◆大谷副隊長ら第1キャンプ入り
渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記6
8月7日
第1キャンプ(C1=5900メートル)へ装備、食料の荷揚げ開始。高度順化の遅
れている学生はC1予定地に到達できず、途中に荷物を置いて下った。
8日
C1への荷揚げ。学生らもC1の高度にかなり体が慣れてきた。
9日
C1建設。大谷副隊長ら3人がC1入りし、学生らはC1へ荷揚げ後、ベースキャ
ンプ(BC)へ下山。BCではロバ方さんたちがわなを仕掛けて取った野生ヤギの新
鮮な肉が待っていた。
(asahi.com 2000年8月9日)
◆いよいよ15日にアタック
渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記7
未踏峰のアタックに向けて登山は最終ステージに入りました。15日に第1次アタッ
クの結果がでそうです。
◇ ◇
8月10日
大谷副隊長ら3人が第1キャンプ(C1)から第2キャンプ(C2)予定地(65
00メートル)を往復。チョンムスターグの頂上が間近に見えた。
11日
山田隊長ら2人がC1ーC2間のルート工作。急傾斜の雪の大斜面のラッセルがつ
らい。
12日
山田隊長や学生ら計6人でC2へ荷上げし、テントを設営した。登頂に向けてお膳
立てができた。
13日
第1次アタック隊の大谷副隊長ら3人がベースキャンプからC1入りした。15日
にいよいよアタックだ。各キャンプに少しずつ緊張感が高まっている。
◇通訳の見た登山隊◇
アブドゥル・エジズ(新疆登山協会通訳=25歳)
私は通訳としてこの登山隊に参加しました。登山隊にはこれで3年ぶり2度目の参
加です。出身は新疆ウイグル自治区ホータン地区ケリヤ県です。日本語は新疆工学院
(大学)に通っている時、近くの夜学で1年間学びました。目的は日本の科学技術と
文化を勉強したいためですが、いまは日本人にイスラム教を広めたいという希望があ
ります。
今度の旅に私は、12冊の本を持ってきました。このうち9冊は日本語の本です。
岩波文庫の「コーラン」(上中下=井筒俊彦訳)があります。日本の人とイスラム教
のことを話すための準備です。
私は登山の成功を毎日祈っています。チョンムスターグ(大きい氷雪の山)はアッ
ラー様がケリヤ人のために作ったもので、雲を雪と雨、水に変えて人間に恵みを与え
ています。
隊員のみなさんは、自分の夢を実現するため、遠い日本から来て、12日もかかっ
た苦しくて楽しいキャラバンをし、ベースキャンプに着きました。登頂しようと、寒
い時にも第1キャンプ、第2キャンプに荷上げの苦労をしています。早稲田の人たち
のやる気に感動しました。今度、みなさんと仲良くなれて、笑いながら楽しく日々を
送っています。
◇シニアOBの一言◇
成川隆顕(渉外)
佳苗の仲間に2人の山岳部シニアOBがいる。1人が白鳥健二(60歳)=元土木
技師で、もう1人が私、63歳である。私は、テレビ朝日勤務を経てこの4月まで朝
日レタービジョン(テレビ朝日の文字放送)にいた。朝日新聞のニュースなどを休み
なく文字で放送している。会社生活にも潮時というものがあるが、何よりもこのチョ
ンムスターグ登山に参加したくてサラリーマン生活にピリオドを打った。
妻は何となく認めてくれた。山容から見て、チョンムスターグの主峰は60歳を過
ぎた者にとっても登れるチャンスがある、と判断した。それと、山田隊長や大谷副隊
長(ベテランのテレビ朝日ディレクター)、学生たちと一緒に登れることが楽しい。
35年前ネパール・ヒマラヤのローツェ・シャールという8000メートル峰に共
に挑んだ白鳥と誘い合わせての参加である。ローツェ・シャールは私のミスもあり、
失敗に終わったが、自分では充実した山登りをした、させてもらった。多くの仲間や
先輩に助けられたと思っている。山での結び付きは深く長く続く。学生たちと一緒に
山で充実した時間を持ちたいと思った。白鳥も気持ちは同じである。
「遠くに目標を定めると心が若くなります」――キャラバンの途中、親しい人たち
にそんな便りを送った。ちょっと気障だが、心からそう思っている。さて、12日第
2キャンプへの荷上げが完了して、アタックの最終ステップに移る。「怒濤の進撃」
というわけだが残念ながら、私の体力とスピードは隊全体のそれに追いついていけそ
