滑落死の責任は本人に 名古屋地裁、遺族の賠償請求棄却
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北アルプス・涸沢岳の西尾根で94年1月、弘前大医学部山岳部パーティーの1人が
滑落死した事故をめぐり、名古屋市に住む遺族が、同大設置者の国やパーティーの
リーダーらを相手に総額約1億4000万円の損害賠償を求めた訴訟で、名古屋地裁
は26日午後、請求を棄却する判決を言い渡した。野田弘明裁判長は「事故は本人の
足元などに対する不注意が原因だ」として、リーダーらと学校側の責任を否定した。
大学山岳部の事故で学校側の責任が問われたのは今回が初めてのケースだった。
提訴したのは、同学部3年生だった辻節隆(よしたか)さん(当時23)の父節夫さ
ん(70)と母弘子さん(64)。
判決は「当時は気象条件に恵まれ本人の体調もよく、格別に歩行が困難な場所ではな
かった」と指摘。その上で、事故の原因について、本人の不注意により踏み跡を外し
たことや岩にアイゼンをひっかけてつまずいたことがきっかけだとし、「技術が未熟
で、ザイルがあっても滑落は防げなかった」と述べた。
学校側の責任は「登山計画自体に問題はなく、計画書を提出しなかったことは事故と
関係がない」と判断した。
訴えによると、パーティーは、当時4年生のリーダーと節隆さん、冬山経験がなかっ
た1、2年生2人の4人編成で、93年12月29日から翌年1月4日までの予定で
涸沢岳を経由して奥穂高岳をめざす登山を計画。同月1日午前11時半ごろ、涸沢岳
の西尾根を下りる途中に先頭の節隆さんが約700メートル滑落した。
遺族側は、ルート選定や冬山でザイルを携帯していないなど装備が不十分だった点を
指摘。事前に計画書をチェックするなどの適切な指導を怠ったとして学校側に過失が
あったと主張していた。(10月26日 asahi.com 14:55)
ACHP編集部
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