◆鹿島槍ケ岳でヘリから救助の隊長、作業中に事故死
亡くなった篠原秋彦さん
6日午後0時半ごろ、長野県大町市の北アルプス・鹿島槍ケ岳(標高2889メート
ル)の一ノ沢ノ頭(標高約2000メートル)付近で、救助ヘリコプターからロープ
で現場に降りて遭難者4人を救助していたトーホーエアーレスキュー社長篠原秋彦さ
ん(54)=同県穂高町有明=が、救助作業中に姿が見えなくなった。約30分後、
約10メートル離れた場所に倒れているのが見つかり、同市内の病院に運ばれたが、
全身を強く打っておりまもなく死亡した。
篠原さんは、民間ヘリを使った山岳救助の草分け的存在で、長野五輪では競技中に負
傷した選手の救助、輸送で活躍した。
長野県警の調べでは、篠原さんは同日午後0時半ごろ、遭難していた北九州市の食料
品店経営者(53)ら4人の救助活動を警察の要請で始めた。4人を救助用ネットに
収容し、一緒にヘリにつり上げられたが、その直後に何らかの理由で落ちたらしい。
救助された男性の1人は「救護ネットに一緒に乗ったが、気づいた時には靴の片方し
かネットに残っていなかった」と話している。ネットは何回か大きく揺れたといい、
つりあげ搬送中に転落したとみられる。
遭難した4人は先月31日に大町市側から入山、3日に下山予定だったが、大雪のた
め動けなくなり救助を求めていた。うち3人は足に軽い凍傷を負った。
篠原さんは、72年に東邦航空(東京都)に入社。74年から山岳救助活動を始め
た。01年には遭難救助の会社、トーホーエアーレスキューを穂高町に設立した。こ
れまでの出動回数は約1700回、救助した遭難者は2000人以上にのぼり、その
半生をまとめた「空飛ぶ山岳救助隊」が98年秋に出版されている。
◇ヘリ救助で「全国一」
長野県警山岳遭難救助隊の翠川幸二隊長は「的確な指示で随分助けられた。遭難者だ
けでなく救助隊員の安全にも気を使ってくれる人だったのに……」と言葉少なだっ
た。同救助隊が属する県警地域課の南山勉管理官は「ヘリによる救助は彼が長野で一
番。だから全国でも一番だった」と話した。(1月6日asahi.com 23:10)
◆山岳遭難救助・篠原さんの死に悲しみの声
篠原秋彦さん
シノさんは山をこよなく愛した、本当の山男だった。北アルプス・鹿島槍ケ岳で遭難
者を救助中に死亡した南安曇郡穂高町有明、トーホーエアーレスキュー社長篠原秋彦
さん(54)は、30年近くにわたって、長野の山で遭難した人々を救ってきた。危
険な場所で、生死をともにしてきた県警の救助隊員からは、篠原さんの突然の死に悲
しみの声が上がった。
県警地域課南山勉管理官は「ヘリによる救助は彼が長野で一番。だから日本で一番
だった」と話す。篠原さんは72年に東邦航空に入社。山小屋への物資輸送をする傍
ら、けがや病気の登山者を運んだ。74年になって遭難現場に出動し始めた。01年
からは「山の遭難事故があまりにも多い」として、自ら遭難救助の会社を立ち上げ
た。南山管理官は「シノさんは、登山者を同じ『山を愛する者』として仲間と思って
いた。遭難者を放っておけなかった」と話した。
篠原さんは経験豊富で、危険を回避する技術にたけていたという。南山管理官による
と「どこで風が強く吹くか、ヘリのホバリングに適した地点はどこか、常に正しい指
示を出す。随分助けられた」という。
県警山岳遭難救助隊の翠川幸二隊長は、かつて篠原さんとともに救助に向かい、ヘリ
から雪の斜面に降りて遭難者を救うことになった。篠原さんから「ヘリ内では本来、
履いてはダメだが、アイゼンを履いて降りろ」と指示された。滑らずに無事、救出で
きたという。翠川隊長は「篠原さんは救助隊員の安全にも気を使ってくれる人だった
