獨標の寺田です
さて正月山行ですが1月29日の夜東京発、1月30日は岳沢の第一の核心であるF
4上で幕営。翌日午後より悪天が予想されたため敗退を決定。泣く泣く往路を引き返
しました。自身としては多少の悪天でも行くつもりでいたのですが、今回は後輩に
リーダーを任せ彼の意見を尊重する意味でも敗退に同意しました。来年の再戦を誓っ
たのは言うまでも有りません。
また当会からもう1パーティ、剣岳源次郎尾根に山行を出しましたが、昨日(1月7
日)剣本峰を越え早月尾根を下山中に雪崩に遭遇。1名がザックを流され凍傷による
体力消耗が激しいため2600メーター地点にて救助要請。ヘリにて収容され上市の
病院から、県立富山中央病院に搬送されました。1名は軽い凍傷で昨日中に帰京。残
りの2名は2度の凍傷で入院中です。順調に行けば1月2日に下山予定でしたが、携
帯に電話しても連絡がとれず心配していました。しかし1月5日の18:00にメン
バーの一人から私の携帯に連絡があり、現在剣の頂上で翌日には馬場島には下山でき
ると連絡があったので安心していたのですが、状況はかなり悪かったようです。とり
あえず無事が確認できてほっとしています。
● 北ア・天狗岳で滑落した大畑さんの遺体収容
岐阜県上宝村の北アルプス・天狗岳(2900メートル)で先月三十一日、登山中の
金沢市石引、看護婦大畑三千代さん(37)が滑落した事故で、岐阜県警神岡署は一
日午後、大畑さんの死亡を確認、遺体をヘリコプターで収容した。
大畑さんと一緒に登山し、大畑さんの滑落を携帯電話で同署に伝えた後に連絡が途絶
えていた同市浅野本町、会社員武田澄人さん(35)は別のパーティーと下山し、無
事だった。(1月1日 Yomiuri On-Line 22:26)
●北ア・前穂高岳で東京の3人が積雪で動けず
3日午前8時半ごろ、北アルプス・前穂高岳北尾根6峰と7峰のあん部から奥又白谷
側へ約30〜40メートル下った地点で東京都杉並区の会社員、庄田一信さん(4
5)ら3人のパーティーが積雪で動けなくなった。3人は12月30日に上高地から
入山。2日に岐阜県側の新穂高温泉に下山する予定だった。 (毎日新聞 1月 3日)
●北ノ俣岳 遭難事故
◆男女7人パーティーが北アルプスで救助要請
四日午後五時五十分ごろ、岐阜、富山県境の北アルプス・北ノ俣岳を下山中の東京都
山岳連盟所属「登研」のパーティー(七人)が「疲労と積雪のため、岐阜県神岡町打
保の寺地山(1996メートル)でビバークしている」と、アマチュア無線家を通じ
て、岐阜県警神岡署に救助を求めてきた。
パーティーは東京、埼玉、神奈川の二十代から四十代の男性四人、女性三人で、全員
無事という。同日は現地が吹雪のため、同署は五日早朝に救助隊を派遣する予定。
一行は先月二十八日に岐阜県上宝村から入山、黒部五郎岳、北ノ俣岳などに登ったあ
と、今月二日に下山する予定だったが、帰路にビバークを余儀なくされ、無線機で救
助を求めた。(1月5日 Yomiuri On-Line 00:47)
◆北アルプスの7人パーティー救助へ出発
岐阜、富山県境の北アルプス・北ノ俣岳(2662メートル)から下山中に悪天候の
ため動けなくなった七人パーティーを救助するため、岐阜県警神岡署員らが五日午前
六時過ぎ、救助に出発した。
パーティーは東京都山岳連盟に所属する「登研」の男女七人。先月二十八日に同県上
宝村から入山、黒部五郎岳、北ノ俣岳などに登ったあと、今月二日に下山する予定
だったが、大雪のため、寺地山(約1996メートル)付近でビバークしていた。ア
マチュア無線家を通じての連絡では、五日朝、七人は自力で下山を始めたが、思うよ
うに進んでいないという。
救助に向かったのは、同署員と民間ボランティアの計七人。岐阜地方気象台は、北ア
ルプスを含む飛騨北部に四日午後十一時四十分、大雪警報を発令しており、現地は吹
雪などの悪天候のため、救助には時間がかかるとみられている。(1月5日 Yomiuri
