チョモランマ登頂の最高齢記録を更新した山本俊雄さん

世界最高峰チョモランマ(8,848メートル)の頂上直下に、ヒマワリの花が咲い
ていた。快晴の5月19日、その2日前に登った第1次アタック隊が残した造花を確
認後、あこがれの頂に立った。
1日、法大チョモランマ登山隊(中村敏夫隊長、朝日新聞社後援)のメンバーたちと
帰国し、日焼けした笑顔で振り返った。「こんな苦しい登山は初めて。体力も気力も
使い果たした」。10キロ近く体重が減った。

第3次アタック隊で中国側から挑み、この山の最高齢登頂記録を一気に3歳、更新し
た。それまでの最高齢登頂は昨春、グルジアのレフ・サルキソフさんが記録した60
歳と161日だ。

「自分の力で登ったわけではない。仲間たちに全部おぜん立てしてもらい、シェルパ
や酸素の助けを借りた。最高齢記録は意識しなかった」

東京都文京区の小学校に通っていたころ、校舎の4階から雨どいを伝って何度も校庭
へ下りた。ついたあだ名が「ターザン」。そんな野性児が山に入れ込み、法大山岳部
の合宿で、渓流のイワナをよく手づかみにした。

ヒマラヤは夢のまた夢だった。学生時代、海外渡航は自由化されていなかった。それ
でも「いつかチャンスがくる」。ヒマラヤを想定し、冬の北アルプスで、頂上に向
かって荷揚げとキャンプを進める訓練を繰り返した。

1988年、大学の後輩たちと登ったネパールの6000メートル峰が初のヒマラヤ
だ。95年、チョーオユー(8,201メートル)に登頂。間近に望むチョモランマ
を次の目標にした。山岳部の合宿で息子のような学生たちと技術を磨き、スポーツジ
ムにも通った。

郵便物の発送を代行する会社の社長。2カ月余の留守を守った妻の寛子さん(60)
に「もうこれっきりになさい」と、くぎをさされている。(6月2日 朝日新聞 朝刊)

ACHP編集部

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