うもない。重い荷物を背負った学生たちより遅い。とはいえ、果たすべき役割は何か
あるだろう。何かの役割を担わなければ、登山隊に加わった意味がない。
13日は大谷らと第1キャンプに登る。登山者として年齢の限界をわきまえなが
ら、みんなのお荷物にならないようシニアなりのチョンムスターグを味わいたい。こ
れから1週間の好天を何よりも祈りたい。間もなく満月である。
◇高度障害のこと◇
山田剛士(2年、装備)
富士山に登ったことがある人なら分かるかもしれないが、人間の体は急に標高が高
いところに行くと、気圧の変化に対応できず、頭痛や意識混濁などの症状を引き起こ
すことがある。これが高山病・高度障害というやつだ。症状の出方は、様々で吐き気
や貧血になる人もいる。5000メートルの峠を超える今回のキャラバンで、僕は頭
がくらくらして吐き気もあった。まるで二日酔いだ。ふだんから慣れていてよかった
とも言えるが、つらいのは同じ。
高度障害はなって当たり前のものである。「ならないよー」なんて言う人が身近に
いたら、『あーこの人は鈍いんだなあ』と思ってつらさを紛らわすのがよい。むしろ
常に自分の体の変化に敏感になり、症状を自覚しつつその高度に体を慣らしていくこ
とが大事だ。それから、慣れるまではあまり激しく体を動かさないこと。全然動かさ
ないのもいけないが、今回のキャラバンではロバに乗っていられたので、その点では
楽だった。倒れるような人が1人も出なかったのはロバの騎乗と歩きをうまい具合に
使い分けられたことが大きいと思う。
今回ベースキャンプは4850メートルに、第1キャンプは5900メートルに設
置した。始めに高度順化のため、5300メートルぐらいまで登ったのだが、ものす
ごく体がだるくなり、歩くのも億劫だった。次の日には熱を出して寝込んでしまっ
た。個人個人によって、一番つらい高度のラインがあるらしく、これを「○○メート
ルの壁」と言ったりするが、僕にとっての一番つらい高度はここらへんらしい。
さらに翌々日第1キャンプまで荷上げしたが、この時も5700メートルくらいか
らバテバテになってしまい、もう本当にきつかった。足が前に出ない。下る時も休み
ながら歩かないと、すぐ息が切れた。翌日も同じところまで登るかと思うと絶望的な
気分になったものだ。
そして翌日。疲れが残っていてそれなりにつらいのだが、だるくならない!普通に
登れるのだ。鼻で吸って口で吐く呼吸と歩調を合わせ、まわりの地形を覚えながら第
1キャンプまで登った。荷物を降ろし、テントを立てながら「これならやれる。もっ
と上まで行ける」と思い、うれしくなった。これが「高所順応」ということなのだろ
う。一度登った高さに次に登った時には、体が慣れているというやつだ。
12日には6500メートルの第2キャンプへ荷上げをした。すこし頭痛がした
が、深い呼吸を心がけて体を動かした。第2キャンプから見た頂上は圧倒的な迫力
だ。僕は、あの頂きに登れるのだろうか。
(asahi.com 2000年8月13日)
◆チョンムスターグ初登頂、帰路にビバーク
渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記8
第1次アタック隊は悪天候に見舞われ、予想外のビバーク(緊急露営)を強いられ
ました。18日から体制を立て直して第2次アタックです。
◇ ◇
8月14日
大谷、木野、棚橋の3人のアタック隊員がチョッムスターグ北稜6500メートル
の第2キャンプ(C2)入り。山田隊長ら4人の第2次アタック隊員らは5900
メートルの第1キャンプ(C1)に入って、アタック体制が整った。翌日の好天を祈
るばかりだ。
15日
大谷ら3人のアタック隊が午前5時20分(北京時間同7時20分)出発。小雪。
上空は青空。チョンムスターグの天気はめまぐるしく変わる。好天を期待しての出発
だ。しかし、降雪は続き、時々視界が悪くなる。
北壁側に雪ぴが張り出している。反対側の雪面を行くが、足を滑らせれば、はるか
下のクレバス帯まで達してしまう。難しいルートだ。正午ごろから山頂間近の岩稜帯
で天気待ちをする。
午後2時、空が明るくなった。アタック再開。クレバスがあり、難しいルートに
ロープを張って通過。
午後3時30分、登頂。天気やルートの不安定な雪の状態を考えるとあまり時間が
ない。帰路を急ぐ。
午後7時、困難な所を過ぎて雪のドームに着くが、ホワイトアウトで動きがとれな