On-Line 09:26)
●内蔵助谷 雪崩事故
◆北アルプスで雪崩、愛知県の男女3人生き埋め
五日午後一時五分ごろ、富山県立山町の北アルプスの内蔵助谷(標高約1400メー
トル)付近で登山中、一緒に歩いていた三人が雪崩で生き埋めになったと、静岡県浜
松市海老塚、東海山岳会所属の千田敦司さん(26)が富山県警山岳警備隊に通報し
た。
同警備隊によると、雪崩があったのは四日午後五時ごろ。雪崩から逃れた千田さんが
一昼夜かけて自力下山し、黒部ダム取水口事務所に通報した。一行は四人パーティー
で、黒部ダム方面から剣岳へ向かっていたという。
生き埋めになっていると見られているのは、愛知県西尾市徳次町地蔵、朝岡恵理子さ
ん(28)(東海山岳会)、同県岩倉市東新町下境、稲石佳孝さん(25)(名古屋
山岳会)、同県安城市東栄町、有賀照幸さん(38)(同)の男女三人。(1月5日
Yomiuri On-Line 15:22)
◆黒部峡谷で雪崩 山岳会の3人巻き込まれる
5日午後1時すぎ、富山県立山町の黒部ダム取水口事務所に下山した東海山岳会の会
社員千田敦司さん(26)=静岡県浜松市海老塚1丁目=から「一緒に歩いていた3
人が雪崩に巻き込まれて生き埋めになった」と、富山県警に通報があった。雪崩は4
日午後5時ごろ、黒部峡谷内蔵助(くらのすけ)谷出合(であい)(標高1、400
メートル)付近で発生したとみられている。県警は冬山遭難対策本部を設置したが、
現場周辺は大雪、風雪、雪崩注意報が出されるなどこの日は悪天候のため捜索に向か
えず、6日朝に長野県の大町市側から捜索に入る。
行方不明になっているのは、東海山岳会の愛知県西尾市徳次町地蔵、大学職員朝岡恵
理子さん(28)と、名古屋山岳会の同県岩倉市東新町下境、会社員稲石佳孝さん
(25)、同県安城市東栄町1丁目、会社員有賀照幸さん(38)。
県警山岳警備隊などの調べでは、両山岳会の2人ずつのパーティーが先月28日、長
野県大町市の扇沢口から北アルプスに入山、別ルートで剱岳(2、998メートル)
登頂を目指した。黒部ダム付近から、内蔵助谷を抜けて登山中だったが、天候の悪化
で、いずれも登頂を断念。ダム方向に下山する途中の4日朝、内蔵助平で合流し、黒
部峡谷と内蔵助谷が接する出合付近まで進んだところで、雪崩に巻き込まれたらし
い。
北アルプスは年末まで好天が続き、例年より積雪は少なかった。しかし、年明けか
ら、寒波の影響で風雪が強まっていたという。
事故当時、4人は一列縦隊となり、交代でラッセル(雪かき)をして進んでいた。千
田さんは「先頭でラッセルをしていたが、すぐ後の有賀さんと交代し、後ろの荷物を
取って列に戻ろうとしたところ、3人の姿が見えなくなっていた」と話しているとい
う。
両山岳会とも今月4日、富山県上市町の馬場島に下山予定だった。(1月5日 毎日新
聞)
◆黒部峡谷で2遺体を発見 北アルプス雪崩遭難事故
富山県立山町の黒部峡谷内蔵助谷出合(標高1400メートル)付近で起きた雪崩に
よる愛知県のパーティー3人の遭難事故で、7日午後2時ごろ、富山県警山岳警備隊
が、現場付近で2人の遺体を発見した。行方不明の3人のうちの2人とみられ、身元
を調べている。遺体は県警のヘリコプターで、現地対策本部が置かれている上市署に
搬送される。
行方不明になっているのは、東海山岳会の愛知県西尾市徳次町地蔵、大学職員朝岡恵
理子さん(28)、名古屋山岳会の同県岩倉市東新町下境、会社員稲石佳孝さん(2
5)、同県安城市東栄町1丁目、会社員有賀照幸さん(38)。(1月7日
asahi.com 15:56)
●西穂高岳 遭難事故
◆川崎重工業山岳部員4人と連絡とれず 岐阜県・西穂高岳
5日午後4時30分ごろ、岐阜県各務原市川崎の川崎重工業岐阜工場の山岳部から、
同県上宝村の北アルプス・西穂高岳(標高2909メートル)へ登山に向かった同部
