●劇作家の田中澄江さん死去 山歩きでも活躍
『花の百名山』の著者、田中澄江さんがお亡くなりになりました。
舞台の戯曲だけでなく、映画「めし」やNHK朝の連続テレビ小説「うず潮」などの
シナリオ、小説、エッセーなどおう盛な文筆活動で知られ、女性の山歩きの会の主宰
、美術館の設立と幅広く活躍した劇作家の田中澄江(たなか・すみえ)さんが、1日
午後5時10分、老衰のため東京都清瀬市の病院で死去した。91歳だった。葬儀・
告別式、喪主は未定。自宅は東京都中野区野方1の25の7。
晩年のエッセー集に「老いは迎え討て」と題名をつけるなど元気だったが、1997
年に体調を崩し、その後、脳こうそくで闘病生活に入った。死の直前まで、不自由な
右手の人さし指で字を書く動作を繰り返していたという。
東京都生まれ。東京女高師(現・お茶の水女子大)国文科在学中から劇作を始めた。
卒業後は聖心女子学院教師となったが、34年に劇作家の千禾夫(ちかお)氏(95
年死去)と結婚し退職。39年、最初の長編戯曲「はる・あき」が文学座によって上
演された。
戦後、家の没落と長男の病気治療のため、京都に移住。新聞社で芸能記者をしたこと
もある。
映画の脚本も書き、「少年期」「晩菊」などの作品がある。「めし」その他で51年
度ブルーリボン脚本賞を受けた。
60年代以後は活動の幅をさらに広げ、64−65年に放送された「うず潮」などの
テレビ脚本のほか、私小説を多く発表。「カキツバタ群落」で73年度芸術選奨文部
大臣賞を受けた。
山を愛したことでも知られ、81年に「花の百名山」で読売文学賞。女性の登山グル
ープ「高水会」を主宰。88年、長男の聖夫氏夫婦とともに、自宅の一角に「嫁菜の
花美術館」を開いた。
◆森羅万象に愛情注ぐ――演出家の大山勝美氏の話
亡くなる日の朝、容体急変の知らせで集まった私たちに「もう帰っていいよ」と言わ
んばかりに手を振って、目でも合図して、最後までケタ外れの生命力でした。人間だ
けでなく山や野の草花、森羅万象に注がれたあふれんばかりの愛情から学び取ったこ
とは数知れません。 (3月2日 朝日新聞 朝刊)
ACHP編集部