増田@YCCです。
久しぶりに記録です。ちょっと長いですよ。
山名: ロブジェ イーストピーク(クーンブ/ネパール)
メンバー:増田(YCC)、他1名
1999年
12/5 日本発
12/6〜7 カトマンズにて準備(コスモトレックにてパーミット取得、ガイド雇
用、国内線航空券その他を依頼)
ガイドはベースキャンプまでの一切の面倒を見てもらい、登山活動は
二人だけで行うこととした。
12/8 カトマンズ〜ルクラ(航空機)〜パクディン
ポーター2名雇用、人選はガイドまかせ。
天候は、10月中旬に1mほど積雪があって以来ずっと晴れてエベレ
スト街道はカラパタールまで路上には雪がないとのこと。
12/9 パクディン〜ナムチェバザール
12/10 ナムチェバザール〜シャンボチェ往復(順化行動)
12/11 ナムチェバザール〜タンボチェ
12/12 タンボチェ〜ディンボチェ
12/13 ディンボチェ〜ナンガソンピーク往復(順化行動)
12/14 休養日(高山病出始める)
増田のみ不眠、頭痛、指先のしびれがあり一旦高度を下げる事にし
た。食欲だけは全く落ちず、我ながら大したものだ。
12/15 ディンボチェ〜ナムチェバザール(増田のみ高度を下げる)
「振り出しにもどる」というところ。実によく眠れ、空気の濃さを実
感。
12/16 ナムチェバザール停滞
12/17 ナムチェバザール〜タンボチェ
12/18 タンボチェ〜ディンボチェ
12/19 ディンボチェ〜チュクン往復(順化行動)
12/20 ディンボチェ〜ロブジェ
12/21 ロブジェ〜ベースキャンプ往復(順化行動、場所選定)
ああめんどくさい!
今回は、一般的なヒドンレイクにベースを置かずロブジェ側をベース
に選んだ。理由は、金がないのでなるべくロッジ泊りにしてコックな
どスタッフの人数や装備を減らして安く上げたかったから。
ルートファインディングを懸念したが、コスモトレックでこのルート
を知っているガイドをつけてくれた上、比較的はっきりした踏み跡と
多くのケルンのおかげで簡単にたどり着けた。
宿泊も、ガイドが我々の意を汲んで安い(ぼろっちい)ロッジばかり
選んでくれたうえに、精算のとき、端数など値切ってくれた。
12/22 ロブジェ〜ベースキャンプ5150m
ポーターに荷物をはこばせベースキャンプ入り。
やっと解放された気分。ガイド君は実によくやってくれるが、反面煩
わしさも感じた。二人だけになって正直ほっとした(といっても男二
人なので嬉しくも何ともないが)
でも、ガイドは「毎日様子を見に来る」そうだ。
12/23 ハイキャンプ6200mへギア類の荷上げ。食料やテントはカラスにや
られるので、畳んで岩穴に隠す。 この後もハイキャンプまではケル
ンがいっぱい積んであったのでおおよその見当はついたが雪が少なく
なっていたので若干自分で登れそうなところを捜すこともあった。
5800mあたりから完全に雪に覆われる。
それにしても息が切れる。こんなことで頂上に行けるのか?
ベースにもどると多少楽な気がするが、食欲が急速に落ちてゆく。
高所食を見直し、アルファ米中心のあっさり食にする。
12/24 ベースを撤収し(テントがひとつしかないので)ハイキャンプヘ。
ガイドも「バラサーブ、テントがもうひとつあれば私はベースで待っ
ているのに、それにトランシーバーもないのか?」とあきれる始末。
しかし、今日もきつい。昨日一回登っているので楽になるかと思った
がまるで駄目。
テントを張るのに一苦労。倒れ込みそうになった。息が苦しい。
ちょっと息を止めて力むとあとでたっぷりお釣りが来て這いつくばる
羽目になる。(キジ打ちがとっても辛い)
夕食はジフィーズ入りアルファ米おじや。
なんてクリスマスイブだ、七面鳥はどこ行った?
12/25 ちょっと頭痛がする。よく眠れず相変わらずけだるい。
朝食にひどく手間取るうちに、早くも上がってきたアメリカ隊にはっ
ぱをかけられる。「何時まで飯食ってるんだ!」
なんと出発が8時になってしまった。しかも予備電池がみつからず、
夜間下降ができない状況になる。
とにかく出発。下半はただの雪壁だが上半は瓦を積み重ねたような氷
に覆われ悪い。ところどころダブルアックスで越える。
ロープは1本しかないしどうやっておりようか?