所属の4人が2日の下山予定日を過ぎても戻らず、連絡もとれないと、県警神岡署に
届け出があった。神岡署は遭難の可能性があるとして届け出を受理した。
同山岳部の計画担当リーダー、山本浩一さん(35)が届け出た。それによると、連
絡がとれないのは社員の各務原市蘇原三柿野町、牧原由典さん(26)▽同所、黒沢
健さん(26)▽同市鵜沼丸子町、三谷孝子さん(38)▽同市新鵜沼台、羽尻仁志
さん(49)。
登山計画書では、4人は12月31日に上宝村神坂の新穂高温泉から入山し、西穂山
荘から西穂高岳、鍋平高原などを経て、ロープウエーに乗って2日に同温泉に下山す
る予定だった。
山本さんは「4人は登山の際にアマチュア無線機を持参したが、これまで一度も連絡
がない」と神岡署に説明した。神岡署は届け出があった後、西穂山荘に無線連絡を
とったが、4人が山荘には着いていないことが分かった。
上宝村役場によると、北アルプスは12月30日から断続的に雪が降っており、新穂
高温泉では現在80センチ以上の積雪があるという。 (1月5日 毎日新聞)
◆行方不明の4人を救助 北アルプス・西穂高岳
北アルプス・西穂高岳で下山予定日の2日を過ぎても戻らず行方不明となっていた岐
阜県各務原市の川崎重工業岐阜工場・山岳部の4人は6日、西穂高岳山頂付近を捜索
していた岐阜県警のヘリコプターに発見され、無事救助された。4人は悪天候のた
め、同岳で不時露営(ビバーク)していたが、無線が故障し、連絡ができなかったと
いう。
救助されたのは、岐阜県各務原市新鵜沼台6丁目、羽尻仁志さん(49)▽同市鵜沼
丸子町2丁目、三谷孝子さん(38)▽同市蘇原三柿野町3丁目、牧原由典さん(2
6)▽同市蘇原三柿野町3丁目、黒沢健さん(26)。
4人の捜索は、6日午前7時に同県警のヘリが現場に向け出発。同山岳部の登山仲間
4人も、地上から西穂高岳中腹の西穂山荘をめざした。午後2時26分、県警ヘリが
山頂付近で、簡易テントを振って合図する4人を発見。ロープでつり上げて救助し
た。
県警神岡署などの調べでは、4人は昨年12月30日に同県上宝村の新穂高温泉を出
発し、西穂山荘、西穂高岳を経由し、1月2日に新穂高へと戻ってくる予定だった。
予備日としていた3日と4日を過ぎても戻らないため、同山岳部の登山仲間が神岡署
に届け出た。
4人は30日の出発後、順調に進み、1日には西穂高岳山頂から200メートル下に
までたどりついたが、2日からの強い風雪で先に進めず、現場でビバークしたとい
う。羽尻さんは「20年以上山に登っているが、あんな強い風が一晩中続いたのは初
めてだ」と話した。(1月7日 asahi.com 00:22)
●北アの3パーティー救助
南安曇郡安曇村の北アルプスに登山中、悪天候や凍傷で動けなくなり県警に救助を求
めていた三パーティーが六日、救助された。遭難者に付き添っていた男性を含む六人
はヘリコプターで同郡穂高町のヘリポートに到着、救急車で同郡豊科町の豊科赤十字
病院に運ばれた。
同病院によると、東京都杉並区の会社員庄田一信さん(45)のパーティー三人は軽
い凍傷を、愛知県春日井市の地方公務員山本厚さん(45)と大分県日田市の会社員
財津茂美さん(45)は、手や足の指に重い凍傷を負っているという。
庄田さん、庄田さんの息子で中学一年になる聖(さとる)君(13)、栃木県の医師
根津幸穂さん(26)の三人は六日午前十一時半ごろ、救急車で豊科赤十字病院に到
着。三人は待っていた登山仲間らと抱き合って無事を喜び、しっかりした足取りで救
急治療室に入った。三人とも手や足に軽い凍傷を負って、疲労が激しいため同病院に
入院した。
救急治療室内で取材に応じた庄田さんは「皆さんのおかげで助かりました。ご迷惑を
おかけしました」と紅潮した顔で話した。
庄田さんらは先月三十日に上高地から入山。前穂高岳北尾根を経由して奥穂高岳に向
かった。予想以上の天候の悪化から庄田さんは下山を決めた。下降ルートを間違え、
