大武川沿いにある岩につけられたレリーフ。坂田初実さんの歌が、息子の死を悼んで
いた=武川村柳沢で
行く山は
今がさかりか紅に
なぜに散らすか
若き一葉を
そんな短歌を刻んだレリーフが、武川村の山中の大岩に取り付けられていることを知
る人は、少ない。甲斐(かい)駒ケ岳で滑落死した早稲田大学山岳部員の父親が、息
子を悼んで詠んだ。その父もすでに没し、子をおもう親の愛情だけがひっそりと、奥
山に眠り続ける。秋が深まる10月10日、その息子が旅立って、26回目の命日を
迎える。
滑落死したのは、早稲田大山岳部員で、同大教育学部の1年生だった坂田祐次さん。
1974年10月10日、白州町の駒ケ岳(2,966メートル)に5人のパー
ティーで登山中、大武川上流で滑り落ちた。まだ、20歳だった。
坂田さんの死は、翌日の新聞の社会面で小さく報じられている。すぐ近くに、学生運
動に関する記事が、4段見出しで掲載されている。「成田闘争、大詰めへ デモ隊の
8人を逮捕」。学生も社会も、まだ熱い時代だった。
長崎市出身の祐次さんは、高校時代も登山部。ヒマラヤ遠征にあこがれ、早大進学後
も山岳部に入部した。「全く手が掛からない子でした。息子は一人。もしものことが
あったらと、山登りにはずいぶん反対したのですが、子どもの意志が固かった」と同
市昭和1丁目に住む母親のみどりさん(70)は振り返る。
「ほかのクラブにしないか、言ったのですが……。アルバイトをして、ピッケルや靴
を自分で買ったんです」
祐次さんを悼むレリーフは、武川村柳沢の県営林道大武川線沿いにある。ノート大の
金属製で、死の翌年、早大山岳部員が大武川渓谷の横の大岩に取り付けた。父親の初
実さんは歌に、「甲斐駒ケ岳に逝(いき)し子を想(おも)う」という題を付けた。
みどりさんによると、初実さんは短歌が趣味で、若いころには短歌誌「アララギ」に
寄稿したこともある。その後、仕事に追われ、しばらく歌から遠ざかっていたが、早
大山岳部がつくる遺稿集にと三首の歌を作った。レリーフに刻まれたのは、このうち
の一首だ。祐次さんが亡くなった季節と、子どもを亡くした心情を重ね合わせて詠ん
だ。
初実さんはみどりさんに、「(入部を許し)後悔はしているけれど、好きなことをし
て逝ったんだから」と話していたという。しかし初実さんは祐次さんを亡くしてから
病気がちで、1994年、71歳で亡くなった。
みどりさんは、このレリーフがある大武川渓谷岩を、これまでに3度訪れている。一
昨年の25回忌には、急に思い立って、祐次さんの妹2人と現地を訪ねた。「年齢的
に今なら行ける」と思ったという。
レリーフは、当初は目の高さにあった。だが、川の流れに足元の地盤が次第に削ら
れ、とても手が届かない高さになっていた。26年の歳月の流れを感じた。
数は少ないが、このレリーフに気づいた人もいる。甲府市中央1丁目で飲食店を営む
秋山清太郎さん(52)は二十数年前、偶然レリーフを見つけた。息子を想う初実さ
んの歌に涙が出るような感じがし、忘れることができなかったという。
甲斐駒ケ岳の秋は、すぐそこだ。26回目の命日を過ぎるころには、初実さんの歌も
紅葉に包まれる。(9/26 asahi.com 山梨版))
ACHP編集部
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