まあ後から考えよう。しかし、そこらじゅうにフィックスがある。ア
メリカ隊のサーダーが前日に張っておいたらしい。意地でもこんなも
の触るものか。
そうこうするうちにジャンクションピークへ。やった、初めての
6000mだ。ここにアメリカ人が一人待っていた。「もう自分には
無理だからここで皆を待っている」とのこと。
その先は3ピッチのナイフリッジ。ゆくがスカスカで斜面に足を踏み
入れると雪崩れそうなうえ両側は2000m切れ落ちている。
スノーバーでビレイしながら慎重に進むが頭痛はますますひどく、口
をきくのも億劫になる。
やがて頂上を踏んだアメリカ隊2名とサーダーが戻ってきてこの狭い
リッジですれ違う羽目に。むこうはフィックスがあるがこっちは際ど
い態勢。なのにひとりが話しかけてくる。「よう、頂上はもうすぐだ
ぜ。お前たち二人だけか、すごいな。ルクラからのフライトはいつ
だ?ほ〜俺たちと一緒じゃねーか----」頼むから早く行ってくれ〜!
たっぷり時間をロスした後ようやく頂上のひとつ手前の通称ニセピー
クにたどり着いた。
頂上は目の前。あと1時間で往復できるかな?しかしここでタイムリ
ミット。これ以上行けばキャンプに帰れるかどうか。
ここは潔くあきらめて下降にかかる。スノーバーで確保しながらスタ
カットで5ピッチ、懸垂で1ピッチ、さらにスタカットで2ピッチ。
やっと2本足で歩ける。
へたり込みそうになりながら日没寸前テントへ。一足先に帰ったパー
トナーが茶を沸かして待っていた(予備電池もごっそり出てきた)。
12/26 グズグズと起き出し下山の支度をする。疲れと高度の影響でホントに
荷が重い。100m毎に座り込む。半分ほど降りると人の声がする。
よくみると、スニーカーしか履いていないポーターたちが雪のなかを
向かえに来てくれた。ベースにはガイドも待っていた。
彼は、麓をあちこち歩き周り、1日中我々の姿を観察していたそう
だ。ともあれ無事終わった。
下山と同時に雲に包まれ、気温も一気に低下して好天のサイクルは終
わったらしい。
12/27 ロブジェ〜ペリチェ〜タンボチェ
クリスマス休暇か、欧米人のトレッカーが多く上がってくるのと逆行
して一気に下る。
12/28 タンボチェ〜ナムチェバザール
ここまでくるとほっとする。いろんなものが食える。
12/29 ナムチェバザール〜パクディン〜ルクラ
日本人の集団がいくつも登ってくる。
ガイドは「タトパニ、チュソパニ、トウーメニジャパニ」などとつぶ
やいている。
帰りの飛行機もとれた。しかし天候は下り坂、きょうは飛行機が飛べ
なかったそうだ。年末には例年悪天候が多いとのこと。
12/30 朝から曇ってどうなることかと思ったが昼過ぎぶじ飛び立ちカトマン
ズに戻ることができた。
感想:はっきり言ってしまうと、あれだけ歩いて登山はたったこれだけ?と思ってし
まった。キャラバン自体を楽しまないともったいないですね。
クライマーなら、もっと難しい山やバリエーションをやらない限り物足りないで
しょう。このクラスの山(ロブジェ、パルチャモ、アイランドピーク、メラピー
ク)は一般ルートを登る限り技術的には後立の雪稜程度です(ロビジェは鹿島槍
の天狗尾根程度と聞いていました。もうちょっと難しかったけど)。
したがって、もしやるなら2〜3ピークを続けて登ってしまう事をおすすめしま
す(それでも順化さえうまくゆけば30日で十分です)。
最近はアメリカあたりの公募隊も2ピーク位まとめてやっています。
ロブジェで会ったアメリカ隊も25日でアイランドピーク、ポカルデ、ロブジェ
の3ピークを登る計画でした。
ともあれ、初めての高所登山でシェルパなし、フィックスなしの良いスタイルで
だいたい思い通りの登山ができた事はすなおに嬉しいと言っておこう!
なお、費用は航空券、パーニット、ホテル代も含め25万程度であがりました。