黒部/丸山東壁/大ダデガビン
<黒部/丸山東壁/大ダデガビン>
九大山岳会
松垣直宏、福原孝康
<記録>松垣直宏
黒部丸山と大タテガビンに行ってきましたので、その報告を致します。
1996年8月2日〜9日
8月2日(晴)
黒四ダムから入山。二週間分の食糧と登攀具(とその他いろいろ余計なグッズ)
でザックはかなり重いが、一時間半も歩けば内蔵助谷出会の鉄塔付近の空き地
に着く。
誰も居なかったのでここをBCとする。途中、30mほどのスノーブリッ
ジが水平道をはばんでいたが、僕たちは頑丈だと判断してその上を歩いてきま
した(高巻くこともできたが、その場合は荷物を二回に分けて運ぶ必要があっ
たろう)。午後から緑、塚田・小暮ルートの取付まで行ってみる。塚田・小暮
の方は雪渓がまだ残っていたが、ピッケルなしで行けることを確認。
8月3日(晴)
4:00にBCを後にし、5:00緑ルート登攀開始。下半は(やっぱり)単調なボルトラ
ダーで、日が高くなるにつれむしろ暑さとの戦いになってくる。8:30に中央バ
ンドに出る。
信じられないかもしれないが、この時刻でかなり暑さに参ってい
た。大休止して、9:10上部登攀開始。核心のハングは福原がリード。自己釣り
上げを交えながらの突破となる。僕はフォローだったが、それでもかなり消耗
してしまった。
今迄せいぜい張り出し1、2mの、ひと息で乗り越せるハングし
か経験がなく、レストが下手だったせいだろう(それともただの腕力不足?)。
暑さ(とハング)でふらふらになりながら、12:40に大テラスで登攀終了。
居心
地のいい木陰なので長居したいが、意を決して13:05同ルートの下降を始める。
大ハングのくるくる廻りながらの空中懸垂は頭の芯が痛くなるくらいの高度感
だった。途中僕の記憶がトンでいて下降点を間違え福原の足を引っぱりながら
も、14:50に取付着。僕が登攀中に落としてしまったヌンチャクを探すが、空
しい作業に終わった(T_T)。
8月4日(晴)
骨休め。11時ころから大タテガビン南東壁の取付をみてこようと、軽装で南東
壁沢をつめる。ほどなくチョックストーン滝に行く手を阻まれた。
この沢に対
する僕の認識の甘さが露呈。すごすごBCに引き返す。アプローチに時間を要す
ることが予想されるため、福原の提案から、今日中に南東壁沢をつめて岩壁基
部の洞穴でビバークすることにする。
夕飯後出発。チョックストーン滝は左を
人工で越える。その後もちょっとした岩登り(ザイルは不要)が続き、夕立に濡
れながらBCから約2時間で洞穴に着く。伊藤@左京労山さんの名前入りの布切
れを発見(?)。ブヨに悩まされながらツエルトにくるまる。正面壁を異常な落
ち方で落ちていく石に夜たびたび目を覚まさせられる。
8月5日(曇後晴)
ガスっているのでしばらく様子をみる。6:00鵬翔ルート登攀開始。1ピッチ目
はクラック沿いに左上していくはずだが、岩がもろくハーケンも効いていない
らしく、トップの福原がボルトを打とうとする。
ここで(よせばいいのに)僕が
すぐ右となりのボルトラダーをたどって1ピッチ目を突破することを提案。福
原はカラビナ1枚捨てて降りてくる。そしてボルトラダーをたどろうと最初の
ボルトに体重をかけた瞬間、ボルトが抜けて...グランドフォールにならな
かったのは幸いだった。
トップを交代して一本替りのボルトを打ち込んで残置
のカラビナにも導かれながら30mくらい登って小テラスに着く。福原も上がっ
てくる。目の前に小ハングもあり僕はここが鵬翔の1ピッチ目終了のテラスだ
と勘違いしていたのだった。小ハングを乗り越すためのハーケンは一本もなく、
ボルトラダーは途中で尻切れになっていたので困惑。
とにかくひとつ左のルン
ゼに入って様子を調べようとトラバース用のボルトを打とうとジャンピングを
叩いていると、なんと刃が折れてしまった!ここで撤退を決定。懸垂下降中、
本当のルートが5m程左に存在していることが判明したのであった。(やはりあ
のクラックは突破しなればならないらしい。ボルトラダーは試登ルートか?)
