脱 出 (G・ジョラス北壁からの下降)
<脱 出(G・ジョラス北壁からの下降)>
京都左京労山/北白川PBD/野村 勝美・小林 卓
<記録> 野村 勝美
1996年7月21日〜24日
遅まきながら会報用に作成したG・ジョラスのレポートをUPします。殆ど紀行文で
すが。当方、ようやくその節に被った手足の凍傷からも解放され、先週あたりからやっ
と近所の山を散歩しだしました。この間、体重は3KGアップ!当然岩は一切触っており
ません。
あれだけ暑かった京都の夏も地蔵盆を迎えるとめっきり涼しくなりました。そろそろ
秋に向かって本格始動といきたいものです。
中央クーロワールを挟んだクロ側稜に目をやると、それは壁全体が雪崩れていた。そ
して間断なく。圧倒的で、しかし美しい。茶色っぽい花崗岩の上を走るそれをもし青空
の下で目にすることができるなら、誰もがきっと"白糸の滝"という表現を思うだろう。
だが実際には、奔流となって雪崩を吐き出し続ける中央クーロワールを隔てたウォーカ
ー稜からそれを見ている僕ら自身、ほとんど変わらない状況に置かれている。再び雷が
鳴り出した。安全地帯に逃げ込めるまで、それが近づいてこないことを祈るほかない。
経験したことのない水分をたっぷり吸い込んだ雪を浴びながら、発狂寸前の下降を続け
る。堪えるしかない。
<7月21日>
朝、シャモニーに入った。昨年もお世話になった安宿SKI STATIONに荷物
を下ろすと教会横の天気予報掲示板へ。ところが昨年はあった英語版の予報が今年から
なくなってしまった。
何か情報はないものかと、傍らのメテオロジー(予報局)に半ば強
引に上がり込む。やはり英語の予報はなかったものの、5日後までの高層天気予報図が
あった。それによると、この2日ほどは高気圧に覆われて北寄りの風(ヨーロッパでの
好天の兆候)。その後は大きな気圧の谷が接近し、暫く西向きの風(悪天のが印し)が続く。
予報図通りなら今回も北壁に向かうのは時間的に困難だ。迷いつつ、装備を買う必要もあり、
スネルスポーツの神田さんに相談に行く。神田さんが訳してくれた偶然日本人が持って
きた仏語の予報によると、天気の崩れは一時的らしい。半信半疑、それでもここでは僕
らは外様なのだからと思い、現地の天気予報を頼りにそのまま入山することにする。但
し、半日から1日程度天候が悪化することを想定し、もともと2ビヴァークの計画に、
プラス1日を付け加えることにした。
われたが、一方、先行パーティーは既に灰色のツルムに向かっているのが見える。結局
は先行パーティーのトレイルを探してついて行ったのだが、なかなか伸びないロープに
イライラが募る。75Mジェードルにさしかかった頃は精神的に疲労困憊であった。
頑張れば何とかなったであろうこのピッチを空身で行ったのは失敗だった。登り返しにぐ
っと時間がかかった。上部が小滝状でロープが濡れてしまったことにも嫌気がさす。も
う少し登ることもできたが、この先よいビヴァークサイトがあるか分からないのでここ
で夜を迎えることとする。こことて膝を抱えて座れる程度で、大していい場所というわ
けではないのだが。
<7月22日>
今朝もいい天気だ。燕山稜方面の急峻な雪壁周辺をヘリが旋回してい
る。そこには人影らしきものが見えるが、「えっ、あんなとこに!」とちょっと信じられ
ず自信がない。そうだとすれば、前日先行していた別の1パーティーは、恐らくこの北
壁で最難と目されるランスールを登っていることになる。
さて − まず雪壁を1ピッチ直上し、氷のチムニーから右に分かれてアブミトラバー
ス後、さらに右へ振り子気味に懸垂をしてビレー点へ − この辺りは過去のロープが幾
重にも残置されている − チムニー上部からは小箱大の落石が発生し、ビレーヤーの脇
をかすめて行った。
トップ、フォロー共に時間がかかり、イライラが前日に引き続き募
っていく。灰色のツルム基部へと抜ける次の被った凹角のピッチは、はなからフィック
スロープを利用する。凹角を抜けバンド状を斜上したビレー点からは、今度は壁に正対
し、傾斜のきついフェースを5M直上する。
ここから左に5Mトラバース、その後緩い
凹角状を選んで灰色のツルム下部に入って行くのだが、このトラバースの箇所で、残置
ハーケンに導かれて一旦直上してみたりしてルートファインディングに時間を浪費して