い。ビバークを決意し、寒く長い夜が始まった。
アタック隊のC2帰着が遅れることが明らかになった午後2時前、第2次アタック
隊は山田隊長をC2に残してC1に下山。
16日
アタック隊は視界が良くなった午前8時ごろ行動開始。ひざまでの新雪をかき分け
てC2を目指す。午前10時30分、疲れきった3人がC2に無事帰り着いた。各
キャンプに喜びと安堵の空気が広がった。
第2次アタック隊員らはいったんベースキャンプに下山し、休養のうえ、改めてア
タック体制を組み直すことになった。
17日
昼ごろ大谷ら第1次アタック隊員が下山し、久しぶりに隊員がベースキャンプに顔
をそろえた。
(asahi.com 2000年8月17日)
◆チョンムスターグ登頂記
渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記9
◇大谷映芳(アタック隊リーダー)◇
「処女峰は難しい」――これが正直な感想だ。1979年にカラコルムのラカポシ
(7788メートル)北稜初登攀、81年にK2(8611メートル)西稜初登攀の
機会に恵まれたが、今回はそのいずれとも異質な難しさがあった。高度も、技術的難
度も、体力的にもさほどのことはない。しかし、チョンムスターグはそう簡単にはそ
の頂を私たちに明渡そうとはしなかった。
15日朝3時、出発準備を始める。テントの外は満月がこうこうとチョンムスター
グの山体を照らしている。午前5時20分、木野、棚橋両隊員とテントを出る。西の
空が暗いのが気になる。出発してすぐ、雪の大きなドーム状のピークに取り付く。
黙々とラッセルを続け、稜線に出た。
7時半、頂上との間の最低コルに着いた。視界が悪くなり、風雪に約1時間天気待
ちをした。チョンムスターグの天気は猫の目のように変わる。少し待てば良くなるだ
ろうと楽観的だった。
視界が開け、アタックを再開する。北壁側に雪ぴが張り出し、その反対側の急な雪
面をトラバース(横断)気味に登る。技術的には難しいわけではない。しかし、硬い
雪のうえに15センチほど新雪がのり、足を滑らせればずっと下のクレバス帯まで一
気に飛ばされる、いやらしい状態だ。
正午ごろ、頂上直下の岩場にさしかかった。また視界が閉ざされる。再び、天気待
ちした。「引き返すならここだな」などと話し合いながらの待機だ。いったん退去、
出直しも考え始めた午後2時ごろ、上空が明るくなり視界が開けた。時間が遅くなっ
たが、アタック再開だ。「天気の難しい山。登れる時に登っておかないと」との気分
が強かった。
岩と雪の接合点をたどり、ロープを伸ばしながら上を目指す。最後は100メート
ルほどの、足元からさらさらの雪が雪崩れそうな雪面をたどる。清らかな雪の頂上
だった。
展望はまるできかない。感激に浸っている余裕はなかった。そそくさと写真を撮っ
て引き返す。残された時間は少ない。
風雪の中を行きのトレースをたどって帰路を急ぐ。チリ雪崩れでトレースが消えて
いる場所もある。6時半ごろ最低コルに着いた。雪のドームを越せば第2キャンプ
だ。しかし、ホワイトアウトでルートがわからない。雪ぴに近づきすぎているのに気
付きはっとした。これ以上の行動は危険だ。
最低コルに戻り、大岩を風除けにしてツェルト(簡易テント)を被りビバーク体勢
に入った。寒い。水分も、食べ物も昼過ぎから取っていない。長い夜が過ぎた。
16日、夜が明けても視界はあいかわらず悪い。朝7時半、日が差し始め急に暖か
くなった。行動再開だ。前日立てておいた赤い小旗が50メートル先に見える。これ
で帰れる、と嬉しかった。
疲れた体を引きづるように新雪をかき分けて進む。午前10時半に第2キャンプに
着いた。山田隊長が飲み物をたっぷり用意して迎えてくれた。仲間そろってトラン
シーバーで祝福してくれる。心配をかけてしまった。
こんなに雪の状態や天気の判断が難しい山は初めてだ。結果として3日にベース
キャンプ入りして以来最悪の天気にアタックをかけてしまった。
頂上を明渡した処女峰に、最後に「ビバークくらいして帰れ」と言われたような気
がする。
(asahi.com 2000年8月17日)
◆すべての登山活動を終了
渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記10
第1次アタック隊の初登頂を受けて、18日から隊員らが再び高所キャンプ入り