のに……」と言葉少なだった。
南安曇郡安曇村の涸沢ヒュッテ支配人の山口孝さん(54)は「シノさんは気合の
人」と表現する。2人は74年に初めて遭難救助をして以来、100回以上をともに
活動してきた。「シノさんは『自分の人生だ。すべてを救助にかける』と話してい
た。今は、ご苦労さん、と言ってあげたい」と話した。
山口さんによると、篠原さんは事故前日の5日は娘2人とともに、鹿島槍ケ岳にス
キーに行っていたという。(1/7 asahi.com 長野版)
◆山岳救助転落死、ベルト装着が焦点
北アルプス・鹿島槍ケ岳で6日、山岳遭難救助員の篠原秋彦さん(54)が救助活動
中にヘリコプターの救護ネットから転落死した事故で、国土交通省の航空・鉄道事故
調査委員会は7、8の両日、ヘリの操縦者らから事情を聴き、実況見分した。記者会
見で、篠原さんが救護ネットの中に遭難者とともに入ってつりあげられた後、転落し
た可能性が高いとの見方を明らかにした。今後、篠原さんが安全ベルトを使っていた
かどうか、調査を進めるという。
航空事故調査官は8日、松本空港で、実際に使われた4メートル四方の救護ネットに
荷物を入れ、5人がつり上げられた状態などを確認した。
調査終了後の記者会見で、小杉英世調査官は、「思ったよりネットが人や物を覆う部
分が少なく、5人が入ったとしたら厳しい状況」と話した。篠原さんは遭難現場に向
かう途中、携帯電話で、遭難者らに雪煙で視界が悪くならないように圧雪しておくよ
う指示していた点も明らかにした。
救助された人やパイロットからの事情聴取で、篠原さんは、ネットの中に入り、ネッ
トの四隅をヘリにつながったワイヤのフックに引っかけ、ヘリが浮上した後、ネット
が大きく揺れたため、転落したとの見方を示した。
ヘリの操縦について、小杉調査官は「パイロットは飛行経験も十分。雪が舞い上がり
視界は悪い。危険な条件の中、最善だった」と指摘した。
調査では、篠原さんの安全ベルト使用については確認できなかった。小杉調査官は
「安全ベルトをかけ忘れか、はずれたかの解明が焦点となる」と話した。原因究明の
調査報告書は、半年ほどかかるという。(1月10日asahi.com 長野版)
◆山岳救助の篠原秋彦さん葬儀に1000人 松本
北アルプス・鹿島槍ケ岳で六日、ヘリコプターで遭難救助活動中、救助用ネットから
落下、五十四歳で亡くなったトーホーエアーレスキュー代表取締役、篠原秋彦さん=
南安曇郡穂高町有明=の葬儀が九日、松本市内で営まれた。山小屋や山岳救助の関係
者、これまで篠原さんに助けられた登山者ら約千人が参列。ヘリによる山岳救助の第
一人者を失った悲しみが会場を覆った。
葬儀では、約千七百回の出動を数えた功績をたたえ、田中康夫知事と関一県警本部長
の感謝状が贈られ、霊前に供えられた。葬儀委員長の赤沼淳夫・燕山荘相談役は
「(山岳遭難救助で)篠原の前に篠原なく、篠原の後に篠原なしという人物だった。
シノさんを失った痛手は、時を追うごとに広まるだろう」と式辞を述べ、別れを惜し
んだ。
参列者の中には、昨年一月に北ア・前穂高岳で父親とともに篠原さんに救助された都
内の中学二年生、庄田聖君(14)も。「何であれほどの人が事故に遭ったのか。
もっといろいろ話してみたかったのに」と話し、うなだれていた。
また、今回の事故当時に会員四人が救出された小倉山岳会(北九州市)からは、会員
の藤吉隆憲さん(54)が参列。「何と申し上げてよいか。会として反省することが
なかったのか、考えていきたい」と話していた。(1月10日 信濃毎日新聞)
ACHP編集部
★ お知らせへ戻る ★ INDEXへ戻る