しまった。
この頃から雷鳴がするようになり天候が怪しくなってきた。続いては水晶バ
ンドをたどる、右斜上して灰色のツルムの脇腹辺りを登っていくピッチ、このピッチを
登りだした直後、いきなりストームとなった。
ロワーダウンで取り付きに戻り、急いで
ツェルトを出して立ったまま被る。大粒の雹が混じったみぞれだ。風が強烈に吹きつけ
る。30分ほどで降り止んだものの壁が濡れてしまった。ところが谷から吹き上げる風
があまりにも強烈なため、暖かいわけではないのだが、みるみる壁が乾いていく。さら
に30分ほどすると壁は殆ど乾いてしまった。登高を再開する。
しかし、「確かに水晶
バンドだ」と感心していたのもつかの間、次のピッチに相棒を送り出す頃には再び雲が
厚くなりだした。何とか小降りのうちにビレー点に合流、確保を取ってツェルトを被っ
て天候が回復するのを待つ。
ここは緩いバンドを辿り、中央クーロワールが大きく望ま
れる箇所で、雪をちゃんと整地すればよいビヴァークサイトとなりそうだ。中央クーロ
ワールへと入っていくラショナル=テレイルートとの分岐まで行きたかったが、今日は
ここまでとして、予報通りなら翌日の天候回復を待って行動を再開しよう。まだ夕方に
は早い時間だが、この壁の状態では仕方がない − しかし今度はなかなか降り止まなか
った。
一度は去った雷鳴も、今度はぐずぐずと滞まっている。1時間半ほど待ってよう
やく夜を迎える準備にとりかかる。ピンを追加し、もう一方にはフレンズとナッツをセ
ットしてロープを固定し、壁を背に片屋根の形でツェルトを張る。
中に収まるとお茶を沸かしたりして一日の疲れを癒すが、1時間足らずでそれが終わ
ってしまうと、あとは再び朝がやってくるのを待つ。時折間近で雷鳴が轟き驚かされる
。そう、雷は本当にすぐ横で鳴っている感じだ。それでもしばらくは、相変わらずぐず
ぐずはしていたものの、天候は大してどうということはなかった。が、次第に様子が変
わってきた。
雷が頻繁に鳴り出す。すぐ横で、気持ちとしては光るよりも早く!さらに
強くなった風が、ツェルトを圧するかのように吹きつけたかと思うと、今度はそれを一
杯に膨らませる。そして、雹だ。パチンコ玉のような雹が、フィーバーがかかり続けて
いるかのように、文字通り途切れることなく降り注ぐ。壁とツェルトの間に入り込み、
時間と共に僕らの居住スペースは押しやられていく。これほどの風と雹と‥一体ツェル
トはもってくれのだろうか。ここで一カ所でも裂けてしまったら、僕らは助かるのだろ
うか。しかし耐えるしかない。たとえ明るくなったとしても、この状況ではこの嵐が収
まるのを待つしかない。これが、ストームなんだ!
この壁で命を落とした人はたくさん
いる。技術的には、今日の水準からすれば問題はない。しかし、登高中に予期せぬそれ
に遭遇したら全く話は別だ。日本人の初登のシーンもそうだった。この状況下、妙に納
得している自分がいた。
ようやく外は明るくなってきた。しかし、悪天は続いている。とりあえず相棒と方針
を決める。残された時間は2日半、予報の通りなら今日から天候は回復に向かう。依っ
て明日の天候次第だが、天候の回復を待って今日はビヴァーク適地とされる灰色のツル
ムの頭まであがり、明日の天候を見て登高を続けるか下降するかを決めよう − また相
棒の話を総合すると、いまいる地点こそがラショナル=テレイルートとの分岐点である
ことが判明した。
<7月23日>
9時半。雲は厚いままだがとりあえず空から降ってくることはなくなった。
フラットソールで岩稜目指してフェースを登り出す。シャーベットのような雪が壁にべ
っとりと纏わっている。初めて残置ハーケンを、それからクラックにフレンズを咬ませ
て人工でじりじりと登った。
しかし傾斜が緩くなると、残置は姿を消し、一方で雪はさ
らに厚みを持って壁に付着している。ここを突破するって?!不可能だよ! − 泣きたい
気分だった。さらに、こんな水分をたっぷりと含んだ雪は経験がない。すでに手足共、
指先の感覚が怪しい。今日ここで再び一夜を過ごすことになると、明日以降時間的に自
信が持てない。また、天候についても、どうも今ひとつ確信が持てない。
メテオロジーで見た予想図によればこの日が最悪の天候のはずだ。また下降に二日か