...
このまま南東壁沢を引き返すのもな〜と(よせばいいのに)僕がスラブ状ルンゼ
ルートを登って帰ろうと提案。しかしろくすっぽ調べておらず、ルート図もな
い状況でこの提案は無謀だった。
今思えばスラブ状ルンゼを中央ルンゼと間違
え、その先にあるはずのまぼろしのスラブ状ルンゼを求めてさまようというか
なり間抜けな行動をした挙げ句にこれも断念。おとなしく南東壁沢を下ること
にする。
若干のハーケンを打ち足し、そろりそろりの懸垂下降を重ねてチョッ
クストーン滝までたどりついたときは正午をまわっていた。とぼとぼとBCに引
き返す。
8月6日(晴れ)
ジャンピングの予備はなかった。でもどうしても鵬翔ルートは登りたかった。
幸い真砂沢に仲間がいるので、僕はそこまで行って借りてくることにする(結
果論からすれば、ちょうどその日が仲間の下山日だったのでBCで待っていれば
ジャンピングは手に入ったのだが)。
そんなこんだでジャンピングを手に入れ、もう一度トライである。夕刻出発し
て洞穴でビバーク。
#南東壁沢について。雪渓はほとんどなくなっていました。また水に関してで
すが、このときは洞穴のかなり近くまで沢の水がありました。
8月7日( 晴)
天気は抜群。今日中に抜けきらない可能性もあるので、各自3リットルの水を
かついで5:15登攀開始。
1ピッチ目福原はボルトを一本打って突破する。杉の
木テラスへ出るピッチで僕がルートを見損ない、急な草付を登ってしまってニッ
チモサッチモいかなくなる。なんとか木の根を掘り出してロワーダウンするが、
杉の木テラスへ二人がそろったときは9時をまわってしまっていた。
だんだん
暑くなってくる。ルートはフェースの人工登攀、ルンゼ、リッジのフリー、ブッ
シュ、といろいろ楽しませてくれる。しかしやはり一番緊張したのは人工登攀
だった。支点を見る目が甘いのだろう、思わづ余計な力が入る。
特に僕の記憶
に残っているのはカギ型ハングを右に見ながらの小ハングの乗り越しのピッチ
である。下向きに半分しか喰いこんでいなハーケンにアブミとともに全体重を
かける瞬間といったら!
それでもいつしかカギ型ハングより高度があがり、だんだんブッシュがうるさ
くなってくるとともにルートも判然としなくなってくる。こうなるとアブミも
必要なくなりブッシュのあい間ところどころに現れる岩とハーケンを拾いなが
ら上へ上へと...おそらく終了点と思われるところから3ピッチの薮こぎで
南東壁の頭へ出る。15:45、10時間以上かかってしまった。
頭からは中央ルン
ゼの上部2ピッチがやけに大きく見え、中のガビン沢は本当に救いだった。
16:15頭を出発し、ガラ場を尻もちをつきながら下り、ついで薮を尻もちをつ
きながら下り、涸滝の連続する中のガビン沢本流に出た。
ノーザイルで下れる
いい下降路。17:45旧日電歩道。18:50薄暗くなるころBCにたどりつく。
8月8日(晴れ)
実働の最終日であったが動く気にならず、お休み。
僕は緑よりも塚田・小暮の方に魅かれるものがあったのだが、また次回という
ことにしよう(もっと涼しいときに)。
8月9日(晴れ)
真砂へ向って入山。
<感想>
ルートファインディング能力のなさがさらけ出て、お見苦しい登攀記になって
しまいました。登攀に時間がかかりすぎた原因には、そのほかにも、僕のフリー
クライミング能力の低さのせいで無駄な時間を蓄積したことも挙げられます。
黒部別山、決して快適な岩登りではなかったですが、いろいろ勉強になりました。
大タテガビンに4日も費やしたため丸山のほうは1本しか登れませんでしたが、
まあ満足しております。
<感謝>
伊藤@左京労山さんの、とくに中のガビン沢の下降ルートの情報には大変
助けられました。知らなければおそらく南尾根のうえでもう1ビバークということ
になったでしょう。
そして実は、文面には出てきませんでしたが、内蔵助谷を
渡るのには伊藤さんたちの仕掛けたザイルを愛用させてもらっていたのでした。
(14日下山の際通ったときには、木造の立派な橋がかかっておりました)
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