惜別 日本勤労者山岳連盟会長 吉尾弘さん

惜別 日本勤労者山岳連盟会長 吉尾弘さん

  3月15日遺体で発見。62歳。3月26日告別式

ザイルのトップに誇り


「あなたは優しすぎるのです。それはザイルのトップを守り続けたクライマーの誇り
だけでない事は承知しています。パートナーに対する愛情と命に対する責任感だった
...。」
弔辞を読み上げる愛知学院大教授の湯浅道夫さん(63)は、途中から涙声になった
。祭壇には冬山の岩壁をを模した飾り付け。分厚いヤッケを来た大きな遺影は、飛び
切りの笑顔だった。

誰もが「まさか」と耳を疑った。知り尽くしたはずの谷川岳一ノ倉沢。仲間二人を連れ
、ザイルのトップで滝沢リッジを登っている最中に滑落した。
谷川岳は因縁の場所だ。1957年春、雪崩が多発した当時。「難攻不落」と恐れら
れた積雪期の滝沢本谷を仲間と二人で初登攀した。この時19歳。全国の登山家を震
撼させる華々しいデビューだった。

湯浅さんとは、先鋭的な登山家達で組織する山岳団体、RCC IIで一緒に山を登った。
65年夏、欧州アルプスに遠征。「吉尾さんは常にザイルのトップにこだわる人だっ
たが、現地で痔を患い、この時はトップを交代してくれた。うれしかった」と湯浅さん。
72年、日本勤労者山岳連盟の会長に就任。「働く者が安心して登山できる組織作り
」を心がけ、会員の悩みや苦しみを膝を交えて聞いた。過去の栄光をひけらかさない
謙虚な性格に、いつも人の輪が出来た。

実践と行動で会を引っ張るリーダーだった。78年、同連盟隊を率いてヒマラヤのパ
ビール峰(7,052メートル)に初登頂。50歳を過ぎてからスポーツクライミングで新しい技
術の習得に励んだ。盛り上がった腕の筋肉は30代のようだった。

家庭では、山の話題をあまりしなかった。「父の見た風景を見てみたい。父と仲間と
の深いきずなが理解できるかもしれない」。長女の佳子さん(37)は告別式の後、
山岳会に入会した。(4月3日 朝日新聞 夕刊)

  ACHP編集部

★ お知らせへ戻る ★ INDEXへ戻る