かったとしても、時間的に余裕まではなくとも、フライトには間に合う。冷静に判断す
ればそうであった。翌日訪れた好天を見て、場合によっては再びピークを目指したかも
知れない。しかし、また来ればいい。無事退却できれば来年また来れる。そう言ってヨ
セミテ行きがのびのびになっているのだが‥僕らは下降を開始した。
つい先程まで乾いていたハンガロンの手袋は、ゴアのオーバー手袋さえも役立つこと
なく瞬時にずぶ濡れになってしまった。再びみぞれが降り出す。そして、絶え間なく困
難はやってきた。振り子トラバースの地点では、一度失敗してユマールで登り返した後
、ランニングを取りながらの斜め懸垂から雪壁をトラバースしてもとのルートに戻り、
さらにフレンズでランニングを取ってビレー点に到着した。
75Mジェードル辺りで再
び雷が鳴りだした。しかし、ビヴァークできるような適当な場所が見あたらず下降を続
行する。雪壁のトラバースへ向かう箇所も斜めの懸垂。場合によってはネイリングしな
がらの下降となるので、先行する相棒にギアを渡した。ところがその中にはエイト環も
混じっていた。仕方なくビナ3枚を組み合わせて簡易下降器とする。ところが下降中に
これがすっぽ抜けた。ビナがロープにかかっているとはいえ、傾斜の緩い部分だったの
でロープを掴んで停められたが、これがレビュファークラックのような箇所だったらと
思うとゾっとする。半マスト結びに切りかえてビレー点に着いた。
続いてロープがあち
こちで岩角に接触し、回収不能となった。先程の転倒でハーネスのギアラックが割れ、
僕は片方のユマールをなくしてしまった。片方のロープの末端を固定して相棒がユマー
ルで登り返し、回収可能な地点で別に下降点を設定して一旦ロープを回収してから、再
度懸垂に移る。僕らは2本の50Mロープを繋いで行動したが、こういう場所では10
0Mロープを半分に折って使った方が懸垂の際のトラブルを回避しやすいかも知れない
。
待つ時間がやたらと長く感じる。後から思うと高度の影響もあったのだろうが、とに
かく絶えずはぁはぁと息が切れた。また、ずっと震えていた。怒りにも似た、この不安
、恐怖、疲労‥これらを振り切るために何度絶叫してしまいたかったか!しかし、それ
をしてしまったら、大袈裟に言えば生への執着とも言えるであろう緊張感が切れてしま
いそうな気がして、それが恐ろしくてついにしなかった。
後から聞くと、相棒も同じ思
いであったそうだ − レビュファークラック上のビヴァークサイトへと続く雪壁を相棒
がトラバースし終わる頃には、すでに夜がやってきて40M先の相棒の姿は見えなかっ
た。継続してハング下に、本当にようやくにしてたどり着く。「助かった」とは思ったが
、あまりの緊張の連続にホッとするといった気は全く起こらなかった。一晩を過ごすた
め、体を休める間もなくそのまま狂ったようにアックスを振るい続ける。ようやくテラ
スを切り出してツェルトを張り、その中に収まった時に初めて緊張から解放された。
何もする気は起こらなかった。しかし、何か腹に入れなければと思ってクッキーを取りだ
した時、クッキーの放つ匂いが僕らの生を刺激した。クッキーってなんておいしい匂い
のする食べ物だったんだろう!それだけのことなのだが、妙にうれしくて仕方がなかっ
たのだ。
<7月24日>
青空をバックに太陽が昇った。フランス山岳会のヘリコプターに見守ら
れながら順調に下降を続ける。午後に入りウォーカー稜取り付きに生還、何度も振り返
り、やがて僕は三度北壁に背を向けレショ氷河を下った。また来年ここにもどって来る
ために。
余話:街に戻ると、例のストームの影響で市街を流れるアルヴ川が氾濫していた。
宿の女主人も今まで経験ないことだと話していた。
今回のプランはピークまで2ビヴァークで立案した。悪天に備えてさらにプラス
アルファを持った。結果、ザックはかなり重いものになった。ウォーカーならば1ビ
ヴァークが一般的である今日、悪天対策はプラスアルファではなく、むしろその分を
入れて1ビヴァークとするぐらいの軽量化=スピードアップを図る
試みが必要ではなかったのか。この辺りについて、皆さんの忌憚ない意見をお
聞かせ頂きたい。
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