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竹宇駒ヶ岳神社[07:10]〜5合目[12:20/13:00]
〜7合目[13:45/15:15]〜8合目岩小屋[16:05]
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今日は8合目までのアプローチのみ。のんびりと大休止をとりつつ、てくてくと
黒戸尾根を歩く。時折、まとまった雨が降るものの、晴れ間も見える。

7合目から8合目は3日分の水を担ぎ上げる。各自、適宜6リッター以上と決めて
たが、心配なので俺は8リッターを上げることとする。

夕方近くにようやく8合目の岩小屋。

ツエルトを張り、さっそく俺はウイスキーを楽しむ。

今回、俺は、1.5リッターのアルコール類を持ち上げた。アルコールを持ってこな
かったという大野さんに、当然、ドンドン酒を勧める。

天気はどうやら不安定。A、Bフランケ〜奥壁の継続登攀は諦め、明日は奥壁だけ
登る事にし、眠りについた。

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9月3日(日)晴れ時々曇り
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8合目岩小屋[5:40]〜奥壁基部[6:00]〜(取付の確認、そして登攀準備)
〜中央稜左ルート登攀開始[7:08]〜事故発生(福島フォール、骨折)[11:30]
〜防災ヘリにて救助[15:40]〜韮崎市内の病院へ収容[16:20]
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朝、4時過ぎに起床。1面のガス。時折、雨がぱらぱら。風が強い。とりあえず、
飯を食べる。

うーん、どうかなあと思いつつ様子を見る。次第に明るくなり、天気も良くなって
きた。なんとか、大丈夫そうだ。

今日は奥壁のみ登り、岩小屋にまた戻ってくる予定。岩小屋に張ったツエルトは
そのままにし、酒、余分な食糧等は残置し、岩小屋を出る。

岩小屋を出て20分足らずで、奥壁の基部着。しばらく、中央稜、左ルンゼ、
中央稜左の取付の偵察、及び確認。そして、中央稜左の取付にて、登攀準備。

(注)以下の文中のルーと図とは、"日本の岩場" 中のルート図を指す。

<1P目、大野リード>
オープンブック状の凹角から、小ハングを超える。そして、フェース。40m
以上ザイルを伸ばし、ルート図の2P目の途中まで。快適なA1。小ハングを
超えてからは、ボルトが有り過ぎで、少々単調。。。

<2P目、福島リード>
第2バンドまで、ルート図の3P目まで、50m近くザイルを伸ばす。バンドに
入る少し手前からはフリー。人工からフリーに移る部分で、アブミを残置してし
まい、大野さんに回収してもらう。(^^;;;

<3P目、大野リード>
リングボルトに導かれながら直上。20〜30m程で、大きなテラス。そして、
テラスの左手には、豊富な残置。ここがルート図の振り子トラバースの支点の
ようだ。

この辺りから、急に岩の感じが変化し、脆くなってきた。

<4P目、大野リード>
まずは、俺が、テンションで、テラスから左下方に降りつつ、偵察するが、残置
は全く見当たらず、良く分からない。ルート図でいうハングの切れ目というのも、
判然としない。10mかそこら降りてみたが、良く分からない。俺は、いったん
登りかえし、大野さんにも、見てきてもらう事にする。

大野さんは、3mか4mの下降の後、ハング帯の下の、草付きを左へトラバース
して行く。このトラバースもやはり残置はないが、なんとかカムでランニングを
とって行く。

トラバース中もハングの切れ目は良く分からない。そのまま、ハングの左端まで
行く。残置は無いが、カム3つで、ビレーポイントを作る。

上方には、残置のスリングが見える。多少、不安だが、ルート取りは間違ってない
ような気がする。ルート図と、最近登られている(?)実際の中央稜左は、この辺
では、違ってきてるのじゃなかろうか。

<5P目、福島リード>
フリーで1段上の小テラスまで、4〜5m程登る。上方の残置は、カムであった。
岩が非常に脆くなってきた。ぼろぼろだ。直上、右方向は、ともに、残置が無いし、
岩が脆くて進めない。左を見ると、残置のハーケン、そして回り込むと、リング
ボルトが続いて見える。フリー、そしてA0で、ボルト沿いに進む。

小テラスから、3つ目か4つ目のリングボルトにかけたカラビナを左手で持って、
右上方のリングボルトに、カラビナをかけようと、バランスを取りつつ、伸び上
がった時、左手のリングボルトが抜けた。リングボルトが抜けたというよりも、
むしろ、周囲の脆い岩がみしみしっと壊れたように感じた。

<フォール、事故、救助>

どうゆう風にフォールしていったかは定かでない。気が付いた時は、フォールし
てる最中で、視界には奇麗な青空が広がっていた。

"頭が下になって落ちてるんだなあ。やばいなあ。ハーネスがすっぽ抜けはしない
よなあ。" 

また、自分の左足もちらっと視界に入った。

"あれ、変な方向に曲がってるなあ。折れたのかなあ。残念ながら敗退かなあ。" 

落ちてる時、短い時間ながら、そんな事を考えてた。。。

大野さんがビレーをしてる近くまで、大野さんの左手すこし上方まで落ち、
宙づりに近い状態になった。

7〜8mの墜落だろうか。ザイルの伸びのおかげだろう。体に衝撃はほとんど
感じなかった。

すこしロープを出してもらい、なんとかビレーポイントまで移動。足首の
痛みがどんどん増してくる。少しの移動も一苦労。腕に擦り傷はあるものの、
他には、外傷は無い様だ。