通常の登山道まで戻ろうとしたが、新雪が深く雪崩の危険性が高いと判断し、登山道
から五十―百イほど離れた尾根に小さな雪洞を掘ってビバークした。今月三日、知人
に携帯電話で連絡し、県警への救助要請を頼んだという。
庄田さんによると、雪洞の中では、三人が肩を寄せ合い、冗談を言ったり、歌を歌っ
たりして過ごしたという。「みんなの気持ちを落ちこませないように努めた」と庄田
さんは振り返る。
聖君は救助ヘリが見えたとき、涙がとまらなかったという。救急治療室から車いすで
出てきた聖君は「元気です。(雪洞の中は)寒かった。ほとんど寝ていました」と話
し、ほっとした表情を見せた。
山本さんと財津さんも同病院に入院した。
山本さんは仲間一人と一緒に先月三十日、上高地から入山。槍ケ岳に向けて縦走中、
手足に凍傷を負って動けなくなり、仲間と一緒に近くの山小屋に避難していた。同病
院によると、山本さんは両手の指に重い凍傷を負っているという。
財津さんは今月二日に単独で上高地から入山。凍傷を負ったため、槍ケ岳の山小屋に
避難していた。病院の説明では、財津さんは両足の指に重い凍傷を負っているとい
う。(1/7 asahi.com 長野版)
●雪崩現場の捜索は難航
北アルプスに登山中、大雪で動けなくなり、県警に救助を要請していた富山勤労者山
岳会と京都左京勤労者山岳会の二パーティー男女四人が六日、航空自衛隊と県警のヘ
リにそれぞれ救助された。男性一人が両足凍傷を負っているほかは、いずれも元気。
一方、黒部峡谷・内蔵助(くらのすけ)谷出合(たんであい)付近で雪崩に巻き込ま
れた愛知県の男女三人の捜索も同日、空と陸で始まったが、現場付近は新雪に覆われ
ていて、三人の行方は確認できなかった。黒部ダムに派遣された県警山岳警備隊員
も、新たな雪崩が心配されたため、地上からの捜索は見合わせた。県警は、きょう七
日もヘリによる捜索を試みる。
剣岳八ツ峰6峰(標高約2500メートル)で動けなくなった富山勤労者山岳会の男
性二人と、黒部別山大ヘツリ尾根(同約1800メートル)で孤立していた京都左京
勤労者山岳会の男女二人の救助活動は、天候が回復した六日午後になって本格化し
た。
午後三時五分ごろには、県警ヘリが二回目のフライトで、黒部別山の頂で元気に手を
振っている京都左京勤労者山岳会の滋賀県志賀町、京都府立大農学部助手伊藤達夫さ
ん(43)と京都市左京区、同大農学部四年堀中真野さん(22)の二人を発見し、
約四十分後に助け上げた。
また、剣岳八ツ峰6峰で動けなくなった富山勤労者山岳会の富山市米田すずかけ台、
病院職員堀隆さん(45)=写真=と魚津市本町、会社員小林喜一さん(45)の救
助活動は、県の要請を受けた航空自衛隊小松基地の偵察機一機とヘリ二機が担当。現
場付近は風速二十五メートル以上の強風だったが、午後三時三十分ごろ、二人をつり
上げ、富山空港に運んだ。
現地対策本部の置かれた上市署に六日朝に到着し、ヘリと連絡を取り合う署員の様子
を見守っていた京都府勤労者山岳連盟の花折敬司理事長(48)は、「心配してはい
たが、特に伊藤さんは黒部に精通しているので信頼していた。早く二人の声を聞きた
い」と、無事救助の報に胸をなで下ろしていた。
一方、内蔵助谷出合付近で愛知県岩倉市東新町下境、会社員稲石佳孝さん(25)ら
同県の男女三人を巻き込んだ雪崩事故の捜索は難航した。地上からの捜索活動の起点
となった長野県大町市の大町アルペンラインゲートには六日午前、三人が所属する名
古屋山岳会や東海山岳会のメンバーらが次々と到着。富山県警山岳警備隊の四人と合
流して、正午過ぎに前線基地となる黒部ダムに入った。
隊員からの連絡によると、ダム周辺は天候は比較的良かったものの、新雪が降り積
もっているため、現場に向かえば雪崩に遭う危険性が高いと判断。難を逃れ、同ダム
取水口事務所で待機していた静岡県浜松市海老塚、会社員千田敦司さん(26)(東