し、第2、3次登頂を目指しました。しかし、チョンムスターグ周辺は悪天候の周期
に入り、視界を閉ざすガス、稜線上は厳しい寒風、午後はあられを伴った強力な雷雲
の襲来と、私たちにつけいる隙を許しませんでした。
21日、前進ベースキャンプからロバで荷下ろしをし、ベースキャンプに全員が集
結。すべての登山活動を終了しました。
今回の登山は学生を含め、より多くの登頂者を出すのも狙いでしたので、第2、3
次登頂を果たせなかったのは心残りですが、全員無事に下山できたことを嬉しく思い
ます。
23日に帰路のキャラバンに出発します。ご支援ありがとうございました。
◇ ◇
8月18日
山田隊長、稲葉隊員が第2次登頂を目指しベースキャンプから一気に第2キャンプ
入り。途中で強烈な雷雲に襲われ、雪面に穴を掘って横たわり寒さに震えながら雷を
やり過ごした。
19日
山田、稲葉は午前5時過ぎ、登頂を狙って出発するが、6700メートルの雪の
ドーム頂上を過ぎたあたりで、烈風に襲われ、頂上付近の視界も悪いため第2キャン
プに引き返した。この日、渡辺キャプテンら学生2人とシニアOBの白鳥ら4人の第
3次アタック隊員が第2キャンプ入り。山田隊長らとともに20日の登頂をうかが
う。
20日
夜明け前から第2キャンプ付近はガスが舞い、視界が悪い。チョンムスターグ本峰
登頂を目指す山田隊長ら2人と、西峰(6740メートル)初登頂を狙う渡辺ら4人
がそろって出発。しかし、雪のドームに登ったところで強風にはばまれ、しばらく天
気待ちをする。しかし、天気は好転せず、下山を決意。翌日以降の天候回復の兆しも
ないため、残念ながら登山活動の終了を決めた。
−◇登山を終えて◇−
渡辺佳苗(早大山岳部主将)
登山が21日全部終わった。日本を出発してから1カ月ちょっとが過ぎた。家族や
友人たちは、どんな夏を過ごしているのだろうか。私にとって、この1カ月はとても
短かった。それだけいろいろな出来事があって、多くのことを感じ考えたということ
なのだろう。
目標であるチョンムスターグ峰には3人の隊員が初登頂を果たした。隊として、登
頂できたことは、とても嬉しいが、自分自身が登れなかったことは、やはり少し心残
りだ。とはいえ、「山登り」全般に関していえばとても多くのことを学んだと思う。
登山は標高4850メートルのベースキャンプ設営に始まり、前進ベースキャンプ
(5200メートル)第1キャンプ(5900メートル)第2キャンプ(6500
メートル)とキャンプを伸ばしていった。荷揚げで高所順応のため、ベースキャンプ
と上部を何度か往復した。第1次アタック隊が第2キャンプ入りして、頂上アタック
の体制が出来上がったときは、「いよいよだ」と気持ちが引きしまった。
私は第1キャンプでアタック隊の様子をうかがった。アタック隊が頂上に向かった
15日は天気があまり良くなかった。視界も悪いようで、緊迫するトランシーバーの
更新を傍受しながら、「どうするのか、どうするのか」と気をもんだが、午後3時に
登頂との交信が飛び込んできた。ほっとすると同時に、帰りは大丈夫だろうかと、再
び、不安が広がった。
アタック隊はその日、第2キャンプに戻れなかった。午後7時過ぎ「ビバークす
る」との交信を最後に連絡が取れなくなった。翌朝8時になってもアタック隊との交
信ができず、各キャンプは大きな不安につつまれた。捜索も含めた事後対策のため、
第1キャンプから隊員が上部へ向けて出発しようとした矢先の8時23分、アタック
隊の大谷リーダーから交信が入った。「視界がクリアになったので行動を再開した
・・・・」。その瞬間、安堵の空気が全体に流れたことは言うまでもない。
その後、私たち残りの隊員がチョンムスターグ本峰と西峰(6740メートル)を
それぞれ目指したが、悪天候に阻まれ登ることができなかった。
今回参加した経験の浅い学生5人は、それぞれに大奮闘し、貴重な経験を得た。一
回りも二回りも成長したメンバーと、これから日本での山登りに取り組むことが楽し
みだ。
登山は終わったが、旅はまだ続く。帰りのキャラバンは23日に出発する。帰国ま
でけがや病気のないように気をつけたい。
最後に、この日記を読んで下さった皆様に感謝いたします。
(asahi.com 2000年8月21日)
ACHP編集部
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