恐る恐る足首を触る。折れた骨は、皮膚を突き破ってはいない。一安心。頭の
中では、もう岩が登れなくなるのじゃなかろうかと不安が走る。

煙草を吸い、水を飲み、まずは落ち着く。大野さんからバファリンをもらい、
飲む。また、テーピングで簡単に足首を固定してもらう。痛みも多少は和ら
いできたような気がする。

8合目まで頑張って戻る事にする。取付まで降りれば、大野さんが岩小屋に
戻り、持ってきて岩小屋に残置したトレッキングポールを、取って来てもらい、
そして俺はそれを使い、なんとか8合目まで戻れることだろう。

8合目ならヘリも降りれるのじゃないだろうか。それに7丈の小屋に助けを求
める事もきっと出来るだろう。

まずは、右手下方の第2バンドまでの下降。

携帯が通じたので、下降を始める前に、大野さんが有持さんに電話連絡。細かい
やりとりは良く分からなかったが、警察に連絡、そして救助要請となった模様。
どうやら、山梨県のヘリが来てくれるようだ。

ヘリとの連絡のため、無線をザックから出し、オープンにする。

大野さんが先行して、第2バンドまで下降、そしてザイルをフィックス。後半
部分は、かなりトラバース気味になる。

とりあえず、ヘリが来るまで、大野さんが第2バンド、おれは、上のビレー
ポイントで、待機する事にする。

1台目のヘリが来た。また来るとヘリからマイクで言い残し、すぐに去って
いった。

俺も、第2バンドまで下降開始。マッシャーでバックアップを取り、ゆっくり
ゆっくり下降。

左足が思うどおりに動かず、右下方へのトラバース気味の懸垂下降は辛い。

数mの下降にも息が切れ、汗がにじむ。。。

足は、再びガンガン痛みだし、どんどん腫れてきた。

バックアップのマッシャーで、たびたび休憩する。

マッシャーがきつく締まってきて、ずらすのが大変になってきた。。。苦痛の
ため、マッシャーをゆるめる事もままならない。。。

フィックスした張り気味のザイルでの下降のため、8環は非常に動きが悪い。

なんとか苦労しつつ下降を続けてる時、何かが体から落ちた。えっ、なんや
ろう。無線だ。無線が落ちていってしまった。。。 携帯電話用のストラップに
つけて、首からぶら下げていたのだが、こんな時にストラップが切れてしまった。

後半、本当にトラバースになり、ザイルが張ってしまい、8環がロックし、
全く動かなくなってしまった。

しかたなく、8環はザイルに残置し、マッシャーとアッセンダーでトラバース
することにする。

トラバースの最中に、県警のヘリが来た。懸命に岩壁に近づこうとしてる様子。
しばらくして、"このヘリでは、近づけません。" と言い残し、去っていった。

トラバースを終え、第2バンドで休憩。動いたせいか、足の痛みはものすごく
なってきた。腫れもひどい。

これ以上の移動はかなりきついなと内心思う。この足では、8合目まで、いや
取付まで下降するのも5〜6時間は、かかってしまうかも。。。 しかし、頑張
るしかない。

俺の足の状況を考え、もしヘリでの今日中の救助が無理の際は、今日はこの
バンドでビバークにする事に決める。

冷えてきたので、フリースを着る。また、多少、行動食を食べる。

その荷物の出し入れの際、レインウェアを、落としてしまう。冷静でいたつもり
だが、注意力が散漫になってきたのか。。。

今日中に確実に戻るつもりで、ツエルトは岩小屋に張ったまま出てきた。ツエルト
は持ってきていない。どんな時でもツエルトを持ってこなきゃ。。。 後悔しても
遅い。ビバークは辛いものになりそう。。。

しばらくすると、3台目のヘリ。防災ヘリの "あかふじ" だ。俺はヘリによる
救出は半分諦めてた。足の苦痛もあり、どうせまた駄目かもと思いつつ、あまり
ヘリは見なかった。

俺のほうに人が近づいてきた。救助の人がヘリからバンドに降りる事が出来た
のだ。

ヘリの巻き起こすものすごい風の中、その人は、てきぱきと俺の体に、浮き輪
の様な感じのチェストハーネス(?)の様なものを、腕の下に回して、つけて
くれた。

ヘリからは、ワイヤーが降りてきて、救助の人にサポートされつつ、二人で
抱き合うように、ワイヤーにぶら下がり、そして、ヘリに吊り上げられた。

救助の人は、ふたたびバンドに降り、大野さんも引き上げてくれた。

ああ、助かった〜と思いつつ、目がウルウルしてきた。救助の人に、感謝の
気持ちで一杯だ。

ヘリで、応急手当(プレートと三角巾での足首の固定)を受け、また住所や
氏名などを書いてるうちに、あっというまに、どこだかは良く分からないが、
着陸。防災センター?

ヘリからは、待機してた救急車に、乗り込んだ。救急車では、血圧や脈拍
を計測する器械をつけられた。確か、血圧は上が150をこえていた。普段は
130位なのだが。。。

そして救急車は、そのまま韮崎市立病院へ。。。

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