海山岳会所属)から遭難の状況などを改めて聞いた。
千田さんは「事故後に稲石さんが谷底に倒れているのを見た。ほかの二人は見つから
なかった」と話しているという。
大量の新雪で近付けず
一方、空からの捜索は、午後一時二十五分ごろ、県警ヘリが現場上空に到達したが、
雪崩の跡や三人の行方は、新たに降り積もった新雪にかき消されて確認できなかっ
た。
大町市に駆け付けた名古屋山岳会代表の中川邦仁さん(31)(愛知県刈谷市)は、
「三人の家族のためにも、できるだけ早く見つけてあげたい」と話し、同山岳会元メ
ンバーの会社員増田智彦さん(30)(長野県松本市)も「雪崩が起きてから一日半
もたってしまった。雪の中で生きて待っているかと思うと、いたたまれない」と心配
そうに山並みを見つめていた。
また、稲石さんの父親、嘉郎さん(58)と母親の栄子さん(56)も六日午後、大
町市に到着。栄子さんは「好きなことをやっていての事故だから仕方ないかもしれな
いけれど……」と声を詰まらせ、嘉郎さんも「助かっていてほしいが、雪崩だから
ね……」と静かに話した。(1月7日 Yomiuri On-Line)
●京都府立大の2人 救助 自衛隊のヘリで搬送
富山県立山町の北アルプス黒部別山で大雪のためテントで孤立していた京都左京勤労
者山岳会のメンバー二人は六日午後三時半ごろ、航空自衛隊のヘリコプターで無事救
助された。二人ともけがはなく、元気な様子という。
二人は、滋賀県滋賀郡志賀町南小松、京都府立大教員の伊藤達夫さん(43)と京都市左
京区松ケ崎修理式町、同大学四年の堀中真野さん(22)。
同山岳会が京都市内に置いた対策本部によると、二人は凍傷もなく、搬送先の病院で
元気に話している、という。六日は富山市内で一泊し、七日に京都に戻る予定。
二人は昨年十二月二十九日、長野県の扇沢から入山。一月三日、黒部別山を登山中、
深い積雪で雪崩の恐れがあることから行動を止め、無線で連絡を取りながら救助を
待っていた。
対策本部は「伊藤さんは登山歴二十五年、堀中さんは約七年。二人とも経験豊かで、
無理をしないで、じっとしていたことが良かった。無事だと信じていた」と話してい
る。 (京都新聞 2001年1月7日)
●冬山への警戒薄れ? 北ア、悪天候下の新世紀登山
長野、富山、岐阜の三県の北アルプスでは、二日以降に登山者からの救助要請などが
相次いだほか、連絡が途絶えるケースも起き、六日中に、前穂高岳北尾根付近でビ
バークしていた三人パーティーをはじめ二十人以上がヘリコプターなどで救助され
た。全員命に別条はない。
一連の遭難事故は、長野地方気象台が十二月三十一日に、年明けからは冬型が強まる
との予報を出し、雪崩注意報も断続的に発している悪条件の中で発生した。年末年始
の長野県内の山岳に限っても、昨季より千人増の約六千九百人の登山者が訪れてお
り、関係者は、新世紀という節目とあって、冬山への警戒心が薄れた登山者も少なく
なかったのではないかとみている。
同気象台によると、北アルプスなど県内山岳は十二月二十七日にいったん大雪は峠は
越えたが、同気象台は以降も、雪崩注意報を断続的に出す一方、年始にかけ冬型が強
まると予報した。
県警地域課によると、この予報が出てからも昨年を上回るペースで登山者が入山。入
山こそしなかったが、あきらめきれずに登山口まで来て引き返した登山者も多かった
という。
予報通り天候は三十一日以降崩れ、遭難の原因となった。県内の遭難者は無事救出さ
れたが、同課は「幸運だった面も少なくない」と話す。
同気象台は「天気図の確認は登山の常識。天候悪化は分かっていたはず」とし、別の
関係者は「新世紀登山とはいえ、悪天候が予想されるなかで、どうしてこんなに登山
者がいたか理解に苦しむ」とも話している。(1月7日 信濃毎日新聞)
ACHP編集部
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