新田次郎が初めて書いたとみられる小説『山羊』の生原稿
山岳小説や歴史小説で知られる新田次郎(1912〜80)が初めて書いたとみられ
る未発表小説の存在が明らかになった。終戦後、旧満州(中国東北部)から帰国した
直後に書かれたもので、引き揚げ中の主人公に託し「身体が回復したら何か書いて見
たい」との「作家宣言」で締めくくっており、新田文学の原点を刻む資料だ。
「山羊(やぎ)」と題した原稿用紙7枚の掌編で、筆名は藤原廣。東京都在住の長女
で高校教師の藤原咲子さん(55)が保管していた。「昭和二十二年二月より二十
四、五年まで生活に苦しい時代なんとかして原稿かせぎしようとして書いた原稿」と
記された茶封筒に草稿の束が入っており、そのうちの一編。咲子さんによると「山
羊」が最も古いという。
村で初めて山羊の飼育を始めた少年が成長して結婚、旧満州に渡り帰国するまでを描
いた自伝的小説。引き揚げ船の中で、生き別れた妻と幼子らを案じ、故郷に帰り着い
ていれば山羊の乳があるから大丈夫と思いを巡らせる。「生と死の境界を彷徨(ほう
こう)し続け」「白くなつた頭髪と、見えなくなつた眼(め)と荒廃した心」など引
き揚げの厳しさを生々しくつづる。
新田は43年に仕事で旧満州に渡り、46年10月帰国。妻の藤原ていさんが書いた
「流れる星は生きている」のベストセラー化に触発され、51年に「強力伝」を書
き、直木賞を受賞した。
28日に発売される咲子さんの追想記「父への恋文」(山と渓谷社)に抜粋が収録さ
れる。(7月26日 asahi.com 10:51)
ACHP編集部
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